可憐な王子の結婚行進曲

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40:未来へ続く幸福の物語を

 窓の向こうは、眩しいくらいの青空だった。
 ハウゼンランドの短い夏の青空だ。澄んだ青空は自分や妹の瞳の色によく似ている。もちろん、彼女の青い瞳にも。
 昨年から、ハウゼンランドは祝い事続きだ。去年の夏、大陸の花と謳われるリノルアースがアヴィランテ帝国の皇子と結ばれ、姫という立場から公爵家の一員と変わった。新たに公爵家を、という声もあったが、ヴィルハザード皇子が『剣聖』の名を継ぐと決まり、その剣聖の名と共にあったバウアー家の家名を継ぐこととなった。弱小貴族であったバウアー家が、今や公爵家の一員だ。
 コンコン、と扉が鳴る。アドルバードは振り返って「どうぞ」と答えた。
「新郎の準備はどうかしら? 緊張している? お兄様」
 夫にエスコートされながら姿を現したのは、公爵夫人である妹だった。赤みがかった金の髪を結いあげ、若草色のドレスを身に纏っている。そのお腹のふくらみに、アドルバードは笑みを零した。
「今日にでも生まれそうだな」
「それは困るわ。愚兄の行く末をちゃんと見届けないと、安心して『お母さん』になれないもの」
 ふふ、と微笑みながらリノルアースはお腹を撫でた。すっかり『お母さん』の顔だよ、とアドルバードは内心で零す。妹の方が先に大人になっていくような、そんな気がした。
「大丈夫ですか? 喉とか、渇いていませんか?」
 甲斐甲斐しく妻の世話をするルイの姿は――正直、騎士であった頃をあまり変わっていない。
「大丈夫よ、過保護だわ」
「無理はしないでくださいね――リノル」
 お、とアドルバードが目を丸くする。いつの間にリノル『様』ではなくなったのだろう。少なくともアドルバードの前では今までずっとリノル様、だったはずだが。
「先にレイの姿も拝んできたわ。新郎は式までおあずけだものねぇ」
「……うるさい」
 試着の段階では何度か見ているが、一から作るドレスだ。完成した姿は、それはそれは綺麗なものに違いない。
「失礼するぞ。おお、少しは様になっているではないか!」
「許可する前に入るのはアルシザス流なんですかね。それと褒め言葉になってないだろそれ」
 どかどかと乱入してきたのはアルシザスの国王陛下――カルヴァだ。続けてウィルザードとシェリスネイアもやってくる。昨年生まれたばかりの娘を連れていた。
「アドルバード殿下、この度はおめでとうございます」
 以前にまして美しくなったシェリスネイアからは、人形めいた印象が消えている。今や夫を尻にしいて娘を育てる母親だ。
「ありがとうございます」
「私は、ようやく国王同士として並びたてると思っていたのだがなぁ」
 カルヴァがぽつりと呟き、アドルバードは苦笑した。そう、アドルバードは未だ王子のままだ。結婚式と共に戴冠を、という声もあることにはあったが、アドルバード自身まだまだ勉強が足りないと思っている。あと数年、父にしごかれつつ頑張ろうという結論に至った。あの狸親父はまだまだ健在だ。
「そういえば、兄が祝いを贈ると言っていましたけど」
 ふと思い出したようにルイが口を開いた。リノルアースがシェリスネイアとの久々の再会で話しこんでしまったからだろう。すっかり男はのけ者にして、二人はあれこれと昔話に花を咲かせている。生まれたのが男の子だったらシェリーのところへ婿にやろうかしら、なんて笑っているくらいだ。
「……ああ、山ほど届いているよ」
 まるで貧乏国のハウゼンランドに見せつけるかのような贈り物の山が、遠きアヴィランテから――ヘルダムから贈られてきている。昨年のリノルアースたちの結婚式には新郎側としてやってきたが、そう何度も遠出するわけにもいかないのだろう。今回は祝いのものと共に手紙が送られてきた。
「まぁ、昔のハウゼンランドに比べると考えられない話だな」
 苦笑しながらウィルザードが呟いた。アルシザスの国王がやってくるようになっただけでも驚きなのに、あのアヴィランテと繋がるなんて、と。
 ここ数年、本当にいろいろな縁があったなぁ、とアドルバードも笑みを零す。ハウゼンランドに閉じこもっていた頃では想像もできなかった。きっかけはどうであれ、得たものはかけがえのないものだった。
 そろそろね、とリノルアースが呟くと、来訪者たちはぞろぞろと部屋をあとにする。一人残されたアドルバードは、窓の向こうに広がる青空を見つめながら微笑んだ。ああ、いい一日だ。
 永遠の愛を誓うのに、これほど似合いの日はないだろう。






 しずしずとやってきた花嫁は、誰もが目を奪われるほどに美しかった。結いあげられた銀の髪には白い薔薇が飾られ、上等な白いドレスには一点の染みもなく。その名のとおり、『白』であった。
 レイ、とアドルバードは小さく名を呼ぶ。薄いベール越しに、レイが微笑むのがわかった。
 アドルバードが差し出した手にレイは己の手を重ね、神の前で愛を誓う。それは、これからどんな時でも傍らにいるという誓いでもあった。


 病める時も、健やかなる時も、いつか死が二人を別つまで。







 開け放たれたバルコニーに主役が顔を出すと、集まったハウゼンランドの民たちはわぁっと歓声をあげた。ああ、やはり夏に式をあげてよかったな、と思う。冬ではこうはいかない。
「レイ」
 隣に立ついとしい人の名前を呼んで、アドルバードは微笑む。
「なんですか、アドルバード様」
「俺がおまえにあげられるのは、俺自身しかない。でも俺は、俺のすべてで、おまえを守りたい」
 だから。何があっても、どんな困難がこれから待ちかまえていても。


「――傍に」


 レイは柔らかく微笑み返し、そしてしっかりと頷いた。


「はい、アドルバード様」


 それは、二人の間に交わされる、永遠の愛の誓い。





      *

      *

      *



 長いような短い話を終えると、娘はふふ、と笑みを零した。
「たいして面白い話でもなかっただろ?」
 結婚式当日に、こんなのんびりしていていいものだろうか、なんて思いつつ楽しそうな娘を見ているとまぁいいかという気分になってしまうのだから不思議だ。
「とっても素敵なロマンスでしたわ。私の知るお父様とお母様のままですけれど。けれど――そうですね、なんとなく、二人のお話を聞いていると私も不安がなくなった気がします」
「不安か?」
 結婚の一言では簡単に片づけられるものだが、これからの人生が大きく変わるのだ。不安がないわけがない。しかし根が明るいフランディールから『不安』という言葉を聞くと、父親としても心配だ。
「不安にまさる、楽しみがあります。娘が選んだ相手ですから、心配されなくても大丈夫ですよ。お父様」
「……そうですね。アドル様は少し心配しすぎです」
 上手くいきそうだ、と言っていたところじゃないですか。レイが苦笑するので、アドルバードは黙った。母娘二人を一度に相手にするのは、さすがのアドルバードもごめんだ。
「フランディール」
 代わりに、娘を手招きする。ときおり銀色にも見える、金の髪。どちらに似たのか、フランディールは小柄で華奢だ。
 その小さな身体をふわりと抱きしめて、背中をぽんぽん、と叩く。
「……しあわせに」
 言いたいことはそれだけだ。フランディールはぎゅうとアドルバードにしがみつくように抱きついて、何度も何度も頷いた。



 長い昔話の続きには、未来へ続く幸福の物語を。




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