金の姫と婚約者候補たち

第6章:私の王子様はどこですか?(4)







 小さな頃から、大事な女の子と言われればたった一人しか思いつかない。

 金色のふわふわした髪は、ときどき銀色に見えて不思議だった。青い瞳は大きくて澄んでいる。白い肌は俺がいくら外へと連れ出してもあまり日に焼けない。
 この国の唯一のお姫様で、俺は公爵家の息子。しかも両親は兄妹で、生まれたときからずっと一緒にいたので、なんとなく幼い頃から俺はこいつと結婚するのかなぁ、と思っていた。だって過保護の育てられた彼女の傍には他に異性がいなかったのだ。お兄さまお兄さまとセオルナードのうしろをついてきて、一人で迷子になったりすると俺の名前を泣きながら叫んでいたりした。一人っ子なのに弟と妹がいるような気分だった。


 妹のようなものだとしても、ひとりの女の子としても、大事なことに変わりはない。だから、こいつと結婚してもしあわせだろうと素直に思っていた。たぶん俺が馬鹿をやって、こいつに怒られて、不器用に甘えられて、ときどき甘えて、父と母のように、愛し合っていけるだろうと。
 それが、幻想なのだと思い知らされたのは社交界に出てからだ。
「ごきげんようキリル様」
「キリル様、お話しません?」
 同じ年頃の令嬢は公爵家の息子という俺に甘く媚びを売ってくる。あいつのような女とばかり接していると、まるで別の気味の悪い生き物のように見えた。
 心の内を明かさぬように笑顔を作るのは得意で、さらりと交わして、いつもつき合い程度にしか顔を出さない。わずらわしいのは女だけじゃなかった。
「モテモテですねぇ、公爵家子息ともなれば」
「いいですね、あの金の姫にも会えるのでしょう?」
「たいそう美しくなられたとか」
「バウアー家は本当に王家から愛されている」
 男たちの口から出てくるのはそんな言葉ばかりだ。金の姫に対する羨望と嫉妬、バウアー家に対する妬み。
「仲がよいとのことですが、まさか姫の婚約者の座までは譲ってくださいますよね?」
「当然でしょう。それだけバウアー家に寵愛が偏っては」
 ようするに、こいつらは金の姫の夫という地位が欲しいだけなのだ。馬鹿か、俺よりも年上で、社交界に何年も顔を出して女遊びしているおまえらに、あの陛下が姫をやるとは思えない。そもそもこんガキ相手に牽制しなきゃやっていられないほどの雑魚だ。それに、あの溺愛されたお姫様とどれだけ年が離れていると思っているんだ。
 どろどろした嫌な感情が渦巻く。
 なんでこんな汚い言葉を浴びせられるのか。

 もしも俺とあいつが結婚したら、この言葉はあいつのことも攻撃するのだろうか。




「で、キリル。いい子は見つかった?」
 社交界に出るようになって数年した頃、母は紅茶を飲みながら世間話をするようにそんなことを言い出した。
「なんだよ突然」
「あんたもそろそろお相手決めなきゃいけないじゃない? 別に私はいつだっていいけど」
 あんたはふらふら遊んでいるのが好きみたいだしねぇ、と笑う母に、苦笑した。
「俺は、そうだな。母さんが気に入る子と結婚するよ」
 嫁姑で不仲だとやりにくそうだし、と笑う。我が強い母とうまくやっていける令嬢なんてそう多くもなさそうだけど。
「はぁ? 冗談じゃないわよ。あんたが一生添い遂げる人なんだから、あんたが一番大事な人を選びなさい」
 万が一失敗したとき、私のせいにされちゃたまらないわ、と母はぶつくさと呟く。でも、と口籠もると、でもじゃないわよとぴしゃりと切り替えされる。
「本当に気に入らない子なら私はルイと田舎に引っ込むだけだもの」
 本気でやりかねないなと思いながら、ただ淡く笑みを零した。

 一番大事な子、なんて。
 そんなの、ずっと前からただ一人だ。でも駄目だ。駄目なんだよ。

 一番大事な子は、手に入らないんだ。

 大事だから、大切だから、今までと変わらない距離で守るって、もう決めたんだから。壊れないように、傷つかないように、汚い言葉なんて浴びないまま、綺麗でかわいくて清らかなままで。







 ハウゼンランドでは感じたこともない、喉を焼くほど熱い空気に呼吸の仕方を忘れかける、なんてこともなくなって、滞在も一ヶ月以上経つと慣れたものだ。見た目だけはこちらの人々の方がとけこめるので、一瞬生まれたときからこの国にいたんじゃないかと錯覚しそうになる。
「何かおかしなことでも?」
 知らず知らずに笑っていたらしい。通りがかった姫さんが俺に声をかけてきた。黒い髪に褐色の肌、瞳は俺とは少し違う色合いの緑色。アヴィランテ帝国のたった一人の、お姫様。
「いや、別に。こっちにも慣れたなと思ってさ」
「長居するつもりもないくせに慣れてどうするんです。向こうに帰ったら凍えてしまうんじゃないの」
 初対面で俺が言った台詞を今でも根に持っているらしく、姫さんはちくちくと刺すように話してくる。長居するつもりはない。もちろん。俺はハウゼンランドに帰る。何があっても。
「鍛え方が違うからさ」
「そうかしら。とても強そうには見えないんだけどね。父が呼んでおりました。今ならまだ執務室にいると思います」
「皇帝陛下が? なんだろ」
 あのアヴィランテ帝国の皇帝となれば、最初は柄にもなく緊張したのだが、今ではそれも慣れた。皇帝陛下は笑みを浮かべながら父や母のこと、国王陛下やその王妃様のことを聞きたがった。ああそうだよな、面識あるんだよな、と思うとすとんと皇帝陛下もただの親戚のおっさんになる。
 姫さんと別れて執務室に行くと、たくさんの書類に囲まれて皇帝陛下は微笑む。どこの国もお偉いさんは書類に囲まれているものらしい。
「君に文が届いていてね。金の姫からだよ」
 金の姫。
 その言葉がさすたった一人を思い出して、胸がざわつく。涙を浮かべた青い瞳。柔らかな唇。細い肩、細い腕、細い腰……忘れようと足掻いても、わずかなきっかけでまざまざと思いだしてしまう。
 文を受け取り、どうしようかと一瞬悩んだあとですぐに封を開けた。一人で読むより誰か近くにいるほうがいい。
 キリルへ、と綴る文字は間違いなくフランディールのものだ。以前だったら国を離れている間は欠かさず近況を知らせていたが、今は送っていない。両親やセオルのもとへは送っているから、前のように心配かけることもないだろう。まだ心配してくれれば、だが。
 そして端的に書かれた内容を見て、息を飲んだ。

「……なんて?」

 数拍ののち、皇帝陛下が問いかけてくる。
「…………婚約者を発表するパーティーがあるそうなので、それまでには帰国するようにと」
 声にすると驚くほど冷静だった。
 ……決まったのか、と胸にたまった息を吐き出すと、陛下が呆れたように俺を見ていた。
「君は本当にあの姫の息子なのかな。信じ難いね」
「どういう意味ですか」
「姫は欲しいものはどんな手を使っても手に入れるし、手放さない。それは弟も同じだな。姫が欲しいというそれだけの理由でアヴィラの皇子という地位を利用したのだから」
 両親の馴れ初めなんて耳にたこができるほど聞かされている。ずっと仕えていた騎士が本当は他国の皇子様だった、なんて今時おとぎ話でもありえない。
「おっしゃる意味がわかりません」
「惚れた女を他の男に盗られてもいいのかなっていうことだよ」
 盗られるもなにも、俺のものだったときなどないのに。
「……俺では、あいつは傷つくばかりですから」
 何度でも思い出す。脳を揺さぶる、あいつの声。
「傷つかない恋はないだろうね。それが本気なら本気であるほど。君が手を伸ばさないままでいることでさらに傷つくこともある」
 耳に痛い言葉に気まずさを感じて目を逸らした。傷つかない恋なんてないのだとしても、それでも。
 何度も何度も傷を負えば、心だって疲弊する。そこにあるのは安らぎじゃない。そんな結婚は、あいつにはしてほしくない。
「……俺には公爵家に対する責任もあります。俺と結婚したところで嫌な顔をする貴族ばかりいる」
「君はただの公爵家のつもりなのかな。ハウゼンランドにおいてうちの援護がある家という意味では王家よりも強い力を得ているといっても過言ではないけど」
「それは」
「そんなにのんびりしているから、他の男に持って行かれるんだよ。ただでさえ女の子はあっという間に綺麗になるのに」
 図星をつかれたような気分になって、何も言い返せなくなる。
 もともと容姿には恵まれている妹分。けれど俺は北の姫と呼ばれた母を筆頭にそういった綺麗どころには見慣れていて、かわいいし綺麗だとは思うけれどそのことに動揺することなんてなかった。なかったはずだった。

『誰よりもしあわせになんて望むなら、だったらあんたのその腕一本でしあわせにしてみなさいよ!』

 涙をたたえたまま睨みつけてくるフランディールの声も体温も瞼の裏に焼き付いている。側にいないのに、目を閉じるといつだってすぐ側にいるような錯覚さえ起きるほどに。

 いとおしくていとおしくていとおしくて。

 側にいたら、もうきっと耐えられない。手を伸ばして、この腕の中に閉じこめて、他の男の目に触れないように閉じこめてしまいたくなるに、決まってる。













copyright© 2014 hajime aoyagi.
designed by 天奇屋

inserted by FC2 system