金の姫と婚約者候補たち

第4章:恋って楽しいものじゃないんですか?(6)







 がたごとと、馬車が揺れる。
「……辛気臭い」
 静まり返る馬車の中で、ヴェルナーが眉を顰めながら呟いた。
「……え、ヴェル、何か言った?」
「辛気臭いって言った。なんなの。ヒースの時よりどんよりしてるんだけど。この空気に耐え続けなきゃいけない僕の身にもなってほしいよ」
 ごめんなさい、とフランディールは小さく呟く。どうもキリルと一緒にいる時は余計なことなど考える余裕もないのだが、こうして彼と一緒にいない間は鬱々と考え込んでしまうのだ。
 実りのない恋を続けること不毛なことはない。忘れてしまえばいいのに、と冷静な自分が訴えてくる。けれど、妹のようにでもキリルに優しくされると嬉しくて、どうせならタイムリミットまでこのまま楽しんでもいいんじゃないか、なんて欲も出てくるのだ。
「なんでそんなに頭で考えるかな、フランは。もっと本能で行動してみたら? 陛下なんてそういうタイプっぽいじゃん」
 大恋愛の末の結婚、婚約前からずっと母への思いを公言していたような恋愛体質の父を例えに挙げられても困る。その血が流れているとはいえ、性格はセオルナードもフランディールも理性的な母の血がかなり影響しているのだ。本能で動こうとする前に、理性がブレーキをかける。
「お父様の場合、実りない恋なんかじゃなかったからそうできたのよ」
「じゃあ実りがあるかもしれないなら、その辛気臭いのはどうにかなるの?」
 ヴェルナーの切り返しに、フランディールは「え」と目を丸くした。ヴェルナーはじぃっとフランディールを見つめて「だからさ」と言葉を続ける。
「もしキリルが、数パーセントでもフランを好きになる可能性があるって分かればいいんでしょ? それならいつまでもそんなに鬱々してなくて済むんじゃないの」
「数パーセントでもありえないから悩んでいるんじゃないの」
「それはフランの考えでしょ。僕もヒースもそうは思わないよ」
 ざっくりとフランディールの意見を切り伏せるヴェルナーに、フランディールは口の中で「でも」と零した。ヴェルナーやヒースが、自分以上にキリルを知ってるなんて思えないのだ。同性であることを考慮しても、フランディールの方がキリルを知っていると、自負している。だって、それだけ長い時間を共に過ごした。
「そんなに心配なら殿下の意見を加えてもいいよ。たぶんフランよりは僕らに近い意見を出すと思う」
「お兄様が? ……まさか」
 フランディールが訝しげに呟いても、ヴェルナーは勝利を確信したような笑みで「賭けてもいいよ?」と言った。


 王都に到着すると、キリルは公爵家ではなく王城での療養を申し付けられた。慣れている公爵家の屋敷からでは、彼はいとも簡単に抜け出すからだろう。なんとセオルナードの私室がある宮に部屋を用意され、実質セオルナードに監視されているような状況だった。
「……窮屈そうだね」
 見舞いに、とキリルのもとを訪ねたヴェルナーがぽつりと漏らした。
「まぁな」
 苦笑しながらキリルは答える。頭部に包帯を巻いたままだが、他の怪我はほぼ完治している。なら手伝いくらいできるだろうと、セオルナードは公務関連の書類をどっさりと私室に持ってきて、キリルに手伝いをさせているのだ。
「いつもふらふらしすぎなくらいだ。たまにはこれくらい仕事をしろ」
「いや、だってこれおまえの仕事じゃん……」
 不平を漏らしつつもきちんと手伝っているあたり、やはりキリルは面倒見がいいのかもしれない。
「こっちだってカーネリアに会う時間を減らしておまえの相手してるんだ。せめてその包帯がとれるまでは我慢するんだな」
 花嫁修業という名目でハウゼンランドにやってきている婚約者に会えずにいるセオルナードはご立腹らしい。

『いい、フラン。殿下には話を通しておくからさ、君はこっそり隠れていなよ』

 フランディールはセオルナードの私室と繋がっている、隣の寝室でこっそりと息を潜めていた。空気の入れ替えに、と窓を開けているので、扉を閉めたままでも彼らの会話は耳に届く。
 結果として、セオルナードの見解もヒースやヴェルナーと一緒だった。『妹みたいであって、妹じゃないだろう? 俺から見てもキリルはおまえを大事にしている』と。つまり、恋に発展する可能性はある、と。
 ――妹としか見られてないということは、フランディール自身がよく知っているのに。

「そもそも、フランの婚約者候補として名が挙がっているのに、万が一があったら困るだろう」
 自分の名前が出てきたことに、フランディールは身を強張らせた。まさか兄から話をふるとは思っていなかったのだ。
「いやほら、今回は運が良かったし。俺がいなくなっても一応ヴェルナーもヒースもいるしさ」
 笑いながら答えるキリルの声に、フランディールの胸はずきん、と痛んだ。俺がいなくなっても、なんて。冗談でもそんなこと言わないでほしい。
「僕やヒースだけじゃ意味なくなるよ。国内貴族に対する抑制力がなくなる。一番の候補者はキリルなんだしさ」
 ヴェルナーの言葉に、キリルは「へ?」と呆けた声を出す。
「僕はそう思っていたけど? どう考えたって既につながりのあるネイガスの、力もない第四王子の僕や、未来の騎士団長と言われても大した力を持たない貴族のヒースよりも、公爵家の跡継ぎのキリルのほうが、たった一人の姫の嫁ぎ先にはふさわしいじゃない」
 ネイガス王国とは前国王が姫を正妃に迎えている。それ以前も何度か婚姻関係にあった王家だけあって、繋がりは強いのだ。だからこそ、婚約者候補なんていう茶番にも付き合ってもらえている。
「僕さ、気になっていたんだよね。キリルってフランのことどう思っているの?」
 鋭い直球の問いに、フランディールは息を呑んだ。そんなはっきり聞かなくてもいいじゃないの、泣きたくなる気持ちで思う。
「どうって……フランはフランだろ?」
「そういう言葉で誤魔化さない。あのさ、フランがキリルを婚約者に選ぶ可能性だってあるんだよ。そのとき、どうするの」
 はぁ? ありえないよ、そんなの。キリルはきっと笑い飛ばしながらそう答えるだろう。フランディールは何度も何度もその言葉を想像しては、耐えようとした。
 しかし、静寂を破ったキリルの言葉は、予想とは違っていた。

「……困るよ」

 明るいキリルには似合わない、低く呟かれた言葉。
 予想していた言葉より、ずっと痛い。
「あのさ、俺が最有力候補みたいに言ってるけど。でもバウアー家は王家の寵愛を受けすぎているんだよ。俺のじいさんがハウゼンランド初の『剣聖』という称号を得て、俺の父さんは姫を嫁にもらって、父さんの姉である伯母上は現王妃だ。ただの弱小貴族だったバウアー家は今や公爵家。その上、俺とフランが結婚なんて――おとなしく黙っている貴族はいないと思うけど」
 真面目なキリルの言葉ひとつひとつを、フランディールは静かに飲み込んだ。どれも事実だ。
 表だってバウアー家を攻撃しないのは、公爵である叔父が大国アヴィランテの皇子であるから。今でもアヴィランテ王と連絡をとっているらしいし、敵に回したところでこんな小国の一貴族では太刀打ちできないからだ。
 けれどもし――もし、またバウアー家が、王家と婚姻関係を結んだとしたら。反発する貴族はどうするだろうか? 穏やかなこのハウゼンランドに、不穏な空気が流れるのではないだろうか。
「俺はさ。フランにしあわせな花嫁になってほしいよ。国中に祝福される花嫁になるべきだ。だから、俺が相手じゃ駄目だよ」
 平民も貴族も、誰もが素晴らしい花嫁だと、なんて幸福な結婚だろう、と。そう喜ばれるものでなければ。ヴェルナーもセオルナードも、言葉を失うのが気配で分かった。
 いとしさを滲ませた声に、フランディールは静かに涙を零す。それがどんな愛かなんてどうでもよかった。
「……フランのこと、好きなの?」
 躊躇った末に問いかけたヴェルナーの声が、部屋に響く。
 キリルはたぶん、笑っただろう。困ったように目を細め、口の端を上げ、そしていつものように明るい笑みに変えて。
「そりゃあ、大事な従妹だもんさ」
 その言葉から滲み出る愛情の深さは、隠しきれるものではなかった。堤防が崩壊するようにフランディールは音もなく泣き崩れた。


 ちょっと散歩行ってくるわ、とキリルがいつもの調子で部屋から出て行った。
 ぱたんと扉が閉まる音がして、どちらの部屋も静寂に包まれる。きぃ、と小さく扉が悲鳴を上げて開いた。
 涙に濡れる顔を上げると、どうしていいのか分からないといった風のヴェルナーと、心配げなセオルナードの姿がある。
 フランディールは二人を見上げて、淡く笑った。

「ね? 望みのない、恋でしょう?」













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