金の姫と婚約者候補たち

第2章:失恋って苦しいものですか?(3)







 ヴェルナーと別れ、結局読み終えることのできなかった本を抱えて歩いていると、数メートル前に兄とその婚約者の姿を見つける。一昨日この城に到着してから、フランディールたちと同じようにのんびりと過ごしていた。
 お兄様、と声をかけようとするが、やめる。
 セオルナードは目を細め、カーネリアの髪を撫でていた。その仕草はフランディールにもよくすることなのに、纏う雰囲気が甘い。しあわせそうに微笑んでいて、カーネリアもまた嬉しそうに笑っている。
 ――初恋を実らせることが奇跡なら、この二人はこれからもしあわせであるに違いない。この二人だからこそ、奇跡は起きたのだ。そう、自然に思うことができる。
 ちくりと胸が痛んだ。
 奇跡はそう何度も起きないから奇跡なのだ。
 ならばフランディールの心に芽生えたばかりの恋は、どうなるのだろう?


 ざわりざわりと、何かがフランディールを囃し立てる。じっとしていられない、とにかく何か行動しなければ、という気持ちが湧き上がってくる。何をそんなに焦るのか、と冷静な自分が意見するのにも耳を傾けない。
 ――会いたい。
 気持ちが伝わってしまうのではないか、なんて心配はしていられない。今はただヒースに会いたかった。あの穏やかな声を聞きたい。私はこの人が好きなのだと、再確認したい。
 叶わなくてもいいと思っていた。もしこの先婚約者を決めることができなくて、政略結婚をすることになったとしても、恋をしたという記憶があるだけでいいと。それだというのに心が欲を出す。兄のように、しあわせになりたい。好きなひとに、好きだと言ってほしい。好きなひとと、ともに生きたい。
 フランディールは踵を返して中庭に向かう。ヒースはここ数日、昼間はキリルとともに剣の打ち合いをしている。いつも遠く窓越しに見ているから、知っている。
 ぱたぱたと走ると、フランディールの長い金の髪はきらきらと日の光を受けて輝きを放ち、風に揺れる。
 剣と剣がぶつかり合う音が聞こえた。その音だけで激しさがわかる。フランディールが中庭に辿りついたとき、ちょうどキリルがヒースの剣をはじいて、その喉元に切っ先を突きつけていた。お互い息が上がっている。
「……参りました」
 ヒースが苦笑し、負けを認めたところでキリルも剣をひいた。二人とも汗だくだ。いったいどれくらいやっていたのだろう。
「……二人とも、少し休憩したら?」
 ついフランディールが声をかけると、ヒースもキリルも今フランディールの存在に気づいたのだろう、驚いて目を丸くしている。
「いたのか」
「さっき」
 キリルの問いに、フランディールは短く答える。ヴェルナーの読みが正しければ、キリルもフランディールの気持ちに気づいているはずだ。避けていたはずなのに、顔を見せたから驚いているのだろう。
「では、かっこ悪いところを見られてしまいましたね」
 照れくさそうにヒースが笑うと、フランディールの胸はどきんと鳴る。ああ、こういう顔もするのか。大人なのにちょっとかわいい、なんて思ってしまう。
「ヒースはかっこいいわ」
 考える暇もなく気づけば口にしていた。恥ずかしさがあとからやってきて、フランディールは頬を赤く染める。
「ありがとうございます」
 お世辞だとでも思ったのだろうか。ヒースはにこやかに笑うだけで、フランディールの赤くなった頬について言及することはない。普段こういうときに茶化しそうなキリルが黙っているのは、茶化してはいけないと気づいているからだ。やっぱり幼馴染にはバレバレらしい。
「私も稽古しようかしら? この城に来てからやっていないし」
「やめろよ。俺がセオルに叱られるだろうが」
 キリルは迷惑そうに言うので、フランディールは頬を膨らませた。父や兄はフランディールに対して過保護なところがあるので、勝手に稽古などするとあとで小言がやってくる。城での稽古はほとんど母に相手をしてもらっていた。
「姫も剣を?」
 ヒースが問いかけてきたので、フランディールはどき、としながら「ええ」と答えた。
「私のお母様はもともと騎士であったということもあって、女であろうが姫であろうが、使えるようになっておくほうがいいと。小さい頃から稽古は受けてます」
「ああ、どうりで」
 ヒースの納得したような様子に、フランディールは首を傾げる。
「腕を掴まれている状態で、うまく振りほどいていたようでしたので……と、失礼しました」
 あの夜の騒動のときの話だとフランディールはすぐにわかった。だからこそ、フランディールには思い出したくないことだとヒースは思ったのだろう。
「護身術も教わってます。役にたったのはあのときが初めてでしたけど」
 にこりと微笑みながらフランディールが答えると、ヒースは一瞬だけ目を丸くした。フランディールくらいの年頃の少女にとっては恐ろしい体験であっただろうに、フランディールはそれを感じさせない。けれど、怖くなかったわけではないはずだ。周囲に心配をかけないように、と笑っているのだとわかってしまう。その健気さが、まぶしくもありもどかしくもある。
「ねぇヒース。稽古に付き合ってくださらない?」
 まるで甘いお菓子をねだるように、フランディールは言った。ヒースは自分の耳を疑った。キリルは嫌そうな顔をしている。
「お母様くらいしか稽古をつけてくださらないの。お兄様は手加減が苦手だから嫌だとかおっしゃるし、キリルはお兄様に文句を言われるとか言うし。駄目かしら?」
「殿下がお許しになっていないのようなことを、私がするわけには――」
「でもヒースは副団長だし、稽古はお兄様やキリルより慣れているのではなくて?」
 それは、とヒースが口籠る。フランディールの言うとおりで、いろいろな実力の人間を相手にしているヒースは適任かもしれない。
「いいんじゃねぇの。付き合ってやれよヒース」
 猫のように欠伸をして背伸びしながら、キリルが言う。持っていた稽古用の剣をフランディールにほい、と渡してしまった。
「もっと動きやすいドレスを持ってくるべきだったかしら。これではちょっと動きにくいわ」
 うーん、とドレスの裾を持ち上げながらフランディールは呟く。王城で着ているドレスよりも飾りが少ないのはフランディールの好みだ。
 どんだけ本気でやるつもりだよ、とキリルは苦笑し、フランディールの頭をぽんぽんと撫でて中庭を去る。ヒースがその背中に何か言いたげだったが、結局何も言わずに見送っていた。













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