太陽の消えた国、君の額の赤い花

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39

 はじめての口づけは甘さなんてものはほど遠く、苦しさと切なさだけが胸に残る。


 そっと自分の指先で唇に触れる。
 ぬくもりなんてものはもう残ってなかった。


「ノーア様? 今日は随分とお早いんですね」


 明るいセリの声もノーアの耳には届かない。
 首を傾げて近づいてくるセリにも気づかずに、ノーアはただ空を見つめていた。
「………………ノーア様……?」
 気遣わしげにセリが問いかける。
 ようやくノーアはそれに気づいて、顔を上げる。
「あ、ああごめんなさい。セリ。おはよう」
「おはよう、ございます……何か、あったんですか?」
 あったわ。とっても。突然ゲイルが来たのよ。キスしたと思ったらお別れみたいなことを言うの。ひどいでしょう?
 頭の中で浮かんだ言葉をすべて飲み込んだ。
「何もなかったわ。ちょっとぼんやりとしただけよ」


 ほんのちょっと、夢を見ただけよ。











 慌しく動き回る臣下達をぼんやりと眺めながらゲイルは椅子に深く座り込んだ。
「……良かったんですか、それで」
 隣に立つロハムが小さく問いかける。
 これがゲイルの本心ではないことくらい、長い付き合いのロハムには分かる。
「――俺は、王だから。情に流されて国を危うくするわけにはいかない。ただ一人の言葉を根拠に決断するなんて許されない。不安の芽は摘み取る――――たとえ、誰に恨まれても」
 そのただ一人の言葉が、曖昧な噂より真実味があるとしても。
 このあやふやな状況では天秤は不公平に傾く。
 そんな辛そうな顔をするなら、違う選択もあっただろうに。
 ロハムはその言葉を苦い表情で飲み込んで、そうか、と答える。
「あと数日で準備は整います。……陛下もお休みください」
 部屋から出ようと扉まで行き、ドアノブに手をかけて振り返る。
「最後に、イシュヴィリアナへ行きます。何か渡すものは?」
 誰に、とは言わない。
 もちろんロハム自身何かあるとは思っていないが、心の奥底ではあって欲しかった。
「…………何も」
 そうですか、と答える声すら寂しく響いた。






「陛下がいらっしゃったそうですけど、何かありませんでしたか? ノーア様」
 部屋に籠もるノーアにラトヴィアは問いかける。ここ数日何度この質問を繰り返したのだろう。
「何も、ないわよ? またなのラトヴィア」
 苦笑して答えるノーアもここ数日変わりない。
 部屋から極力出ずに、本ばかりを読んでいる。ゲイルが月の塔にやって来たということすら警護の兵に聞くまで知らなかった。
 その日からノーアの様子がおかしいのは、ラトヴィアだけでなくセリでも分かる。
「ノーア様――――」
 今日こそは問い詰めようとラトヴィアが口を開いた途端に、控えめに叩かれるノックの音が聞こえる。
「失礼します。その、ロハム様がいらっしゃいました」
 ぴくりと、ノーアの肩が揺れる。
「まぁ、ノーア様、それでは」
「すぐ行きます、ラトヴィア紅茶を用意してくれる?」
 す、とすぐに立ち上がり素早く部屋から出る。




「ロハムさん――」
 急いで階下から下りたノーアは少し息を切らしながらロハムに駆け寄る。
「お久しぶりです」
 いつものような柔らかな微笑みを浮かべてロハムは言う。
 そしていつもならそう言いながら差し出される手紙は、なかった。
 明らかな落胆の表情を浮かべたノーアに、ロハムは苦笑する。
「……いつもの定期便は、ありませんよ」
「そうでしょうね」
 あるわけない、そう思ったのにどうしてこんなに急いで――。
「陛下が、オアシスへの進軍を決定されました」
「――え」
 言葉を失う。
 それで思い出されるのは、痛々しいゲイルの顔と、苦しい言葉。
『俺たちは、結局敵同士なんだな』
 そうね、と答えるしかなかった。
 だってノーアはイシュヴィリアナの聖女で、ゲイルはオルヴィスの国王だから。それはたとえ片方が過去のものでも変えられることのないことだから。
「オアシスに仕掛けて、無事でいられると思う?」
 オアシスは不可侵の神の土地。侵したものは決して無事に帰れないと、そう各国から恐れられてきた。
「ただ今までの奴らが運が悪かった、または迷信かもしれませんから。それにすぐに攻めたりはしませんよ。オアシスの近くで様子を見ます」
「――それでアジムだけを炙り出そうっていうの?」
 ノーアの言葉が鋭くなる。
 オアシスを、オアシスに住む人を愛するアジムなら――原因が自分だと分かっていて黙って見過ごすなんて出来ないだろう。
「……そういう風にもとらえられますね」
 本当にあなたは賢い、そう褒める言葉はノーアにとって意味がない。
 険しい表情のノーアを見て、ロハムは苦笑する。
「こんな卑劣な手を使うから、陛下はあなたと決別したんです。あなたの存在は陛下の良心にひどく訴えてくるから。そして、そんなことをした後であなたとの関係を続けようなんて図々しいことが出来る男でもないんですよ」
 愛してる、という言葉は同時にさようならでもあった。
 甘い言葉なんかじゃなかった。


 ねぇ、ずるいんじゃないの。
 伝えたいことを伝えて、私の気持ちは置いてけぼりなの?


「……それはつまり、私はゲイルと止めることが出来るということですよね?」
 いや、今はもうその価値はないのかもしれない。彼の心の中でノーアとの別れが過去として片付けられてしまっていたら。
 でもそれなら、ロハムがわざわざこんなこと言う意味が無い。
「そうですね」
 ロハムは満足げに微笑みながら肯定する。
「……ロハムさんは、私に止めて欲しいんですか?」
 こうしてノーアに会い、助言することはゲイルの決定に逆らうともいえる行動だ。
「王として、時にはこういう選択しかない時もあります。でもまぁ、後悔は少ない方がいいですからね」




 沈み込んでいた心が海面へと浮かび上がる。
 既に灰となった心に再び火が灯る。


 だって何もかも自分勝手すぎる。
 言いたいことをいって、一方的に別れを告げられて、嫌いになるように仕向けられて――そんなことでなくなるほどの想いじゃないのに。




 たとえどんなに辛い未来があっても、共にいたいと思えるほどに好きなのに。
 




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