可憐な王子の騒がしい恋の嵐
27
偶然だろうか、必然だろうか――。
シェリスネイアは頬杖をついてぼんやりと窓の向こうの景色を見つめる。
あの人の容姿は、どう考えても北国のそれではなかった。
どちらかといえば――そう、南国のもの。いや、南国の人間そのものと言っても過言ではないだろう。
黒い髪に、濃い肌。瞳の色は確か緑色だった――。
『あの騎士殿とはあまり、似てないのね?』
『私は、養子ですので』
つまり、この国の人間ではないということ?
南国の人がどうしてこの国に――しかも年頃もシェリスネイアの兄と同じくらいだ。
これは偶然だろうか?
偶然にしては出来すぎている。
優しそうな瞳をしていた。気遣わしげにリノルアースを見ていた。彼が兄であったなら――あの双子のように、なれるだろうか。
「……確かめてみる価値は、あるわよね?」
自分の願望と言われればそれでおしまいかもしれない。
当初は兄が生きているなんて露ほどにも思っていなかったのだから。
そこで可能性の高い人を見つけて、すがり付いてしまうのは都合の良い話なのかもしれないけれど。
――――それでも。
■ ■ ■
とりあえず一番顔に出るアドルバードは今後シェリスネイアと接触を避けるように、バウアー家の二人からきつく言い渡された。
「……今日は、リノルアース様の部屋で休みます。アドル様、くれぐれも迂闊に部屋から出たりしないでくださいね。シェリスネイア様に会っても平常心で」
レイが突然そう言い出し、アドルバードは大慌てだ。
「ちょちょちょちょちょっと待て! なんでおまえがリノルの部屋に行くんだよ!」
大抵レイはアドルバードの部屋の隣室で就寝する。同性の騎士ならばそれが当たり前だし――レイの場合もあらゆる意味で危険はない。アドルバードにはそんな甲斐性は存在しない。
「今夜はたぶん一人では心細いでしょうから。ルイが添い寝するわけにもいかないでしょう?」
「ねねねねねねね姉さんっ!!」
当たり前だと言いたいのにも関わらず、冷静な姉のセリフに動揺を隠せないルイは顔を真っ赤にして慌てる。
「ルイが代わりにアドル様についてくれ。隣にいつも私が使ってるベットがあるから」
「おいこら待て! ルイがレイのベット使うのか!?」
「そこでどうして過剰反応する必要があるんですか。姉弟ですよ?」
それでも心の狭いアドルバードには許せない事態であって――そもそも惚れた女の残り香がするベットに、弟であろうともどうして侵入を許せようか。
「こいつには前科がある! 昔はレイが好きだったっていうし!!」
「そこでバラしますか普通! 人の初恋を踏みにじらないでください!!」
ルイが顔を赤くしたり青くしたりしつつ、アドルバードの口を塞ごうとする。
「……ではアドル様の寝台で二人で寝ればいいでしょう」
ふぅ、と呆れたようにため息を零しながらレイが新たな提案をする。
「誰が男と添い寝して嬉しいか!!」
「それはこっちのセリフですよアドルバード様!」
ぎゃあぎゃあと喚く二人を見て似たもの同士だなという感想を思い浮かべながら、レイはさらなる提案をする。
「ではルイが長椅子なりソファで寝ればいいでしょう……それとアドル様」
「は、はい?」
少しだけ怒ったようなレイの声に、自然とアドルバードは背筋を伸ばす。
「了見の狭い男はもてませんよ」
それが痛恨の一撃だった。
結局アドルバードはルイがレイのベットを使うことを泣く泣く許可し、レイはアドルバードの部屋を出てリノルアースの部屋に向かうことにした。
「姉さん」
その後ろをルイがついて来て、レイは振り返る。
「……いくら私がいたとしても、この時間にリノル様の部屋に入ることは許可しないが」
「いや、別にそんな理由では――送ります。姉さんも強いけど女性だし。それに」
話が、と呟かれて、レイは静かに頷く。
「……姉さんは、俺がアヴィランテについた方が良いと考えてるでしょう?」
隣を歩く姉を見ることが出来ずに、ルイはただ床を見つめた。
レイは何も言わず、ただ黙って歩く。
「俺としては、このままリノル様の側にいたい。それがハウゼンランドを危険に曝すことになっても――姉さんは、どうして」
たぶん、同じ立場になったら、この人も同じように願うだろうに。
「…………ルイ」
静かに、レイが口を開いた時だった。
ばっしゃりと、どこからかともなく水が降ってきた。それこそバケツをひっくり返したくらいの水が。
その大半がルイにかかり、上半身だけでなく全身がびしょぬれだ。
「…………はい?」
何が起きたのか飲み込めず、ルイはただ呆然とそう呟く。
「ももももも申し訳ありません!! 躓いたら水差しが物凄い勢いでそちらにいってしまってぇぇぇぇっ!!」
瞬間移動かと思えるほどの速さで女官がルイに駆け寄ってきて白々しいまでに頭を下げる。
「――――シェリスネイア様のお付きの方ですね?」
レイが静かに女官を見下ろす。特徴は南国の者のそれとしては地味で、一見どこの国の者か見分けは出来ないはずだが――レイは人の顔を覚えることが得意だ。
「え、ええと、その。姫様が喉が渇いたとおっしゃいまして、それで眠れないとおっしゃるものですから――ってそんな場合ではありませんっ! 早くお脱ぎください! 風邪を召されたら大変です!!」
「ってぇ! ちょっと! 人の服を剥がないでください!」
女官の手がルイの服に伸び、あの手この手と服を脱がそうとするが――。
「こんなところで服を脱いだ方が風邪を引きます。暖かな部屋に向かう途中でしたし、身体を鍛えた騎士ですのでご心配なく。それに若い女性が男性の服を脱がそうとするものではありませんよ。夜とはいえ、ここではどこから誰に見られているかも分かりませんから」
レイが静かな声で女官を止める。
その声に圧倒され――女官もしぶしぶといった態で下がった。
「シェリスネイア様がお待ちなんでしょう? 主人を待たせるのは関心しませんよ……失礼します」
そう言ってレイはルイの腕を引き、少しだけ歩調を速めてその場から去る。
「――姉さん?」
ルイは首を傾げて、前を歩く姉を呼ぶ。
「黙って歩け。リノルアース様の部屋で話す」
ここでは駄目だ、と呟かれ、ルイも口を閉ざした。
窓の向こうには、今にも折れそうなほどにか細い月が夜空の中で懸命に自分の存在を主張していた。
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