平凡皇女と意地悪な客人

8:拒むなら、もっと徹底的に拒まなければ

「……申し訳ありません、姫様はお部屋で休まれるそうです」

 いつも待ち合わせていたわけではないが、共に過ごしていた書庫でジュードはアイラから残念そうに告げられた。
 ジュードはなるほどと内心で思いつつ苦笑しながら「そうですか」と答える。
「あの、姫様は」
「大丈夫です、わかっているので」
 パリスメイアをフォローしようとしたアイラの言葉を遮って、ジュードは重ねて「大丈夫です」と繰り返した。
 パリスメイアのそばにいることで、この身に危険が及ぶかもしれないなんてことは、とうの昔に理解している。わかっていなかったのはパリスメイアの方だろう。ジュードは毒を盛られることも斬られることも覚悟の上で、逢瀬を重ねていたというのに。
 愛しているわけでもないのに、危険な目に遭わせるわけにはいかないという責任感から、彼女は自ら距離をとる。皇帝陛下から接待を任されているとはいえ、拒否権があることも伝えられている。だからこそ、パリスメイアは「会わない」という選択肢をとった。さすがに部屋に籠られてしまえば、ジュードもよほどのことがない限り会いに行けない。
 申し訳ありません、と最後にまた小さく告げたアイラを見送りながら、さてどうしたものかとジュードはため息を吐き出した。



 午後に皇帝陛下の執務室へ顔を出したジュードは、陛下から「苦戦しているみたいだね」と一番に告げられた。この人の情報網は今朝方のことまで把握できるのかとジュードは頬をかいた。
「賢い方なのに、箱入りだからか世間知らずですね」
「それは私に対する嫌味かな」
「――まさか」
 箱入りに育てたのは何を隠そうこの皇帝なのだが、生来の気性なのだろう。
 パリスメイアと懇意になるということは、どうであれ自分の身に危険が及ぶ可能性がある。そんなことは、アヴィランテにやって来る前から折り込みずみだ。けれどパリスメイアは、ジュードが倒れるまでその現実に気づかなかったらしい。気づいた結果が引き籠もりというのも、世間知らずの子どもの逃げ方だ。

 ――拒むなら、もっと徹底的に拒まなければ意味がないのに。

「ちょうどいい。これをパリスメイアに届けてくれるかな」
 そう言いながら陛下が差し出したのは、何枚かの報告書だった。紙面に書かれた内容をざっと見る限り、孤児院の運営に関するものだ。
「……これを、姫に?」
 確認の意味を込めてジュードが問うと、皇帝陛下は微笑むだけで答えなかった。それはつまり、肯定なのだろう。
「姫は政に関わっていたんですか?」
 このアヴィランテで、女性が政治に関わることはない。それだというのに皇帝はパリスメイアに報告書を届けろという。
「孤児院に関してだけだけどね。福祉に関しては男よりも女性の目で見た方がよいこともある」
「……よく反対されませんでしたね」
 ぱらりぱらりと報告書に目を通せばわかる。この孤児院についてだけかもしれないが、パリスメイアはかなり深いところまで関与している。
 たったひとつ、これだけは、彼女の責任で任されているようだ。
「知っているのは重鎮くらいだ。押し切るくらいの力がなければ皇帝なんてできないよ」
 微笑む皇帝は、残念そうに呟く。
「……あの子は、あと五十年あとに生まれていれば皇帝になれただろう」
「……そうでしょうね」
 アヴィランテは今、改革のときを迎えている。革新的なこの皇帝のもとで、古き悪習を廃し、新しいものを作っている最中だ。
 しかし、姫を皇帝の座に押し上げるには、半世紀では足りないし、何より下地がない。
「それでも姫は、アヴィラの歴史に名の残る人になります」
 ジュードは確信に満ちた声で、そう告げた。
「……それを実現させる婿が欲しいのでしょう?」
「さぁ、どうかな」
 くすりと笑みを零して、皇帝陛下は言葉を濁した。それは遠回しな肯定であると、ジュードは受け取った。
「……では、届けて参ります」
 食えないおっさん、と従兄弟が表現していたのがよくわかる。ジュードは苦笑し、報告書を片手に退室した。


 ――皇帝になれないパリスメイアが、婿を迎えたあとでも政治に関わるにはどうすればよいか。一番簡単なのは形だけの傀儡の皇帝を作り出せばいい。しかしそれが伴侶では、パリスメイアはあまりにも孤独でさみしい生涯となってしまう。皇帝ならばいくら側室をもとうと何も言われないが、帝妃となればそうはいかない。
 だから、パリスメイアは、彼女が政治に関わることを良しとする男と結婚し、二人で一人の皇帝にならなければならないのだ。
 そもそも皇帝の子ではない人間が皇帝になるということは、少なからず不和を生む。しかしそこで、パリスメイアが傍らで皇帝に意見する姿があれば、不満も緩和できる。
 男でないがゆえに皇帝になれぬ皇女と、皇帝の子でないがゆえに正統を名乗れぬ皇帝。それは欠けたところを補い合うことで解消される問題だ。
 婿となった男は、皇帝として帝妃が政治に関わることを認め、反対する人間を黙らせればいい。
「……姫の手腕によるが、改革がうまく成功すれば、後の世で彼女の名は語り継がれる」
 アヴィランテで最初に、政に携わった女性として。女帝がうまれる、きっかけとして。
 皇帝陛下が望むのは、その道筋を遮らず、しかし完全に放任するわけではない、皇帝という地位に座しながらも、実質は改革のはじまりの一石となるパリスメイアを支える男。
アヴィランテの男にそんな気性のものはいない。だから皇帝は、他国へ行った異母弟異母妹の子に狙いを定めた。おそらく、皇帝の血筋ということで反対の声を黙らせる意図もあったのだろう。

 パリスメイアの部屋まで辿り着いたジュードは、部屋の前にいる衛兵に用件を告げた。


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