金の姫と婚約者候補たち

第5章:嘘の恋も、いつかは本物になりますか?(6)







 庭園で佇む青年を見つけて、フランディールは駆け寄った。傍目には、恋い焦がれた人のもとへ一分一秒でも早く傍に行きたい少女に見えるだろう。
「ごめんなさい、お待たせしてしまったかしら?」
「いいえ、待ってませんよ」
 やさしく微笑むジュードに「よかった」とフランディールも微笑み返した。
 差し出された手を見つめて、フランディールは一瞬迷いながらもその手をとる。大きな手は、キリルのものと同じように固かった。手だけを見つめていると、本当にキリルが隣にいるんではないかと錯覚しそうになる。このハウゼンランドで肌の色までキリルと同じ人なんて、滅多にいない。
「ジュード様は、なにがしたいのかさっぱりわかりませんね」
 笑顔ではぐらかすジュードと、笑って誤魔化すキリル。似ているようで違う。ジュードの考えることがキリルほどわからないのは、過ごした時間の短さだけが原因なのだろうか。
「俺の頭はあなたのことでいっぱいですけど?」
「そういうことにしておきます」
 言葉だけを受け止めれば恥ずかしくなりそうなものだ。けれどそうならないのは、どこかうさんくさいからか。
「姫は意地悪ですね?」
「あら、ジュード様ほどじゃないですよ?」
 くすくすと笑う。こういうときは、お互い素の姿であるような気がして、悪くない。一緒にいればこういう時間も増えていくだろう。たとえばジュードと結婚したとして、そういう未来が想像できるのだから悪くないような気がした。

「フラン?」

 ぴく、とフランディールの手が震えたのに、ジュードも気づいただろう。
 たった一言、名を呼ばれただけで声の主がわかってしまう。
「キリル」
 微笑みながら、フランディールは応えた。キリルはまだ療養のために王城の一角に住んでいる。どこからか帰ってきたらしい姿からして、抜け出していたのかもしれない。
「ジュードも一緒だったんだな」
「ええ、どなたさんと違って紳士的ですから」
 じろりと横目でキリルと見ると「あはは」と笑われる。自分が紳士的ではないことを否定しないあたりはキリルらしい。
「おまえはそういう男好きだよなぁ」
 なにげないセリフに、フランディールの胸は痛んだ。違う、と叫びたくなるけれど「そうね」と仮面をかぶって笑う。笑顔は便利な仮面だ。たいていの感情を隠してくれる。
「せっかく姫と二人きりだったのに、無粋な人だな」
 相変わらず、とジュードは自然な動きでフランディールの隣に並んだ。
「おまえ女の趣味悪いなぁ」
「キリルの見る目がないんでしょう」
 キリルの茶化す言葉に同意することもなく、自然な仕草でジュードはフランディールの髪を一房、持ち上げて弄ぶ。
「ああ、そういえば、キリルのところにも話はいきましたか?」
 世間話をするようにジュードが言った。フランディールの髪はその手の中で絡め取られたまま。どうにも居心地が悪くて、フランディールは口を挟めなかった。
「なんの話だ」
 キリルが少々不機嫌そうに答えると、ジュードはにやりと笑う。

「アヴィランテへの訪問の話、です」

 え、とフランディールは漏らした。なんだ、それは。
 知らない。なにも。フランディールは知らされていない。アヴィランテは大陸南部の大帝国だ。キリルの父の故郷でもある。
 中央の砂漠を越えても、何日何十日かかるかわからないほど遠い地だ。
「ああ、その話か」
 キリルは驚いた様子もなく答えた。
 自分の知らないところで、なにか話が進んでいる。フランディールは目を伏せた。姫だというのに、知らされない自分はなんなのだろう。きっと兄は知っているに違いないのに。
「どういう、こと?」
 おそるおそる問う。
「アヴィラの現皇帝陛下に、世継ぎがいないのはご存じですか?」
「ええ」
 ジュードが微笑みながらフランディールに説明を始める。アヴィランテでは後宮制度が残っている。なんでも現皇帝は正妃こそいないものの、側室は幾人かいるらしい。けれど生まれたのは一人の姫君だけだという。
「姫ではアヴィランテは継げませんから。皇帝はそれで、俺やキリルにアヴィラにこないかと言ってきているんです」
「え?」
「なんでも姫さんと結婚させて、継がせようって話らしいぜ? うちは跡継ぎが俺だけだし、母さんが断固拒否してる。おまえんとこはそうでもない、か?」
 フランディールは表情を作ることも忘れて、呆然とした。姫と、結婚させる? 誰が?
「そうですね。姉がいますし、姉も婚約しているので。婿に来てもらえば問題ないかと」
 アヴィランテのにとってはその道が正しいのかもしれない。数十年前に内乱で荒れた国だ。ハウゼンランドには王弟の息子が、ネイガスには王妹の息子がいる。自分の娘と結婚させ、さらに国の地盤を固めたいと思うのも自然の成り行きに思えた。
 それが、キリルでなければ。
 フランディールも素直に納得できる。
「じゃあ、キリルは行かないの?」
 叔母が反対しているという言葉に期待を抱きながらフランディールは問いかけた。しかしキリルは「んー」と首を掻きながら口を開く。
「行くだけは行ってみようかと思ってる」
 度重なる衝撃に、フランディールは強い眩暈がした。
 キリルの性格を考えれば、行きたいと言い出すのも頷ける。しかしそれを許容できるほどフランディールは大人になれない。
「いい経験になるだろうなと思っている。アヴィランテは大国だし、得るものも多いだろうしさ」
 母さんが反対しているから、どうなるかなぁ、とキリルは暢気に笑った。
「この間大怪我したばかりなんだから、少しはおとなしくしているべきでしょう!」
 つい声を荒げてしまってから、フランディールはハッとなって言葉に詰まる。

 傍にいて、と。
 行かないでと叫ぶことができるなら、もっと楽なのに。

「姫」
 ジュードの諫めるような声に、フランディールはこれ以上なにも言えなくなった。キリルが困ったような笑顔で、フランディールを見下ろしていた。
 傍にいるのだって苦しい。けれど、もう期限も見えているような最後の恋なのに。キリルが遠いところへ行ってしまっているうちに、終わってしまうのではないか。
 甘い思い出もなにも、できないまま。
「止めたって、キリルには無駄だったわね」
 今まで通りにと心がけたはずの声は、震えてしまった。馬鹿、と心の中で自分を叱る。
 フランディールは唇を噛みしめて、踵を返す。ふわりとドレスの裾が名残惜しそうに揺れた。

「フラ」
「行ってどうするんですか。ここは譲ってくれません?」
 思わず追いかけようとしたキリルの行き先を阻んで、ジュードが笑う。キリルは虚を突かれたようで、目を丸くする。
「おまえ、本気?」
 緑色の瞳が、ジュードを見据えた。
 ジュードは笑みを崩さないまま見返して、何も言わない。

「本気なら俺は邪魔をしない」

 けど、とキリルはジュードを押し退けて一歩を踏み出す。にじみ出るような声に、からかいなんて響きはなくただただ真剣だった。
「だけどもし、ふざけているだけだって言うなら、許さない」













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