太陽の消えた国、君の額の赤い花

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 私の好きな色。
 赤。
 私の嫌いな色。
 深紅。

 それでも目を閉じれば鮮明に思い出す。
 白黒の世界の中で、どこまでも残酷に、鮮やかなあの血色。
 私を苛む、あの日の忌まわしい記憶。





 長い歴史を持つイシュヴィリアナ王国において、王や王子は太陽の象徴とされてきた。その傍らで付き添うように、そっと静かに存在するの月がさすのは――神の愛娘、イシュヴィリアナの聖女の他にない。
 イシュヴィリアナには数十年に一人、額に花のような痣を持つ乙女が生まれてくる。その乙女は幼いうちに親元から引き離され、王都の外れにある月の塔で、聖女に育てられる不思議なことに、必ず一人の聖女が三十、四十歳を迎えた頃に新しい聖女が見つかる。決して聖女が――聖女の継ぐべき意思が途絶えることないように。
 しかし聖女は特に難しい知識など教えられることはなく、一般教養の他に宗教学を少し学ばされる程度で、同い年の少女と何ら大差ない。
 聖女は信仰の象徴で、月の象徴。
 王家が明るくイシュヴィリアナの未来を照らし出す存在ならば、聖女はただそこにひっそりと、静かに人を導く――そんな存在なのだ。



 現在イシュヴィリアナの聖女はいない。否、イシュヴィリアナがない。
 イシュヴィリアナ王国は、オルヴィス王国から攻め入られ、地図上から永久的にその姿を消した。
 国王は戦場で散り、たった一人生き残った王子は処刑される。
 国が滅んだのはついこの間のことで、王子であるアジムが処刑されるのは明日だという。
「ノーア様。聖女様。逃げましょうよ、こんなところから。きっと今にオルヴィスの者がやって来るに違いありません」
 怯える修道女達を宥めて、ノーアはため息を吐く。
 いつもは凛として気高い彼女達も、戦争と――そして敗戦したともなると、いつもの自信はどこへやら、がたがたと震えて、皆で手を取り合って己の身にふりかかった不幸を嘆いている。
「――逃げたい者は逃げなさい。私はここに残ります。……どうせ逃げてもすぐに見つかるもの」
 凛とした声でそう告げ、ノーアは自嘲的に笑った。
 ノーアの額には小さな赤い花のような痣がある。それはイシュヴィリアナの聖女の証。消すこともできない、神の加護の象徴。
「そんな――聖女様を置いて逃げるなど」
「もう聖女じゃないのよ、イシュヴィリアナは無くなったんだから。あの優しい陛下も、もういないの」
 ノーアはこみ上げてくる涙を堪えた。ここで自分が泣けば、この場は一層不安定になる。一番年若のノーアが毅然として、彼女達を慰めなければいけなかった。
 優しい、敬愛する国王を思って泣くのは、一人きりの夜に寝台の上で十分だ。
 生まれてすぐに月の塔に連れてこられたノーアには、家族はいなかった。先代の聖女はノーアが幼い頃に亡くなり、あまり記憶にない。ここを訪れたのは国王と、第一王子のアジムだけだった。
 ノーアは国王を父のように思っていたし、アジムのことを兄のように慕っていた。
 うう、と修道女がすすり泣く声が響く。
「あなた達は逃げれるのよ。このまま故郷に戻ってもいいの。誰もあなた達を責めたりしないわ。……もしかしたら私も殺されるかもしれない。ここは危険なの」
 まだ十六歳になったばかりの少女が、一回りも年上の女達に優しい言葉をかけ慰める。本当は一番泣きたいのはノーアなのだ。しかし彼女にはもう慰めてくれる存在はいない。
「お願いよ、皆は逃げて。私は大丈夫だから」
 そう言ってノーアは修道女を皆送り出した。
 故郷に戻れなくても、隣の町の修道院に駆け込めばいい。月の塔は危険だから避難してきたのだと言えばきっと助けてくれるだろう、と説明する。そんなことすら恐慌状態の彼女達には分からなかった。
「ニル」
 ノーアは一番親しい修道女に声をかけ、紙を手渡した。
 皆が泣き続ける中で、彼女だけがすぐに泣き止んで冷静だったのだ。
「一応、私の名前で手紙を書いておいたから、もしもの時はこれを使って皆を助けてね」
「……ノーア様」
 ノーアは微笑んだ。上手く笑えたと思う。
 月の塔にいる修道女は少ない。もともと聖女の世話をする為にいるのだが、聖女の暮らしぶりは王家と違って質素だ。
 ノーア自らパンを焼くこともあったし、畑仕事も出来る。あまりやらせてはもらえなかったけど。
 だから彼女達が急にいなくなったとしても、自分一人で生きていくことは出来る。
「大丈夫。…………行って」
 今夜は満月だ。すぐに逃げなければ簡単に見つかってしまう。
 幸いにして、修道女が逃げ始めると雲が満月を包み込んだ。一瞬にして静寂と闇が訪れる。
「ノーア様、どうかご無事で」
 ニルがそう言い残して、去っていく。




 もともと静かな場所ではあるが、ノーア一人になると一層静かだ。
 これからどうしよう、とぼんやりと考えているうちに、雲間から満月が姿を現す。もう遠くにも逃げゆく修道女の姿は見えないから、本当に短い間の奇跡とでも言うべきだろうか。
 月が静かに光を放ち、ノーアの足元には夜だというのに濃い影ができた。
「……太陽がなくなったっていうのに、どうやって月に輝けというの」
 その影を見つめ――影を作り出す月を見上げて、ノーアは呟く。
 月は太陽の光を受けて輝く。
 王家が消えた今、ノーアはただの少女に過ぎなくなった。
 それでも。
 オルヴィスにとってノーアは、これ以上ない脅威に違いない。
 亡国の権力者なのだ、ノーアは。王家に次ぐ――もしかしたら王家をも上回るかもしれない影響力をノーアは持っている。
 イシュヴィリアナの国民は、皆信心深い。
 ノーアは殺されるだろうか、と頭の片隅で思ったが、それを自分で否定した。
 殺すより、利用する方が賢い。ノーアを殺せば民は黙っていないだろう。王家の者が殺されるのとは違う。ノーアに戦争の責任を負う義務はないのだ。
 ふぅ、とため息を吐きだしたノーアの耳に、馬の蹄の音が聞こえた。
 見れば城のある方角から、馬が二頭走ってくる。
 ノーアはそれがだんだんと近づいてくるのを、ただ呆然と眺めていた。


「――……イシュヴィリアナの聖女、ノーア・ルティスか」


 手前の男が口を開いた。
 ノーアはただこくりと頷く。
 月夜だというのに、男の姿は鮮やかだった。
 燃え盛る炎のような、夕日のような、赤い髪。光の加減で金色にも見える榛(はしばみ)色の瞳。背は高く、身体は引き締まっている。頭一つ以上ノーアと身長差があるだろうか。
「まずは名乗るのが先か。俺はゲイル・イスヴェーダ・オルヴィス。イシュヴィリアナを滅ぼしたオルヴィス王国の国王だ」
 その男の言葉に、そして目の前の男の存在に、ノーアは息を呑んだ。
 どうして国王自ら、こんなところにいるのだろう――供らしい者はたった一人、無言のまま後ろに控えている男だけだ。
 ゲイルが不敵に微笑む。
 その顔が少しアジムに似ているなんて、ノーアは不覚にも思ってしまった。
 ――この男は、憎い敵なのに。


「俺の后になれ、聖女」


 自己紹介を終えた、最初の一言がそれだ。ノーアは驚きのあまり一瞬息をするのも忘れてしまった。
 賢い男なら、ノーアを利用するだろう。そう思っていた。
 なのに突然后になれなんて、どうかしてる。確かにノーアを娶るのは一番楽で、一番効果のある利用法だとは思うが、それをなんの前触れもなく、こんな形で言うなんて。
 それに――ノーアの中で、この男に対する憎しみがないかもしれない可能性なんて、ありえない。


「……あなたの后になるくらいなら、神に背くことになろうと舌を噛み切って死んでやるわ」


 この男はあの父のように慕っていた国王を殺した。そして、明日の日の出と共に兄のように優しくしてくれた、アジムを殺すのだ。
 ノーアが睨みつけると、ゲイルは可笑しそうに笑った。
 子供の虚勢だとでも思っているのだろう。オルヴィス王は確か二十五歳くらいだったと記憶している。彼には十六歳のノーアが幼い子供に見えているのかもしれない。
 そう思っていればいい。笑われても別に構わない。
 明日にはきっとそれを後悔するだろう。




 これは決して虚勢などではないのだから。







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