金の姫と婚約者候補たち

第5章:嘘の恋も、いつかは本物になりますか?(1)







 笑いなさい、フランディール。
 自分が姫であったことに、この日ほど感謝したことはない。カメリア色のふんわりとしたドレスに、首元にはルビーのネックレス。髪には薄紅の薔薇を飾って、フランディールは鏡の中の自分に向かって微笑んだ。武装したときの笑顔は、もはや身体に沁みついている。心はどんなに悲しくても、辛くても、笑顔だけは完璧だ。

 今日はキリルの、全快祝いのパーティーだ。

「祝われている当の本人は嫌そうだよね」
 果実酒を口に含みながら、ヴェルナーはたくさんの貴族に囲まれているキリルを眺めた。パーティーなどの社交場はキリルの嫌いな場所だ。そんな様子は少しも感じさせないくらいに社交的だけど、今頃は早く帰って寝たい、なんて思っているだろう。
「これでも小規模にしているんだもの、我慢すべきだわ」
 それだけ人を心配させたんだもの、と呟いたフランディールを、ヴェルナーはちらりと盗み見る。
「なぁに?」
 視線に気づいたフランディールが首を傾げるとヴェルナーはまた果実酒を飲む。
「平気?」
「ヴェルに心配されることじゃないわ。分かっていたことだもの」
「……分かってないよ。あれ、どういう意味だと思ってるのさ」
 ヴェルナーがふてくされたように漏らす。フランディールは表情をまったく変えないままもう一度「分かっているわ」と言った。
「あれって、それだけフランのことが大事ってことだよ。あれが従妹に対する、妹に対する気持ちなわけないだろ」
 楽しげに笑うキリルを見つめながら、フランディールは心の中でまた「分かっているわよ」と答えた。クロムグリーンの上着は、一見地味だが、キリルの瞳と同じ色だ。とてもよく似合っている。ああいう恰好をしているときちんとした紳士なのに。
「……それでも、従妹なのよ」
 最後にキリルが言い聞かせるように答えたように。
 王家との繋がりの深いバウアー家の跡取りであるキリルは、姫であるフランディールを妻にする気はないのだ。それが、国にとってもいいことだと思っている。だから彼は永遠に認めない。フランディールは従妹であり、妹のようなものであり、それ以上でも以下でもないと。
「馬鹿でしょ、二人とも」
 ヴェルナーが少し苛立ったように呟いたので、フランディールは苦笑した。
「……馬鹿でしょ」
 小さくもう一度呟かれた声は、悲しげに震えていた。ヴェルナーはやさしい。フランディール以上に、もしかしたら悲しんでくれているかもしれない。
 パーティーも時間が経つにつれ落ち着いてくる。キリルの周囲にできていた人だかりもすっかりなくなって、本人はようやく息をつけたところのようだ。
「キリル」
 フランディールが声をかけると、キリルはいつもと変わらない笑顔で「よ」と答えてくれる。
「お疲れ様」
「まったくだよ、たくっ……一応は主役だから抜け出すわけにもいかないしなぁ」
「それだけ皆を心配させたのよ、我慢しなさい」
 へーへー、とキリルはため息を零しながら、ふとフランディールの髪に飾られた薔薇を見つめる。
「これ本物?」
「え? ああ、そうよ。温室の薔薇が一足先に咲き始めたから……」
 そっか、とキリルは小さく呟く。
「もうすぐ、おまえの誕生日か」
 どくん、と心臓が鳴る。恋をできるタイムリミットを告げられて、もうすぐ一年になるということだ。期限はあと長くても一年。状況次第では一年もない。
 時が止まってしまえばいいと冗談抜きで願うくらいには、フランディールの心は痛んでいる。
 曲調が変わった。ワルツだ。
「……ねぇキリル、一曲踊ってくれる?」
「おまえなー。俺なんかじゃなくても、ヒースやヴェルナーがいるだろ?」
 言うと思った。婚約者候補ができてからというもの、キリルはエスコート役をかわして、ダンスを嫌う。昔はむしろキリルの方から踊ろうぜと声をかけてきてくれていたのに。
「誰かさんがいっつも相手にしてくれないから、ヒースやヴェルとは踊り飽きちゃったわ」
 用意しておいた返事を淀みなく言って、フランディールは強引にキリルの手をとった。連れ出してしまえばこっちのものだ。キリルも「しょうがないな」と付き合ってくれる。ここで拒むほどキリルはフランディールに非情になれない。
 キリルの手がフランディールの腰を引き寄せる。間近で視線がぶつかり、フランディールは瞬間的に高鳴る心臓の音がキリルに聞こえないようにと祈った。
 緊張でうまくステップを踏めずにいたが、キリルが上手くフォローしてリードしてくれる。
「なんだぁ? ダンスの踊り方も忘れたのか?」
 くすくすと笑いながらキリルは淀みなく踊る。少し前までは怪我をしていたなんて、誰が信じるだろうかというほど華麗なステップで。
「ちょっと、調子が悪かっただけよ!」
 すぐにフランディールも優雅に踊り始める。キリルは楽しそうに笑っている。その笑顔を見て、ああ、しわせだ、とフランディールは思った。
 フランディールとキリルの踊る姿に、周囲も微笑ましげに見ていた。フランディールが社交界に出るようになってからというもの、彼女が踊るのは決まって兄がキリルがほとんどだった。フランディールの手を取り踊りたいと望む男は多かったけれども。
「ねぇ、キリル。私思ったの」
「ん?」
「私って、恋愛に向いてないのよね。お父様やお兄様のように愛し愛される人を見つけて結婚――なんて、たぶん私には無理なんだわ」
 一瞬、ほんの一瞬、キリルの動きが止まった。リードを失い、フランディールも転びそうになるが、寸前のところでキリルがフランディールの身体を支え、今までとおりに踊りを続ける。
「何言ってんだおまえ」
「思っただけよ。もともと、姫として生まれた以上は政略結婚もあり得るだろうって思っていたし。きっと私は」
 少し険しい顔になったキリルに、フランディールは馬鹿な人だ、と思う。そんなに心配しなくてもいいのに、と。
「愛し愛された人との結婚か、国のためになる人との結婚か。どちらかしか選べないなら、後者を選ぶわ」
 ――キリルがそうであるように。
 フランディールは淡く笑顔を浮かべて、キリルを見つめた。キリルはなんとも言い難い表情で、泣きそうな、怒りそうな顔で、フランディールを見つめ返した。

「きっと、それが私なの」

 きっぱりと言い放つフランディールに、キリルは黙り込んだ。
 音楽が止むと同時に、ざわりと周囲がざわめいた。何だろう、とフランディールは顔を上げる。キリルが「あ」と声を漏らした。
 キリルの視線をたどった先に、見知らぬ青年がいた。黒い髪に、青い瞳。肌は浅黒く、北方の国の出身ではない色をしている。すらりと背の高い青年は、キリルを見てにこりと微笑んだ。ハウゼンランドの誰もが知らぬ青年だ。整った顔立ちに、洗練された立ち居振る舞いに女性は釘づけだった。

「ジュード・ロイスタニアと申します」













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