金の姫と婚約者候補たち

第4章:恋って楽しいものじゃないんですか?(4)








 立ち寄る街では、宿屋かその街にある貴族の邸宅に泊まる。宿屋の場合では護衛が先に街へと急ぎ、先触れしたうえでの宿泊だ。お忍びでもいいかもしれないが、さすがに公爵一家に自国の姫、さらにはネイガスの王子ともなればどう考えても忍べるのもじゃない。
「街の中を見て歩きたかったけど、無理そうねぇ」
 街で一番の宿屋を貸し切り、割り当てられた部屋の窓から賑わう街を見下ろした。フランディールの部屋の隣はヒース、キリルとなっている。身の安全を考えた配置なのだそうだ。他の護衛はヴェルナーについている。公爵夫妻には二人部屋を割り振っているので、心配無用とのことだった。
「いや、抜け出せばわからないんじゃね?」
 フランディールの独り言を聞きつけたキリルが、すぐ傍に寄ってきて同じように街を眺めた。近い。今まではなんとも感じなかったこの距離感も、意識してしまうと近すぎて恥ずかしい。
「ま、まだ怪我が完治してないのに無茶はダメよ」
「街を見物するくらい無茶のうちに入らないだろ」
「そういう言い訳は通用しません」
 つん、とフランディールが頑なに首を縦に振らずにいるとキリルはにやりとして、フランディールに何かを被せる。
「きゃっ! 何これ!」
 埃っぽく、少し汚れたマントだった。
「ぶつぶつ言っても共犯にしちまえばこっちのもんだよなー」
 旅装の、いつもよりも質素なドレスの上に汚れたマントを被ったフランディールは、その顔を隠してしまえばとても高貴な生まれには見えない。キリルはもともと堅苦しい恰好を嫌って、ラフな服を着ている。
「きょ、共犯って、まさか」
 抜け出すつもり? と問いただそうとするフランディールを、ひょいっとキリルは持ち上げた。怪我が完治してないとは思えないたくましさに、フランディールの心臓は悲鳴をあげる。
「暴れるなよー。ヒースに見つかるとめんどい」
「ちょ、おろして!」
「おろしたら逃げるじゃん?」
「当たり前でしょ!」
 というよりもこのお姫様だっこの状態が、フランディールには拷問だ。昔はなんとも思わなかったはずなのに。
 どうにか逃れようとフランディールは抵抗したものの、脱走の常習犯であるキリルはいとも簡単に誰にも見つからず宿屋から出ることに成功した。人通りの少ない路地で、ようやくフランディールをおろす。
「……見つかったらお説教じゃないの」
「親父たちは何も言わないと思うけど」
「馬鹿、お説教するのはヒースよ」
 叔父も叔母も、たぶん一言注意をするくらいで目をつむってくれるだろう。しかし護衛役として目を光らせているヒースからのお説教は逃れられまい。
「その時はその時で、仕方ないだろ。大人しく一緒に説教聞こうぜ」
 ほら、と差し出された大きな手に、どきりとする。私はいつもどうやってキリルに触れていたんだろう。手を重ねると、当たり前のようにしっかりと握り返され、心臓が痛いくらいにうるさい。
「あ、ほらフラン。揚げ菓子が売ってる」
「揚げ菓子?」
 キリルはこういう街も一人歩きで慣れているのだろう、すっかりと溶け込んで、フランディールの手を引いて歩き回る。
「食ってみ?」
 おばさん、一袋ちょうだいとキリルがお代を渡す。銅貨なんてフランディールにはあまり馴染みがない。そもそもこうして自分で何かを買うなんて――今まであっただろうか?
 小さな紙袋の中には一口大のパンを揚げて砂糖をまぶしたものが入っている。もちろんフランディールは見たことがない。毒見がいなきゃ、とは言うつもりはないが、さすがにどうやって食べるかと悩んでしまった。手でつまめばいいとわかりつつも、戸惑ってしまう。
 そんなフランディールを見てキリルはくすくすと笑う。そしてひとつつまんで「ほら」とフランディールの口元へ運んだ。
「……え」
「ほら、あーん」
「ばっ」
 馬鹿じゃないの! とつい言いそうになるが、キリルはなんの下心もなしにフランディールが口をあけるのを待っている。あれだ、これはどちらかというと親鳥が小鳥に餌をあげる行為に等しい。
 わかっていたが、こうも子ども扱いしてくるキリルもどうなのだろう。
 はぁ、ため息を零して観念し口をあけると、ぽいっと口の中に揚げ菓子が投げ込まれる。ほどよくあたたかいままの揚げ菓子は、甘くさくさくとして癖になる味だ。
「おいしい……!」
「だろ?」
 ほらもう一個、とキリルがフランディールの口に放り込む。
「仲がいいねぇ、あんたたち」
 揚げ菓子を売っているおばさんがキリルとフランディールの行動を眺めてくすくすと笑みを零す。ここが人目のある場所だったと気づいてフランディールは真っ赤になり、マントのフードを深く被りなおした。
「兄妹かい?」
「いーや。従妹なんだ。俺はこのとおりふらふらしてるんだけど、こっちは箱入り娘でさぁ」
「ああ、そうだね、お嬢さんは育ちのよさそうな感じだもんねぇ」
 だろー? とキリルは楽しげに会話を始める。もうひとつ揚げ菓子を自分でつまんで食べてみる。こんなところを城の侍女たちに見られたら叱られてしまうな、と苦笑した。
「で、最近はどうなの?」
 どうでもいい世間話から、キリルがふと話題を変えた。
「そうだねぇ。今年はちょっと不作だったから心配していたけど、国が支援してくれたおかげでなんともなく冬を越せるね」
「へー。そりゃよかった。ハウゼンランドの冬はきついからなぁ」
「冬がきつくてもハウゼンランドほどいい国はねぇよ。王様もきちんと市井の俺らを考えてくださる」
 すぐ傍で買い物をしていたらしいおじさんまで会話に加わった。王様、という言葉にフランディールはどきりとする。緊張したフランディールを察するかのように。キリルが繋いだ手をぎゅっと強く握りしめた。
「弱小国だったハウゼンランドを豊かにしてくれたもんなぁ。かといって戦争をするわけでもないし。あれろ? よその偉い国とうまくやっているらしいじゃねぇか」
「ほら、王様の妹姫のとこに南のでっかい国の皇子様が婿入りしたもんね。あのときはお祭り騒ぎだったよ」
 叔父と叔母の話になっているというのに、キリルはへらへらと笑いながら「へー俺は生まれてないもんなぁ」と相槌を打っている。
「そろそろ殿下も結婚だろう? この間婚約者が決まったそうだから」
「そうなのかい? いい方だといいねぇ。それを言うなら姫様だってそろそろ決まる頃なんじゃないかい?」
「だからあれだろ、王都じゃあ姫様もお相手を選んでいるらしいぜ」
 話題が自分のことになると、フランディールの心臓は極限状態だった。その姫様は自分です、なんてなんの冗談だ。
「姫様はえらい美人さんらしいからねぇ。そんな姫様を嫁にできる男は幸せもんだなぁ」
 街ではそんなこと言われているのか、とフランディールも自分の評判に驚きつつ、早くこの心臓に悪い会話がどうにかならないものかとキリルを見上げる。
「あはは、噂だけじゃねぇの? 本当はすげぇブスかも」
 しかしキリルは笑いながらそんなことを言うのでおじさんたちも「そうかもしれねぇなぁ」と豪快に笑った。
「それこそ、今宿屋にえらいお貴族様が泊まっているみたいだぜ?」
「こんな街になんの用かねぇ」
 頭の中がパニックになっているフランディールに気づき、キリルは肩を震わせて笑っている。こんな心臓に悪い状態でよく平気でいられるものだ。
「んー? どうした。揚げ菓子を喉に詰まらせたか?」
「だっ!」
 誰が! とフランディールは叫びそうになるが、慌てて口を塞いだ。
「大丈夫かい?」
「あー平気平気。こいつ食い意地はってるからさぁ。じゃあ他もぶらぶら見てくるわ」
 手を振ってその場を離れ、街の雑踏の中に溶け込んでいく。フランディールのどきどきしっぱなしだった心臓はようやく落ち着きを取り戻した。
「どういうつもりよ。びっくりしたじゃない」
「んー? 何が? ほら」
 はぐらかしながらキリルは手早く飲み物を買う。温めた果実酒だ。寒いハウゼンランドでは子どもでもよく飲んでいる。
「なんであんな話題振ったのって聞いてるの」
「いやぁ、お姫様王子様は予想外だったんだけど。街の状況は街の人間に聞くのが一番だろ?」
「じゃあ……」
 キリルが聞きたかったのは、不作がどうのと話していたところだ。
「俺はこんなんでも親父の息子なわけだし。いずれはセオルの右腕か左腕かにはなるつもりだからさ。上に立つ人間がどちらも街のことはわかりませんじゃ話にならないだろ。セオルがお忍びで歩くにも限度があるしさ」
「……何それ。今までの一人旅もそういうこと?」
 フランディールの問いに、キリルは照れ臭そうに笑う。
「周辺諸国をふらっと見て歩くのも若いうちしかできないだろ? もともと一人でぶらぶら旅するの好きなんだけどさー」
 キリルの手をぎゅっと握り返す。この人はどうして、そういうことを誰にも言わずにやるんだろう。貴族からは公爵の跡継ぎが、と馬鹿にされていることもあるというのに。

 胸が苦しい。
 やめてよ、これ以上好きになりたくないのに。













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