金の姫と婚約者候補たち

第4章:恋って楽しいものじゃないんですか?(2)







 キリルが治療を受けているという村に辿りついてすぐに、公爵がフランディールの一行を見つけた。黒い髪に南国風の濃い肌の色は、このハウゼンランドでとても目立つ。公爵は南国の帝国、アヴィランテの出身なのだ。
「早かったですね」
 馬車から降りる妻に手を貸しながら、公爵が微笑んだ。
「我が子のことだもの、当然でしょ。それで、うちの愚息は?」
「奥にある屋敷で安静にしてます」
 フランディールの姿を見ると、公爵は微笑んで「疲れたでしょう?」と声をかけてくる。笑った顔がキリルに似ている、とフランディールは思った。
「叔父様こそ、お一人で先にいらして、疲れているのでは?」
「元騎士ですから」
 ご婦人方よりずっと丈夫ですよ、と馬車から降りるフランディールにも手を差し伸べる。ここはヒースに、と思っていたのだが、せっかくなので叔父の手を借りた。大陸でも屈指の帝国の皇子なのに敬語を使う姿はちぐはぐだ。叔母にも完全に尻に敷かれているし、フランディールの両親を加えても一番腰が低い。そんな叔父がフランディールは好きなのだが。
 叔父の案内で、村の奥の方にある屋敷に向かう。古びた、それほど大きくないお屋敷だった。どうやら最初はただの怪我人ということで村の診療所にいたそうなのだが、手荷物やらで公爵家の人間であるとわかり、大慌てて村で一番いい場所――つまりこの屋敷で治療を受けたらしい。
 屋敷では、無口な使用人が扉を開けて、ずらりと並んだ一同を見た。
「昨日はどうも、入っても?」
 叔父が代表して問うと、使用人の少女は「どうぞ」と背を向けて歩き出した。案内してくれるということなのだろうか。こんな反応をされるのは初めてなので、フランディールは目を丸くする。ヒースとふと目が合うと、彼も同じことを考えていたのだろうか、フランディールと似たような顔をしていた。

 二階にある大きな部屋に、彼はいた。日当たりもいい、上等な部屋だ。部屋だけで丁重な扱いを受けていたのだとわかる。
「失礼いたします」
「ん? 包帯ならまだ交換しなくても――」
 元気そうな声に、心臓が震える。泣きたくなるような、途方もない安堵に、足元から崩れそうだった。
「いえ、お客様です」
 平坦な使用人の声の向こうで「また親父?」と笑う声がする。そして入ってきた人々に、彼は緑色の目を丸くした。
「母さんまで! それにフランも――」
「こ……の……っ! 馬鹿息子がああああああああ!」
 驚いているキリルにつかつかと歩み寄り、叔母が見事な平手を喰らわせた。
「リノル、曲がりなりにも怪我人だから」
 叔父が慌てて割って入ろうとするが、叔母はぼろぼろと泣き出してキリルをぎゅうっと抱きしめた。
「あちこち出歩くのはいいけど、ちゃんと帰ってきなさい連絡はしなさいって言っているでしょうが! どれだけ心配したと思っているの!」
 あー……とキリルは叔母に抱きしめられながら困ったように笑う。スミマセン、と素直に謝っているので心配をかけたことは反省しているのだろう。
「まぁ死にかけたけどさ、悪運強いから俺」
 あはは、と笑いながらキリルは慰めるように叔母の背中を撫でる。
「あのね、親より先に死ぬのは親不孝なんだからね。だいたい子どもはあんた一人なんだから、死なれたらうちの家はどうすんのよ!」
「へいへい」
 しばらくはおとなしくしてます、とキリルは苦笑した。叔母も落ち着いたのか、ようやくキリルを解放する。馬車の中ではあんなに毅然としていたのに、今はウサギのように目が真っ赤だ。
「フランにヒースまで。わざわざ悪いな」
「元気そうでなによりです」
 頭に巻かれた包帯が痛々しかった。身体のあちこちも怪我をしているに違いない。
「殿下ものちほどいらっしゃると思いますよ」
「げ。セオルまで? どんだけ大事になってんだよ」
「ご自身の立場を忘れてないですか? 公爵家の子息で、姫の婚約者候補なんですよ?」
「忘れているわけじゃねぇけどさー」
 好き勝手やっているからぽろっと忘れそうにはなるなぁ、とキリルはおかしそうに笑う。しょうがない人ですね、とヒースと笑いあう姿は、死の影などどこにもない。
「フラン?」
 ずっと黙り込んだままのフランディールを見て、キリルが首を傾げる。彼女なら、まっさきに怒鳴ってくるだろうと思ったのだ。
「フラン、どうした?」
「……え?」
 キリルの問いかけに、フランディールはようやく口を開いた。しかしどこか心ここに非ずといった風だ。
「いつもの威勢はどうしたんだよ。おとなしいな」
「……どういう意味よ。心配して損したって思っていただけよ。どうせキリルは殺しても死なないわよね」
「おまえなぁ……」
 苦笑しながらも、キリルは腕を伸ばしフランディールの頭をくしゃりと撫でる。大きな手のぬくもりも、少し乱暴な撫で方も、フランディールの記憶にあるものと寸分違わない。じわり、と安堵とともに涙が滲んだ。
「失礼いたします」
 どこか機械的な声に、フランディールの涙はひっこんだ。
 部屋に案内してくれた使用人の女性が立っている。
「我が主より、よろしければ皆様のお部屋も用意するようにと仰せつかっております。ご滞在場所がお決まりでないのであれば――」
「いえ、それは申し訳ないわ。こんな大勢で押しかけてはご迷惑でしょうし」
 代表してフランディールが答えたものの、この辺境の村では宿屋がない。一足先に到着した叔父は、村長の家に厄介になったと聞いている。
「迷惑など。たいしたおもてなしはできませんが、部屋は余っておりますので」
 田舎にあるにしては大きな屋敷だ。部屋があるというのは嘘ではないのだろう――どうしたものか、と叔父や叔母を見ると、微笑み返される。
「……では、ご厚意に甘えさせていただきます」
 かしこまりました、とまた平坦な声で使用人は答えた。
「のちほど、包帯を変えに参ります」
「ああ、ありがとな」
 ぺこりと頭を下げ、使用人は去って行った。生真面目そうな人だ、とフランディールは思う。ああいった性格の人は使用人や、侍女に多い。彼女にとっては仕事であって、それ以上でも以下でもない。けれど、フランディールの胸の底で燻る何かが、不快感を生む。
「……フラン、おまえやっぱりなんか」
 フランディールの異変に気付いたキリルが首を傾げて問いかけてきた。フランディール自身説明しようのない不快さを、なんと言えというのだろうか。ぎくりと肩を震わせたところで、叔母がキリルの言葉を遮った。
「さて、あんまり怪我人のところで騒いでいるわけにはいかないわね。一度村長さんへご挨拶してきましょうか」
「そうですね。お医者様のところへも寄って、キリルの怪我の具合を教えていただきましょう」
 叔父も頷いた。キリルが王都までの移動に耐えうるのであれば、王都へ連れて帰った方が良い。
「では、私も参ります。じゃあキリル、安静にしていなさいよ」
「正直もう寝飽きた」
「なら話し相手にヒースを置いていってあげるから」
 今まで護衛として黙っていたヒースが「姫」と眉を顰める。ヒースの役目はフランディールの護衛だ。怪我人の話し相手ではないとでも言いたいのだろう。
「こんな村で危険なことなんてないでしょう? それに剣聖である叔父様が一緒なんだから、大丈夫だわ」
 ハウゼンランド一の剣豪に与えられる称号は、バウアー家の先代から叔父が継いだ。以前は姫であった叔母の騎士まで務めていたような人だ。剣の腕前はヒースより遥か上である。
「もちろん、可愛い姪っ子ですから、しっかり護りますよ」
「あら、愛しい妻のことはどうでもいいのかしら?」
「そういう捻くれたことを言わない。フランを護らなくても怒るでしょう?」
「当たり前よ。私とフランの二人を護れないのなら剣聖の名は返すのね」
 仲良く犬も食わない夫婦喧嘩を見せつけられながら、フランディールは再度「大丈夫よ」とヒースに念を押した。ヒースもしぶしぶながらキリルの話し相手役を引き受けてくれるようだ。……今は正直、キリルやヒースを一緒にいたくなかった。

 ざわざわと、胸が騒ぐ。
 胸騒ぎとも違う、別の何かだった。














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