銀の王子と強がりな姫君(3)





 夜が似合う人だな、とカーネリアは思った。
 藍色の闇の中で、銀色の髪がかすかにきらめく。穏やかに微笑むその姿は、夜に流れる子守歌のようにやさしい。ああでも、日の下で微笑む彼もまた、違う姿をしているのだろう。きっとその姿も目を奪われるほどうつくしいに違いない。

 セオルナードは一定の距離を保ったまま、夜会の会場から流れてくる音楽に耳を澄ませている。カーネリアが逃げやすい位置にいるのは、偶然ではないはずだ。セオルナードが意識して、そうしてくれたのだろう。
「ルヴィリアは島国でしたよね。こんな田舎まで道中大変だったでしょう?」
 少し話を――と誘ったのはカーネリアであったのに、話題を提供できるほどの余裕もなかった。いや、余裕というよりも、このうつくしい王子に見惚れていたという方が正しい。
 それを見かねたのか、セオルナードが静かに口を開いた。カーネリアが話しやすい、そしてどうでもいいような世間話を選んでいる。
「い、いえ。船には慣れていますし、それほど遠くもありませんから」
「船ですか……残念ながらまだ乗ったことがないんですよね。海すら見たことがないですし」
「え、そうなんですか?」
 海が身近な環境で育ったカーネリアにしてみれば、海を見たことがないなんて不思議だった。しかしハウゼンランドまでやってくる道中を考えれば、それもおかしなことではない。ハウゼンランドは山の方が身近だ。
「ハウゼンランドは内陸国ですから。周辺国へ外交に行くことはありますが、海に面した国にはまだ行ったことがありませんね」
「それでしたら、いつか私の国へいらしてください。新しい発見がたくさんあると思いますよ。海も、本当に綺麗なんですよ。サファイヤやエメラルドを溶かしたみたいな――空の青とも、違うんです。青というのも違うかもしれません。本当に、深い色をしていて」
 ああ、どんな言葉ならあのうつくしさが伝わるだろうともどかしく思いながらも、懸命に海を語るカーネリアを見て、セオルナードは微笑む。
「海がお好きなんですね」
 そう言われて、カーネリアは目を丸くする。
「そ、そうなのでしょうか。分かりません。身近にあって、当たり前すぎて」
「ハウゼンランドで雪は当たり前ですが、そこまで語ることはできませんよ。いつか見に行きたいものですね。昔、子どもの頃に憧れていたんですよ」
「海に、ですか?」
「ええ、海に」
 変ですか? と問われて、カーネリアは「いえ」と短く答えた。不思議だ。とても不思議だった。それほど遠くない国なのに、見ているものは違うのだな、と思う。
「海を見ることができるほど遠くへ行ってみたかった、というのが正しいですね。王子という身分が重いわけではありませんけど、自由奔放な姿は羨ましいな、と」
「……? 誰が、ですか?」
 夜空を見上げながら呟くセオルナードに、カーネリアは首を傾げた。まるで、誰かを考えているように言うものだから。
 セオルナードは驚いて、カーネリアを見る。そしてふ、と目を細めて笑った。
「従兄弟と、妹、かな」
 妹、という言葉にカーネリアは固まった。心臓がぎゅっと握り締められるように痛む。違う、シルベリアのことじゃないと言い聞かせて、どうにか平静を装った。
 セオルナードの妹姫と言えば、『金の姫』ことフランディール姫のことだ。考えなくても分かる。
「従兄弟は公爵家の生まれながらも、自分らしく生きているように見える時があって。彼なりに苦労もあるんでしょうけど。……妹は、まぁ、もとから自由気ままな性格なんですけどね」
「……妹という生き物は、皆そうなのかもしれませんね。私の妹もそうです」
 我儘を言っても許される。自分勝手で、周囲を振りまわして、それでも持ち前の愛嬌で何もかも「仕方ないね」と言われる存在。兄が、姉が、同じことをすれば非難を浴びるのに。
「上は、苦労しますね」
 カーネリアの含みある言葉に気づいたのだろうか、セオルナードは苦笑して、そう言った。すとん、とその言葉はカーネリアの胸に落ちる。ああ、認めてもらえた。認めてもらえたのだ、と。
 いつだって耐えるのは私だ。いつだって我慢するのは私だ。奪われたのは私なのに。ひどい仕打ちを受けたのは私なのに。泣きたいのは私よ、私の方なのよ。
 ぽたり、と瞳から雫が零れ落ちた。
「……あれ?」
 これは何かしら、と思うカーネリアをよそに、セオルナードは慌てた。
「ひ、姫? 何か――」
 気に障るようなことでも? と困ったように問いかけてくるセオルナードに、カーネリアは首を横に振った。
「ちが、すみません、大丈夫です。ちょっと、その、気が抜けたというか」
 涙を拭いながら、カーネリアは微笑む。泣いたのなんて何年ぶりだろうか。いつからか、泣くことすら耐える習性がついていて、しっかり者の姉であることに慣れてしまっていた。初対面なのに、恥ずかしい、とカーネリアは目を伏せる。
 するりと頬を優しく撫でる指先に、カーネリアは顔を上げた。
 きれいな顔が、真剣な眼差しでカーネリアを見つめている。その背後にあるうつくしい月に、ああ本当にこの人には夜が、月が似合うな、と思う。吸い込まれてしまいそうなうつくしさがあった。

「でんか……?」

 青い瞳が、近づいてくる。

 カーネリアには危機感が足りなかった。セオルナードが『紳士』であると思いこんでいたせいもある。婚約者がいたといっても恋愛らしい恋愛をしていなかったことも要因のひとつだ。

 ふわりと、唇をかすめる熱。

 カーネリアの呼吸が止まった。
 唇が触れたのはほんの一瞬で、けれどセオルナードのうつくしい顔はすぐそこにあるままだ。
「――――あ」
 そしてカーネリアの唇を奪った本人ですら、何が起きたか分からないというような声を漏らしたのだ。たった今起きた出来事を、おそらくセオルナードよりも早く適確に、カーネリアは理解した。

 これは。
 これは!
 乙女の鉄拳を振るうにふさわしい出来事だろう!?


 カーネリアはキッとセオルナードを睨みつけると、容赦なくその平手をお見舞いした。











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