魔法伯爵の娘

帰郷(4)


 マギヴィルを出ると、精霊の気配はわずかに薄れ始める。魔法使いの集まるあの場所は、精霊たちにとっても居心地が良いのだろう。街並みが見えなくなる頃には、学園が異質なものだったのだと実感した。
(当たり前になってきたけど、あそこはやっぱり精霊が多い土地なんだよな……)
 がたがたと揺れる馬車の中で、アイザは出立間際のことを思い出していた。


「シルフィもいく!」

 ルーの尻尾に抱きついたまま離れまいと駄々をこねるのは、まだ小さな精霊だ。
 荷物も既に馬車に積み終わり、別れの挨拶をしていたところで突然騒ぎ始めたのだ。どうやら今になってようやくアイザとガルにしばらく会えなくなるということを理解したらしい。
「……シルフィは駄目だ」
 厳しい表情でアイザが否と告げると、シルフィは首をぶんぶんと振って嫌がった。
「やー!」
 ルテティアは精霊にとってはあまり心地良い場所ではない。魔法使いと呼べる人間もほぼいないし、精霊たちが好む土地はほとんど残っていない。
 唯一、ヤムスの森が精霊の住処だと思われるが、そこにアイザに縁のある精霊がやってきて歓迎されるかどうかは怪しい。
(連れて行ってもしものことがあっても、わたしには対処できないし….)
 ルーのように長年生きてきた精霊は下級の精霊を呼び寄せるほどの力があり、彼らの住処が精霊の住処となると言っても過言ではない。それにもともとルーは、精霊の住める土地でなくなり始めていたルテティアにも居たことがある。
 だがシルフィはまだ幼い。万が一自分の身体に不調が現れたとしても、気づかずに弱っていく可能性もある。
 だから、連れてはいけないのだ。
「シルフィ、我儘を言っても駄目だからな。まだ精霊として生まれたばかりのおまえが行けるような場所じゃない。必ず帰ってくるんだから、それまでいい子にして待っていて」
 アイザが優しく諭しても、シルフィはむすりと頬を膨らませていた。
 生まれたばかりの小さな精霊は、近頃はすっかり一人であちこち飛び回っていたものだが、それでもアイザのもとへ戻ってきていた。すっかり懐かれてしまって、親離れの気配はない。
「……頼むな、クリス」
「頼まれてもな……」
 自由奔放な風の精霊に言うことを聞かせるなんて、普通の魔法使いにすら難しい。
 だがシルフィも一緒には行けないということは理解しているようだった。
「……やっぱりルーにも残ってもらおうか」
 シルフィもルーが一緒ならまだ心強いだろう。そう思ってアイザがルーを見下ろすと、むすりとした顔をしてルーは口を開いた。
「おまえと契約している以上、私はそばを離れるつもりはないぞ」
「どうしてもってお願いしても?」
 そもそもルーにとってもルテティアはあまり居心地の良い場所ではない。長期休暇の間向こうに滞在することも、彼にとっては喜ばしいことではないはずだ。
「当たり前だ。おまえにとっては向こうのほうが危険が高い」
 アイザに甘いルーも、甘やかすことよりも過保護である顔が出てきた。
「タシアンだっているんだから大丈夫だよ……」
「私が心配しているのはおまえが魔法を使うんじゃないかということだ」
「……う」
 護衛ではなく見張りが必要だと言いたいらしい。
(確かにそっちのほうが可能性としては高いかもしれないけどさ……)
「……何回かなら、平気だろ」
 アイザの耳元で揺れる光水晶は、魔力を溜め込んで翠色に輝いている。もしもの時のためにとルーが魔力を吹き込んでおいてくれたのだ。
「アイザはすぐ無茶するからなぁ」
「ガルには言われたくない」
 呑気なガルの発言をぴしゃりと跳ね返して、アイザはため息を吐き出す。

「……はやく、かえってきてねママ」

 ごねていたシルフィがすりすりとアイザに頬を寄せてくるので、アイザもそっと頭を撫でてやる。
 アイザの後ろのほうでドタバタと何やら騒がしい音がしていたが、ひとまずはシルフィをなだめることが最優先だ。
「パパもはやくかえってきてね」
「うん、いい子でな」 
 アイザに撫でられたあとでガルにすり寄るシルフィに、ガルも微笑みながら答える。また背後でガタゴトと音がした。
「……おまえら、なんでパパママなんて呼ばれてんだ」
 振り返ると、タシアンがなんとも言えない顔をしていた。驚いているのと、怒っているのと、困惑しているのと――とにかくいろんな表情が混じっている。
「なんか最初からそうだから、まぁいいかなって」
 けろりとした顔のガルに対してアイザはそっとタシアンから目を逸らした。
「直しても直らないから、諦めているうちに慣れてしまったというか……」
 なにやってんだ、と言いたげなタシアンの視線が痛かった。
(そりゃわたしだって好きでママと呼ばれているわけじゃないけど――)
 けれど、まっすぐに慕ってくれるこの小さな精霊がかわいくてしかたないと思うようになっていたことは、否定できない。



 空が赤く染まり始める前には町に辿りついた。
 タシアンは慣れた様子で宿屋を見つけると部屋をとる。このあたりはアイザやガルはタシアンに頼りきりだ。マギヴィルに来るまでもレーリがほとんどやってくれた。
「部屋に空きがないみたいだ。三人一部屋で大丈夫か?」
 わざわざ確認をとってくるタシアンにアイザは「もちろん」と答える。むしろ宿代がもったいないくらいので普段からそうしてくれてもいいくらいなのだが――おそらく可能な限りはアイザは一人部屋にされるだろう。国境騎士団は噂とは打って変わって紳士的な教育でもしているのかもしれない。
(節約する癖がついているから、一人部屋なんて贅沢にしか感じないんだけどなぁ……)
 魔法伯爵という名ばかりの爵位があった父は、ほとんど研究に没頭していたのでアイザは質素な暮らしをしていた。貧しいというほどではないが、豊かといえる暮らしではなかっただろう。
 自然とベッドはタシアンを真ん中にして、アイザとガルは離れた。そのことに少しほっとしながらアイザは自分の荷物を整理する。

 ――ガルのそばは、居心地がいいのに落ち着かない。
 そんな、矛盾している自分にアイザは軽い苛立ちさえ感じていた。

「あのさ、タシアン」
 出立前まではいつもどおりのガルだったが、マギヴィルを発ってからは随分と大人しかった。何か考えごとをしているらしい、というのはアイザにも伝わっていて、だから会話らしい会話もなかった。それが今のアイザには救いだった。
「どうした」
 タシアンは上着を脱ぎながら答える。
「……タシアンって強いんだよな?」
「まぁ騎士団を任されるくらいにはな」
 苦笑しながらタシアンが告げると、ガルは金の目でまっすぐに彼を見ていた。

「それじゃあさ、俺を鍛えてくれないかな」

 それは冗談でも戯言でもなく、心の底から本気で乞う声だった。
 アイザの脳裏には、夕闇の中で泣き叫ぶガルの姿が蘇った。唇を噛み締め、地面に向かって咆哮をあげる様はまさしく手負いの獣だった。
 近頃のガルは、強くなろうと必死だ。
「なんでまた?」
 タシアンもガルの真剣な声音に何か感じ取ったのだろう。問いかけは茶化すような色はない。

「……強くなりたい」

『強くなりたい。だから、必要なら勉強だってするよ』
 あれほど避けていた座学も、強くなるために必要ならばと真面目に勉強していた。これまでやってきたことだけでは足りないと、まるで渇きを覚えた獣が水を求めるようにもっともっとと、ガルは強さを求めている。
(……どうして、そんなに)
 急に、強くなりたいと、強くあらねばと、こだわるようになったんだろう。
 今だって、決してガルは弱いわけではない。これからマギヴィルで学んでいけば、慌てなくてもどんどん強くなれるはずだ。
「強くなきゃ、守れない」
 自分に言い聞かせるように、あるいは意図せずただ思いが零れたかのようにガルが呟いた。ちらりとタシアンがアイザを見て、青い瞳と目が合う。アイザは首を傾げてタシアンを見つめ返した。
「……ま、俺も身体が鈍るしな。付き合ってやるよ」
 荷物の中から剣を取り出してタシアンが立ち上がる。どうやら早速始めるらしい。
「外に出るぞ。アイザ、部屋から出ないで、俺たち以外には開けるなよ」
 わざわざ言われなくても平気なのに、と苦笑しながらアイザは素直に頷く。
「ルーがいるから大丈夫だよ」
 アイザのそばには大きな犬のフリをしたルーが堂々と居座っていた。そんじょそこらの護衛よりも遥かに頼りがいがある。

 ちょうど部屋の窓の下が宿屋の裏手だった。少ししてからタシアンとガルがやって来たのが見える。
 ガルは訓練用の木剣を持ってきていたのだろう、タシアンの剣は鞘におさめられたまま、打ち合う音が響いてくる。
「なんで急に、強くなりたいなんて言い出してるんだろうな?」
 二人を見下ろしながらアイザは首を傾げて呟いた。
「……少年は相変わらず報われないな」
 ルーがアイザの足元に伏せながら小さく呟いたが、アイザの耳には届かなかった。



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