金の姫と婚約者候補たち

第6章:私の王子様はどこですか?(5)








 国中を真白に染め上げていた雪が空から舞う回数も減り、わずかに春の気配を感じさせる頃となった。北国ハウゼンランドの長き冬もまもなく終わる。
 そんな季節に、城で久方ぶりに大々的なパーティーがあると聞けば冬の間屋敷に籠もっていた貴族たちも顔を出す。なんとあの金の姫の婚約者がついに決まるらしいのだ。婚約者候補などという奇妙な話が出たのはもう二年近く前のこととなる。金の姫、フランディールはたいそううつくしくなった。

 アヴィランテを訪問していたキリルも、つい数日前に帰国した。フランディールとは、まだ顔を合わせていないが国王へは帰還の挨拶をしに来たらしい。
 逃げられているということは分かっていたので、フランディールも追いかけることはしなかった。何しろフランディールは忙しいのだ。パーティーは夕刻からだというのに、起きるなり朝からみっちりと磨き上げられていた。
 金の髪はより艶やかに、白い肌は汚れを知らぬ雪のように白く、頬は桃のようにわずかに色づいて、爪の先から髪の一本に至るまで手入れには余念がない。
 うつくしさは女の武器だ、というのは伯母の教えである。
「フランディール様、お綺麗ですよ」
 萌葱色のドレスは腰の細さを強調するものの、下品さはない。ふわりと広がる裾に、胸元は少し開けて、エメラルドのネックレスをつけている。侍女たちには赤やピンクのドレスがいいと抗議されたが、着てみればこの色はフランディールのうつくしさを何よりも引き立てているようだった。
 金の姫。フランディールは、春を象徴するかのような姫だ。


 今日はエスコート役はいない。フランディールはカーネリアを連れる兄とともに会場へと入った。セオルナードは両手に花ですねなどと言われていた。
 あちらこちらの視線がフランディールただひとりに注がれる。婚約者は誰に決まるのだろうかと皆が興味津々なのだ。ついこの間、噂のあったジュード・ロイスタニアだろうか。それとも未来の騎士団長か、と皆が好き勝手に噂している。
「フラン」
 最初にフランに声をかけたのはヴェルナーだった。少しずつ背が伸びた彼は、今はもうフランより背が高く少年と青年の境を行ったり来たりしている。
「最初のダンスを申し込んでも?」
「もちろん」
 ふふ、と笑ってヴェルナーの手をとった。昔は少しリードが拙いところがあったけれど、今では安心して任せられる。いよいよだね、とヴェルナーが小さく呟いた。
「そうね」
「緊張している?」
「……少し」
 苦笑すると、ヴェルナーはふわりと微笑んだ。一曲踊り終えると同時に、フランディールの指先にキスをする。
「大丈夫だよ、フランディール。君は誰より綺麗だから」
 そう言って励まして、そのままジュードと交代した。視線が一気に集まるのを肌で感じながら、ジュードもフランディールも苦笑する。
「ネイガスはどうでした?」
「こちらとそう変わりませんよ」
 一時ネイガスに帰国していたジュードも、このパーティーに合わせて来てくれた。踊りながら「ほら、やっぱり」なんて声が聞こえてフランディールは笑う。世の人はフランディールが候補の中から誰かを選ぶのではなく、突然現れた彼に期待しているらしい。その方がおもしろいというだけなのだろう。
「キリルには会いました?」
「まだよ。避けられているみたいだから」
 馬鹿な男ですね、とジュードが零したところでまた一曲が終わる。ふたりに注目していた人々はこのままダンスを続けるだろうと思ったが、フランディールはその手を離してヒースと向き合った。騎士団の正装を着ている彼はやはりかっこいい。
「素敵ねヒース」
「姫こそお綺麗です」
「お世辞もうまくなったみたい」
 くすくすと笑いながら踊る。くるりくるりと、フランディールはそこに咲いた花のようだった。シャンデリアに照らされる金の髪はより濃く、蜜色に輝いている。
「あなたが初恋の人で良かった」
「……光栄です、我が姫」
 そしてヒースは手の甲に口づけて、その姿を見ながらフランディールはまさに王子様みたい、と笑った。
 ヒースから離れたあと、フランディールはすぐに彼を見つける。浅黒い肌は南国で少し焼けたのだろうか、精悍さが増しているように見えた。紺碧の上着は彼によく似合っている。
「久しぶり、キリル。おかえりなさい」
 三曲続けて踊ったので少し息が切れている。微笑みながら傍へ近づくと、キリルは一拍のあとに「ああ」と笑った。
「……ただいま」
「アヴィラはどうだった?」
「まぁ、いろいろすごかったよ。まぁ皇帝陛下にしごかれた」
 冗談を言えばフランディールは楽しげに笑った。キリルはそれを眩しそうに見つめて、言葉を探す。するとフランディールはキリルを見上げながら手を差し出す。
「一曲おつきあいいただけるかしら? 見て分かるとおり候補の人たちと踊っていたの」
 最後だから、と付け足すと、キリルも断ることなんてできない。
「誰か、俺聞かされてないけど」
 キリルが小さく呟いた。もしかしなくても婚約者のことだろう。
「帰ってきて挨拶にも来ない薄情者に教えるわけないじゃない」
 フランディールがつんとすまして言い返すと、キリルも困ったように「それはー……あー……」と言葉を濁した。
「なんてね、冗談だけど。本当はまだ決まってないの」
「――は?」
 キリルは自分の耳を疑った。フランディールは笑ってそれきり黙り込んでしまったので、キリルはどう聞き出そうかと頭を悩ませていたが、そうしているうちに一曲終わる。なんて短い、とキリルは名残惜しく思ったがフランディールは「ありがとう」とするりと去ってしまった。


 フランディールが一人になった途端に、彼女の周囲には人が集まり始めた。皆が口々に同じことを聞いている。
「姫様、そろそろ意地悪なさらないで教えてくださいませ。婚約者はどなたなの?」
 取り囲んでいるのは令嬢たちが中心だが、他の誰もが耳を澄ませている。もちろんキリルも同じだった。
「ふふ、実を言うと、私は今賭けをしているんです」
 フランディールは恥ずかしそうに笑いながら話し始めた。心なしかダンスの曲の音も小さくなって、誰もが彼女から紡がれる言葉に注目している。
「私にはとても大好きな人がいて、その人に愛を告白したけれど、受け止めてもらえてません。自分はふさわしくないからとばかり言って頷いてくれないんです」
 まぁ、と令嬢たちからはため息を吐き出した。
「ですから、今日。最後のダンスをその人から誘ってもらえないのなら、私は修道院に入るつもりでおります」
 ざわり、と会場中がざわめいた。
 婚約者を決めると宣言した場で、最後のダンスを踊るのは婚約者だけだ。ハウゼンランドでは昔からそういった風習が残っていて、王家はたいていこれに習っている。しかし相手は分かり切ったもので、フランディールのように誰か分からぬままというのは珍しい。
 しかも、あの金の姫が修道院に入るだなんて。他国の王も王子も、国内の貴族だって欲しがるあの金の姫が。
 ざわめく周囲から抜け出して、フランディールが再び一人になったところをキリルは捕まえた。
「キリル」
 どうしたの、なんてきょとんとした顔のフランディールに怒りすら覚える。

 だって、どうして。
 人々に囲まれて、たくさんの人に守られて、たった一人に愛されて、そうして生きていくのがこいつのしあわせだと思っていたのに。
 たとえフランディールが愛していなくても、フランディールを愛している誰かと結ばれればしあわせになれるだろう。一心に愛されていれば、フランディールだって愛することができるだろう、そう思っていたのに。
 どうして。

 フランディールの発言から賑わぐ会場は、その本人が消えたことにも気づかない。キリルはバルコニーまでフランディールを強引に連れ出した。
「どういうつもりだよ」
「どういうつもりって?」
 怒りを隠さないキリルにまったく怯える様子もなく、フランディールは首を傾げた。
「修道院に入るとかなんとか、おまえ何考えてんだよ!」
「キリルのことしか考えてないわ」
 怒鳴ったキリルにも負けずフランディールはきっぱりと即答した。考えてもいなかった返答に、キリルは返す言葉を失う。
「国のためなら愛のない結婚もできると思っていたけど、無理みたい。だって私、キリル以外の人とキスなんてしたくないしできないもの。宣誓のキスもできない相手と結婚はできないじゃない?」
「そ、んなのわからな……」
「ジュード様にされそうになってひっぱたいたから無理よ。似ている人なら我慢できるかと思ったけどね」
 おいまてそれはどういうことだ、と問いつめそうになってキリルはまた言葉を飲み込んだ。
「お父様からもお許しいただいたし、私が勝手に自分で決めたことだから、キリルは気にしなくていいわ」
 俺は、とうまく声が出せなかった。
 フランディールは淡く微笑んで、そして去っていった。

 私は選んだ、だからあとはキリルが選んで、と。




 パーティーが終わりに近づくと、フランディールの周囲ではそわそわとしていた。
「姫様、さすがにその若さで修道院は……ハウゼンランドにはまだまだ素敵な方がいらっしゃいますし」
「何を言っているの、姫様の申し出を断ることができる男性なんていませんわ」
 実に好き勝手に話している人々を前に、フランディールはただ微笑んでいた。
「どうであれ、私の決意は変わりません」
 とだけ、きっぱりと言い切る。そんなフランディールの潔さに、胸を打たれる者も少なくなかった。
 夜も更けて、ついに最後の曲が近づく。
 セオルナードは婚約者のカーネリアの手を取り、しあわせそうに微笑んでいる。他にも、婚約者のいる者や既婚者は最後のダンスを楽しもうとしていた。

 フランディールはただ、そんな光景を微笑みながら見つめていた。

 キリルは足が凍り付いたように動かなかった。最後の曲がはじまる。最後のダンスを踊らない人々は自然とフランディールに注目する。幾人かは噂のあったジュードを見ていたが、ジュードはにこりと笑ってそれらの視線をかわしていた。
「いつまでそうしてんの?」
 呆れたようにヴェルナーがキリルを睨んだ。
「あなたはまた姫を泣かせる気ですか?」
 人に泣かせるな、なんて言っておきながら。ヒースもにこやかな表情とは裏腹に苛立ちが滲んでいる。
「いいかげんにしてくれますかね。ここまでお膳立てしたの誰だと思ってるんです?」
 はぁぁ、とため息を吐き出すジュードについては問いただしたいものがあるが、それ以上にキリルはフランディールから目が離せなかった。笑顔だけど、わかる人間にはわかる。フランディールは怯えていた。たったひとりの人に、手を差し出してもらえるかどうか。

 ――手を差し出しても、いいんだろうか。
 もうずっと、ずっと、長いこと、手に入れてはいけないものだったのに。

 キリルがフランディールのもとへ歩み寄ると、空気がざわついた。中には攻撃的な視線もあった気がするが、そんなものを気にしている暇はない。
 だって、今行かなければフランディールは泣いてしまう。
「フランディール」
 キリルが名前を呼んでも、フランディールの氷は簡単に溶けてくれないらしい。今にも泣き出しそうな顔のままキリルを見つめている。キリルが微笑みかけると、くしゃりと顔が歪んだ。
「……観念してよ。あいしてるってゆって」
 震えるフランディールの声が、いとおしくていとおしくて、キリルは笑った。

「――あいしてるよ、世界にたったひとりの俺だけのお姫様」

 そう言って、キリルはフランディールの額にキスを落とした。


「俺と、踊っていただけますか?」














copyright© 2014 hajime aoyagi.
designed by 天奇屋

inserted by FC2 system