可憐な王子の結婚行進曲

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8:今は、遠いなぁ

 はぁ、と急いで移動しつつため息を零す。


「殿下、それで二十一回目ですよ。ため息」


 呆れたようにセオラスが言う。いちいち数えてたのか、と聞きたくなったがやめておいた。自分でもやりすぎなのは分かっていた。
「愛しい恋人のところを離れて、嫌々仕事へ行かなければならない男の気持ちがおまえには分かるか?」
「あーはいはい、分かりますとも。それじゃあ早く済ませますかねー」
 聞き流すように答えるセオラスをじろりと睨みつける。
「当たり前だ! ただでさえまともにレイに会えないのに距離まで出来るなんて最悪だ!!」
「あーはいはい、ラブラブでいいことですねー」
 急いで馬を走らせているというのに、セオラスの口調はのんびりとしたものだ。まるで小旅行にでも行くみたいに。
 実際そんな簡単なことではないだろう、ということくらいは分かっているはずだ。ある意味その点気を使われているのかもしれない。下手に深刻に悩んでいる時間がなくなって良い。
 空を見上げると、重たそうな雲が広がっている。


「――……一雨、きそうだな」








 昼も夜もほとんど休まず――馬だけは気遣って、ただひたすらガデニア砦に目指していた。
「殿下、そろそろ休みましょう」
 セオラスが真面目な顔で声をかけてくる。空を見上げると、雲はどこかへ消えて月が浮かんでいる。月は随分高い場所にいた。
「……そうだな、ここで身体を壊しても意味ない」
 ため息を零して速度を緩める。野宿なのは覚悟の上だ。
「んじゃまぁ火の準備しますかね。殿下、大丈夫ですか? 毛布とか毛布とか毛布とかしかありませんけど、重ねりゃ少しは寝心地良くなりますよ」
「アホか。そこまで育ちのいい王子様じゃないから気にすんな」
 甲斐甲斐しい侍従のような振る舞いを始めたセオラスに顔を顰めながらアドルバードは地面に腰を下ろす。もともと服が汚れようが気にするような性格じゃない。
「楽でいいですけどね。一応は王子様なんで気にしてみたんですよ」
「しつけが厳しかったからな。主に騎士からの」
「姐さんが厳しいのは誰にもですからねぇ。騎士団ではそりゃもうしごかれたしごかれた」
 あはは、と笑いながらセオラスは慣れた様子で火をつける。
 パチ、と火が爆ぜた。静かな夜に火の音はやけに響く。
「……慣れてるな。騎士団はそんなことまでするのか」
「まぁ、一応は。いざってときは最前線に出るのが仕事ですからね。ハウゼンランドは平和ですけど、騎士団だけは優秀って褒められるんすよ」
 平和な国で優秀な騎士団を育てるのは難しいだろうに、とアドルバードは苦笑する。ディークのことを嫌でも思い出してしまうのは仕方ないんだろう。あのディークが妥協を許すわけがない。
「誇らしいよ。王族として」
 きちんとした騎士団があり、そしてその騎士が王家に仕えてくれることは、やっぱり嬉しい。
「殿下にそう思っていただけるなら本望ってもんです。……いいかげん寝てください。数時間したら起こしますから」
「ああ、火の番、ちゃんと変わるからな。起こせよ」
 まさかとは思うがセオラスに無理をさせるわけにもいかない。アドルバードは毛布にくるまって横になりながら念を押しておく。
「徹夜くらいどうってことないんですけどね。鍛え方が違いますから」
「起こせよ!」
 さらに念を押して今度こそアドルバードは眠りに落ちた。
 瞼越しに感じる月の光に、レイのことを思い出しながら。――夢を見るなら、彼女の夢がいいと思った。







 何故か珍しく寝つけずに、レイは窓を開けた。
 冷たい夜風が頬を撫でてさらに眠気を吹き飛ばしていく。心地よい風に目を閉じて、しばしの間無音を楽しんだ。
 空には寂しげに月が浮かんでいる。
 星は輝いているのに、どこか月とは距離を置いているように見えるのは、精神状態も関係しているんだろうか。
「――――……」
 アドルバード様、と呟きそうになって止めた。
 声に出したら最後、自分の中の感情が溢れだしそうな気がする。
 どこにいるんだろうか。まだ砦には到着していないだろう。野宿することになっているのは間違いない。
 騎士の頃なら、傍にいることが出来たのに。
 これも間違いなく自分で選択した未来なのに、アドルバードの傍にいることが出来ない自分にやるせなさを感じている。
 自分にとっての幸せは、彼の傍にいることであって。
 傍にいれば、この手で守ることが出来る。それだけで充分なのだ。こうして会うことも叶わないほど遠い空の下にいるくらいなら。
「……アドルバード様」
 呟いて、本音を誤魔化す。
 本当に言ってはいけない言葉は、ここ数日いつも喉から出かかっていた。






 月は高いところから徐々に徐々に地平へと近づいていく。
 予定より少し遅れてセオラスと火の番を変わったアドルバードはただ黙りこんだまま空を見上げて呟いた。
 隣にいるのが当たり前すぎたのは、どれほど前のことだろうなんて。
「――……今は、遠いなぁ」
 その呟きが、何のことなのかもアドルバードには分からない。ほとんど無意識に口にしていた。
 目を閉じればすぐにでもレイの姿は思い浮かぶし、声は鮮明に蘇る。



 夜明けは近かった。 
 またずっと走ることになるだろう。ガデニア砦ももうそう遠くないところまで来ているはずだが。
 一向に伝令とすれ違う気配はない。もしかしたら、という希望的観測ももちろんあった。ただの職務怠慢ならば楽なのに、と思うのはいけないことなのかもしれない。しかしこの静けさは何かがあったと言われているようなものだ。
 砦のある方向を睨みつけて、アドルバードは拳を握る。
 覚悟はしておくべきだ。これから起きるかもしれない事態を受け入れるためにも。






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