銀の王子と強がりな姫君(2)






 ――私のどこが悪かったというのか。



 何度考えてみても、こんな仕打ちをうける理由にはほど遠い。女のくせに政治学に熱を入れていたから? 学者顔負けに勉強ばかりしていたから? 姫君らしい振る舞いが得意ではなかったから?
 でも、だからと言って、将来を約束した婚約者を妹に奪われるなんて、誰が思うだろう?




 ある日、カーネリアは父に呼び出された。広間には泣いている妹と、それを慰めている私の婚約者。そして沈痛な面持ちの国王である父がいる。
 異様な空気であることは、それだけで分かった。
「……お話とは、なんでしょうか」
 存外に冷静な声がカーネリアの喉から出てきた。
「お姉さま、ごめんなさいっ! こんなつもりじゃなかったの、私……!」
「シル、いいんだ。俺が悪い」
 泣きながら駆け寄ろうとする妹のシルベリアを、婚約者のクラエスが抱きとめる。まるで恋人同士のようね――とカーネリアは考えて、その優秀な脳であっさりと理解してしまった。ああ、そうか。恋人同士なのだ、と。
 クラエスはルヴィリア王国の公爵家の次男で、カーネリアはあと少しで彼と結婚するはずだった。幼い頃から定められた結婚に異論はなかったし、まぁそれなりに愛してもいた。
「……どういう、ことなのかしら」
 ぽつりと呟かれた問いに答えたのは、父だった。
「――……シルベリアが、妊娠しているらしい」
 それは、誰の子を? ――聞くまでもない。シルベリアとクラエスの様子を見れば、語らずとも分かってしまう。
 だがしかし、こんな醜聞があるだろうか! 王族が婚姻前に妊娠したどころか、姉の婚約者を寝取ったなんて! 頭の固い貴族は卒倒するだろうし、民の手本であれと言われ育った姫が! いくら小国といえど、笑えない話である。
 しかし国王である前に一人の父親である男は、この末の姫にことさら甘いのだ。
「……こうなってしまっては仕方ない。クラエスは、シルベリアと結婚させようと思う」
「そう、ですね」
 不思議と悲しくなかった。すとんとカーネリアの胸の奥に何かが落ちる。
 シルベリアはずっと泣いていて、クラエスはカーネリアに謝罪するわけでもなく、ずっとシルベリアを慰めている。こんな男だっただろうか、とカーネリアは思った。始終泣いたままの妹を横目に、カーネリアの心は渇いたままだ。
 鬱陶しいと感じることはあっても、可愛い妹だった。もう過去形でしか言うことはできない。少なくとも今のカーネリアには「気にしないで」とも「泣かないで」と慰めることもできそうになかった。
 生まれ育ったはずの城が、その日からひどく居心地が悪くなった。
 憐れまれ、同情されるだけならまだいい。酷い時は「あの姫から末の姫に乗り換える気持ちも分かる」なんて言葉も聞かされた。可愛らしく、お姫様らしい妹は異性の人気を集めていた。


 ある日、父がハウゼンランドへ行かないか、とカーネリアに提案してきた。ハウゼンランドの王子が、相手を探しているらしいんだ、と。ハウゼンランドといえば雪国であり、昨今ではちょっと有名な国だ。王子というのはつまり、あの「銀の王子」のことだろう。輝く銀の髪は、不思議なことに光の加減で金色に見えることもあるのだという。
 正直恋愛ごとはもうこりごりだ、と言ってしまいたいところだったが、心配してくれている父の手前、カーネリアは断るに断れなかった。それに、城の空気を吸っていたくない、どこかへ行けるのなら、どこでもいい。そんな気持ちで、海を渡った。
 距離としてはそう遠い距離ではない。島国であるルヴィリアから出るにはどうしても海を越えるが、そこからは小国二つを横切る程度。わりとご近所の国だ。
 ハウゼンランドに到着してカーネリアが目の当たりにしたのは、あちらこちらからやってきたたくさんの姫君だった。



 精一杯に着飾った姫君の中に入るのも気が引けて、カーネリアは毎夜開かれる夜会でも、早々に離脱した。数人、他国の王子も見かけたが、それも姫君たちに囲まれている。恋をしに来たわけじゃない。ただ他の場所へ行きたかっただけだから――そう割り切って、カーネリアは異国の地の夜空を見上げた。
 空気が澄んでいるのだろうか。星が多い。頬を撫でる風は、少し冷たいが、その冷たさも心地いい。
 夜会の時間は形だけでも参加していなければならないので退屈だ。ルヴィリアから連れてきた侍女に飾り立てられたので、ドレスも動きにくい上に髪飾りも重い。
「……早く終わればいいのに」
「まさしく。さっさと終わってくれればいい」
 ぽつりと呟いた言葉に、すぐに同意が返ってくる。「え?」と驚き、声のした方へ視線を移すと――そこには、端正な顔立ちの、あの、噂の銀の王子がいた。

「……で、殿下?」

 この夜会において、彼を知らない者がいるはずがない。セオルナード王子。ハウゼンランドのたった一人の王子様。





 さて、どうしたものだろう。

 お互いに名乗ったものの、カーネリアは困っていた。このまま王子と二人きりだと、誰かに見られてしまった時にあらぬ噂になるのではないか――というよりも、王子を狙う姫君から妬まれるのではないだろうか?
 目の前に立つ青年は、少し疲れた様子でため息を吐き出している。
 長く続く沈黙は、そう居心地の悪いものではないが。カーネリアは星空を見上げながら、ここから立ち去る理由を考え始めた。さすがに面倒事はごめんだ。
「ここはあまり人が近寄らないところですから、あまり警戒しなくても平気ですよ」
 まるでカーネリアの心を読んだかのようなセオルナードの言葉に、カーネリアは目を丸くした。
「もっとも、別の意味で警戒されているのなら、逆に危険な場所かもしれませんが」
 くすりと笑ったセオルナードは、女の身であるカーネリアさえどきりとしてしまうくらいに美しい。銀色の髪が、月光に照らされて光っている。
「……あらぬ誤解をされるのは迷惑ですが、そういう心配はしていません。殿下は紳士でしょう?」
「もちろん、と答えておきます。そもそも俺がここであなたを襲うような男なら、追ってくる姫君たちから逃げ回ったりしませんよ」
「そうですね」
 こうして少し言葉を交わすだけでも、王子は噂のとおりの人のようだ。真面目な、王国の後継ぎ。真面目すぎるような気もするが。
 思えばこの時、カーネリアは惑わされていたのかもしれない。
 静かに降り注ぐ月光と、その下に立つこの美しいひとに。


「――夜会から逃げてきた者同士、少しお話しませんか? 殿下」












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