平凡皇女と意地悪な客人

7:心配くらい、するでしょう

 ジュードの部屋はパリスメイアの部屋からそれほど離れていない場所にあった。この区画は関係者以外立ち入りを禁じられているので、人は少ない。しかし、どうだろう。彼の部屋のそばには幾人かの侍女や女官、それに兵士がうろうろとしていた。
 ――いつの間にこんなに人に慕われたのだろうか、彼は。

 ジュードの部屋の扉は開け放たれていて、寝台のそばにはパリスメイアもよく知る御典医がいた。
「……容体、は」
 寝台で横になっているであろう、ジュードの姿は入り口からは窺い知れない。パリスメイアが小さく問うと、老いた御典医は眦を下げて答えた。
「大事ありません」
「……そう、よかった」
 パリスメイアはほっと胸を撫で下ろした。緊張して強張っていた身体から、ゆるゆると力が抜けていくのが分かる。
「……姫?どうして」
 聞こえたジュードの声は、思った以上にはっきりとしていた。どうやら意識もあるらしい。
「どうしてって……さすがに倒れたときいて無視するほど人でなしじゃないわ」
 答えながらパリスメイアは部屋へと入っていく。彼の荷物はそう多くないらしく、部屋はいかにも客室といった様子でどこかよそよそしい。
 どこか掴みどころのないジュードの性格を表しているようだ。
「大袈裟ですよ」
「大袈裟にもなるわ」
 毒を盛られたなんて。アヴィランテとは違った、小さな平穏な国で、しかも政治とはあまり関わらずに生きてきた彼にはあまりにも非日常すぎる。
 毒に慣らされたパリスメイアとは違う。ジュードがどれだけ鍛えたたくましい身体を持っているとしても、内から犯す毒に勝てるとは思えない。
「こまめに水分をとって、しばらく寝ていれば治ります。アヴィラの暑さを甘くみましたなぁ」
 ほほ、と笑いながら診療具を片付ける御典医に、パリスメイアは「んん?」と首を傾げた。

 ――それはまるで、

「…………確認したいのだけど、彼が倒れた原因は」
「熱中症です。水分もとらずに直射日光の下に長時間いたんでしょう。北国育ちで身体が慣れていなかったんでしょうな」
 ――熱中症。
 パリスメイアは自分が勘違いしていたことを悟り、はああ、と溜息を吐き出した。頭が痛くなってくる。
「あんな場所で花冠なんて作っていたからでしょう!」
 先ほどまでの心配なんてどこへやら、パリスメイアは寝台の上で横になっているジュードに怒鳴りつけた。
「その後に衛兵に混じって訓練に参加していたそうで」
 御典医がパリスメイアの知りえない彼の行動まで白状して、パリスメイアはますます呆れた。
「どうして倒れるまで不調に気づかなかったんですか!」
「熱中症になった経験がないもので。気を紛らわせていれば治るかと」
「馬鹿ですか。アヴィラの暑さを舐めないでください。熱中症で倒れて亡くなる方だっているんですからね!」
 ジュードは北国育ちで、そもそも暑さには弱いはずだ。それだというのに不調を訴えることもせずに無理をするなんて。思えば、あの花冠を渡してすぐに去ったのだって、具合が悪くなってきたからではないのか。
「……心配してくれるんですか?」
 ジュードが意外そうな顔で問いかけてくるので、パリスメイアもきょとんも目を丸くした。
 ……そうだ、毒でもなんでもない、ただ自業自得で倒れただけの彼を、どうしてこんなに心配しているみたいに怒っているんだろう。
「心配くらい、するでしょう」
 だって彼は、

 ――だって、彼は?

 パリスメイアは続く言い訳が浮かばずに、口ごもった。
「熱中症で倒れただけですよ? 今はだいぶ平気ですし」
 まぁ少し頭痛はしますけど、とジュードは告げる。だったら大人しく水分をとって寝ていればいいのに。しかしジュードはパリスメイアからの答えを待っているようだった。
「……倒れたなんていうから、まさか毒でも盛られたのかと思ったのよ」
 しかもジュードの部屋のそばでは兵士や侍女が心配そうにうろうろしているのだ。それだけ深刻なのかと勘違いしてもおかしくない。……おかしくはないはすだ、とパリスメイアは言い訳がましく自分に言い聞かせた。
「ああ、俺が目障りな人もいるでしょうねぇ」
 毒を盛られるかもしれない、というパリスメイアの心配を、ジュードは顔色ひとつ変えずに肯定した。その可能性はあるのだと。
「……随分と他人事ね」
 命の危険に晒される可能性があるというのに。
「少なくとも今は、まだ俺に手出しはしないでしょう。曲がりなりにも他国からの賓客ですから。ネイガスなんて、アヴィラにとっては取るに足らぬ小国でしょうけど」
 ジュードは苦笑した。それは、自分の国を卑下しているのではなく、純粋な事実だ。大陸のどの国の人間でも『アヴィランテ』を知らない者はいない。けれど、北の小国『ネイガス』を知る人は、多くもないし少なくもないだろう。
「……俺が姫の婚約者にでもなれば、どんな手を使ってでも消そうとするんでしょうね」
「そうね。そんな危険な国からは早く出て行ったほうがいいんじゃないかしら」
「……それは、早く帰れとおっしゃってます?」
 低く問うてくる声に、パリスメイアは寝台に横たわるジュードを見た。笑みを絶やさない彼から、微笑みが消えている。緑色の瞳が、パリスメイアを逃がさないように強く見つめてきていた。

『貴方、いつまでいるつもりなの?』
『姫が望むなら、いつまでも?』

 それは、つい先ほど交わした言葉だ。裏を返せば、パリスメイアが望めばすぐにでも帰るということなのだろうか。……そういう意味で言ったのだろうか、と今更気づく。
 こうしてパリスメイアと関わっている限り、その時間が、日々が、長くなればなるほどジュードの身は危険になっていくだろう。誤解をするなというほうが無理のある状況だ。

「……帰ったほうが貴方の為だと思うわ」

 帰ってほしいと、言い切れればよかったのだろうか。けれどパリスメイアには、ジュードに選択を与えるように忠告するしかできなかった。
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