金の姫と婚約者候補たち

第2章:失恋って苦しいものですか?(2)







 ぼんやりとすることが増えた。恋というものに落ちてから。
「フラン?」
 まだ声変わりしきっていない、少年の声ではっと我に返る。ヴェルナーと目が合った。彼の手元にある本はすでに閉じられていて、もう読み終わったのだと言外に告げられる。湖の傍、ひやりとした空気が心地よいこの城は、外で過ごすのも暑さをあまり感じずに過ごせる。東屋ならば日も遮ることができるので、読書を楽しむにはうってつけだ。
「ごめんヴェル、なんて?」
 話しかけられていたことにすら気づかないなんて、重症だ。苦笑しながらフランディールが首を傾げると、ヴェルナーはふぅ、とため息を零す。
「本、全然読んでいないみたいだけど。具合でも悪い?」
「へ、平気よ。ちょっとぼーっとしていただけで」
「僕が一冊本を読み終えるまでが、ちょっとねぇ」
 ちくりとした嫌味に、フランディールは口籠る。ヴェルナーは本を読むのが早いのだから、ちょっと、でも間違いではないと思う。
 恋をしている、と自覚してからというもの、フランディールは考え込んだり、黙り込んだりすることが増えた。この先はどう進めばいいのかわからないのだ。その上、ヒースと話すのは恥ずかしくて長続きしない。ふたりきりなんてなおさらだ。自然とフランディールはヒースを避けているような形になってしまった。
「……フランが一言、陛下に言えば済むことでしょ」
 心の中を読んだかのようなヴェルナーの台詞に、フランディールは悲鳴をあげそうになった。じとりとヴェルナーを見つめると、呆れたような顔でヴェルナーはフランディールを見つめ返す。
「なんのことかしら?」
 誤魔化してみるが、ヴェルナーははあああ、と長いため息を吐き出した末に「バレバレだよ」と宣言する。その瞬間にフランディールは真っ青になった。
「ま、ま、まさか」
「キリルもたぶんわかってる。僕が気づくくらいだもの。本人はどうかな。ああいう性格の人ってそういう方面に鈍感だったりするから、大丈夫かもね」
 本人、と名前を出さないでいてくれるのはヴェルナーなりのやさしさだろうか。しかしキリルの名前を出してしまっている段階で自ずとわかってしまいそうなものだ。
「そんなに、わかりやすいかしら」
 フランディールは自分の両頬に手を当てて考え込む。あまり顔に出ないほうだと思っていただけに、衝撃だ。
「僕もキリルも付き合い長いもの。何がどうして何に悩んでいるのかも丸わかり」
「いーやー」
 それは傍目からすればさぞ滑稽な姿だったろう。穴があるなら今すぐにも入りたい気分だ。
 キリルもヴェルナーも、婚約者候補という立場上相談するのは気が引けたのだが、こんなことならもっと早くに相談していればよかった、と思う。自分から先に白状してしまえば、恥ずかしい思いもしなかっただろうに。
「フランが本当に好きなら、陛下に言えばいいんだよ。『婚約者を決めました』って」
 ヴェルナーの台詞に、耐え難い誘惑を感じる。けれどそれよりも理性が働いて実行に移せない。
「……それは、相手の気持ちを無視していることになるわ」
「どうしてさ。僕らは婚約者候補なんだから、意思確認なんて必要ないよ」
 たとえ候補という名はついても、それは婚約者になるという可能性があることを認めて受け入れたのだから、とヴェルナーの正論はフランディールに甘い。
 でも。

「ねぇ、ヴェル。それは恋の手段として正しいのかしら?」

 フランディールがヴェルナーを見つめながら問う。ヴェルナーはフランディールの瞳から目を反らせないまま――答えることができなかった。
 恋の行く先に、結婚があるのはいい。しかし、恋を自覚したばかりのフランディールが相手に思いを伝えることもないまま、婚約者に決定するというのは、どうなのだろう? まるで反則ではないだろうか?
 フランディールが首を傾げてヴェルナーを見ると、彼はひどく傷ついているような、悲しんでいるような、そんな顔をしている。
「……ヴェル?」
 だいじょうぶ? と問いそうになりながらフランディールが手を伸ばすとヴェルナーはわずかに後ろに下がった。
「ち、がうね。……正しくなんてない。ごめんフラン」
「ヴェルが謝ることじゃないわ。間違ってもいないと思うもの」
 そもそも婚約者候補とはなんのためにあるのかを考えれば、ヴェルナーの言うことは正しい。早急に婚約者を決めてしまば、この間のような問題も起きないかもしれない。中途半端な状況が、他人に隙を与えているのだ。
「どうせなら、少しでも恋をしているっていう状況を楽しんでみたいわ」
 叶うにしろ、叶わないにしろ、恋をできる期間は限られているから。
「初恋もまだなんて、フランは変わってるよね」
 ヴェルナーは閉じた本を再び開き、ぱらぱらとめくりながら呟いた。伏せられたヴェルナーの瞳をフランディールは見つめる。男の子だけど、睫が長い。
「よく変わっていると言われるけど、恋愛に関しては初めてかもしれないわね。そういうヴェルは、初恋を経験済み?」
 ただの興味だった。ヴェルナーは目を閉じて、はぁとため息を吐き出す。
「秘密」
「それはあるって言っているようなものね。でもお兄様だって今まで恋したことないと思うし、私は変わってなんかないわ」
「変わり者の兄妹ってことじゃない」
 ばっさりと切り捨てられ、フランディールも言い返せない。自分のことは置いておくとしても、セオルナードの堅物っぷりは変といわれても仕方ないような気がする。けれど、それが兄の良さなのだと主張しておく。
「初恋は実らないなんて聞くけど、お兄様のことを考えると当たらないのね」
 ふふ、とフランディールは笑ったけれどヴェルナーは目を伏せた。ぱたりと、本を閉じる。
「例外もあるだろうけど、わりと当たるよ、それ」
 平坦なヴェルナーの声が、部屋の中にやけに大きく響いた。ヴェルナーはフランディールの目を見ずに伏せたままなのに、フランディールはヴェルナーから目を離せなかった。

「初恋が実るなんて、きっとこのハウゼンランドで南国の花が咲くくらいに、奇跡に等しいんだ」


 それは、とても悲しげな声だった。












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