太陽の消えた国、君の額の赤い花

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『軍は、俺がオルヴィスへ戻るとほぼ同時にオアシスに向かうことになっています。俺がオルヴィスへ戻るのに早くて二日、オアシスへ出発して到着するまで最短で三日、しかしイシュヴィリアナからオアシスまでは早ければ一日で辿り着けます。あなたが旅に慣れていないことを考慮して準備に時間がかかったとしても充分に間に合いますよ』




 本来ならばそうノーアに助言してはいけないはずの立場なのにも関わらず、ロハムは去り際にそう話してくれた。
 わざわざロハムさんの帰りを待ってからなんて、随分と信頼されているのね――皮肉と純粋な感想を織り交ぜて笑うと、ロハムは「国王陛下からの信頼は一番厚いと自負しておりますので」と茶化すように笑った。
 あなたに無茶させたのがばれると、俺の首が飛ぶかもしれませんけどね、と苦笑する様子は相変わらずだ。
 その場合は必ず援護すると約束して――ノーアはロハムに手紙を預ける。いつもの手紙よりずっと短い。伝えたいことだけを書いた手紙。






「ラトヴィア、動きやすい服を用意して。砂漠を渡るのに必要なものも」
 ロハムが帰ってすぐにノーアは動き出した。
 手持ちのドレスなど役には立たない。まして月の塔から遠出したことのないノーアは旅に必要なものが何なのかすら分からなかった。
「ノ、ノーア様!? 一体どうしたんです!?」
 突然砂漠なんて言い出されたものだから驚きを隠せずにいるセリと、その隣でまるで全てお見通しかのように頷くラトヴィアがあまりにも対照的でノーアは思わず可笑しくなった。
 主の笑顔に、セリはほっと安堵する。今まで元気のなかったノーアをラトヴィアと二人で心配していたのだから、当然だ。
「オルヴィスがオアシスへ進軍するわ。私はそれを止めに行く」
 ほっとしたのも束の間、主の無謀とも言える発言にセリは真っ青になった。
「ノノノノノ、ノーア様!? そんなの無理です!! 危ないです!!」
「無理かもしれないし、危ないかもしれない。でももう決めたの。オルヴィスでもイシュヴィリアナでもゲイルを止められるのはたぶん私しかいないから」
 凛としたノーアの言葉に、セリは黙る。
「服は全て揃えなければ駄目ですね。あとマントと、食料。馬でいけるのは砂漠の手前までですから、その後は駱駝かイグーです。ノーア様はどちらも乗ったことありませんよね?」
 あまり動揺を見せずに準備のための会話を始めたラトヴィアはノーアに問う。
 砂漠では馬は使えない。蹄に砂が詰まって走りにくいのだ。普通は駱駝を使うが、急ぐ者はイグーを使う。イグーは駱駝に似た生き物だが、動きは数段早く、小回りが利く。
「ないわ」
「でしたら、駱駝の方が安全ですね」
「でも、急ぐの」
 ノーアが到着する前にオルヴィスがオアシスを攻め入れば――すべてが水の泡になってしまう。
「急がば回れです。イグーは扱いが難しい動物だそうですから、ノーア様では危険です。駱駝も遅いわけではありませんよ」
 そう言いながら書いたメモをセリに渡す。
「これに書いてあるものを買ってきてちょうだい。急いでね」
「はい!!」
 メモを大事そうに握り締めてセリは慌てて外へを走り出す。
 その後ろ姿をラトヴィアは微笑みながら眺めて、ノーアと向き合う。
「誰か、護衛をつけましょうか」
「いらないわ」
 オルヴィス軍のもとに行くなんて危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「オアシスまでの道のりなら案内人がいるでしょうし、途中までならキャラバンに混じってもいいわ。早めに着いたならオアシスに入ってアジムに知らせることもできるし」
「なら、その手配までは済ませておきます。くれぐれも額の痣は見せてはいけませんよ」
 ラトヴィアの怖い顔をみてノーアは分かったわ、と苦笑する。
 ノーアの額に咲く赤い花のような痣――イシュヴィリアナの聖女だという証。他国の者なら知らない人もいるだろうが、念には念を入れたほうがいい。
「準備はどれくらいで出来る?」
「明日の昼までには」
 その声は迷いがない。どんな手を使ってでも明日の昼までには全て用意するのだろう。
 窓の向こうの空は、もう赤く染まりつつあるというのに。
「……ありがとう、ラトヴィア」
 少し俯きがちに呟く。
 いつも母親のように、諭してくれた彼女に、今回は止められるかもしれないと少し危惧した。
「……ノーア様はあんまり我儘を言わない方ですからね。時々言う我儘くらいは叶えてあげたくなるんですよ」
 ノーア様は夕食まで休んでいてください、と優しく部屋へと連れて行かれる。
 その温かさが何よりも嬉しかった。








 走る。
 駆ける。
 ゲイルから贈られた愛馬に跨り、今までにないほど着易い服を纏ったノーアは砂漠まで急ぐ。
 マントを外しても額の痣は見えないように包帯を巻いた。何か聞かれたら怪我をしたんだと言えばいい。それ以外のノーアの外見はイシュヴィリアナではよくあるものだ。
 髪が風に舞う。
 通り過ぎた土地は緑が茂り、花が咲き乱れていた。
 しかし目の前に見え始めた土地はそれらの色を失っている。


 ――――砂の海。




 褐色の大地。
 緑が生えることの出来ない不毛の土地。
 それなのに、ノーアは美しいと思った。
 砂が模様を描き、いくつもの砂山を作る大地が。
 キャラバンと合流するまでに時間があったので、一人砂漠が見える丘まで上がった。
 ここがイシュヴィリアナの端の町。オアシスとイシュヴィリアナを繋ぐ町だけあってそれなりに栄えているようだ。
 馬は予定されていたように預けてきた。普通ならこの町で売って路銀に変えるらしいが、ゲイルからもらった大切な馬だ、そんなこと出来ない。あとでラトヴィアが使いを出して引き取りに来る。


 いつか、二人で見に行こうと――


 そう約束した砂の海が目の前にある。
 約束通りなら、隣にいたはずのゲイルはもちろんいない。


「私は、あなたの味方になりに行く」


 砂漠を見つめながらノーアは呟く。
 ロハムに託した、ゲイルに宛てた手紙に書いたたった一言。


 だってゲイルは望んでない。





 国王としての彼がこんな決断を下さなければならないのなら、私はただのゲイルのためにそれを止めに行く。





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