魔法伯爵の娘

巣立ち


 アイザがマギヴィルに戻り、通常の学生生活に戻って五日ほど経った。今日は休日だ。

「それじゃあタシアン、気をつけて」

 授業のある日なら見送りもできないところだったが、タシアンがマギヴィルを経つのは偶然にも休日だった。
 授業をサボって見送りなんてことは後見人であるタシアンが許すはずもないが、休日となれば堂々と見送りに来ることができる。
「ああ、おまえらもちゃんと勉強しろよ」
 タシアンはアイザとガルの頭をくしゃりと撫でて笑う。
「してるよ今は」
 勉強しろとあちこちから何度も言われるものだからガルは不満げに唇を尖らせる。
「ガルは今はちゃんとしてるよ」
 くすくすと笑いながらアイザがフォローを入れた。長期休暇前と同様に、ガルは座学でも居眠りせずに真面目に授業を受けている。
「アイザはむしろ頑張りすぎないようにな」
「う」
 マギヴィルに帰ってきてから早速、遅れを取り戻そうと必死になっていたアイザには耳に痛い言葉だ。
 アイザの素直な反応に、タシアンはくすくすと笑う。その顔はどこか以前よりも晴れやかだ。
 タシアンとミシェルの婚約は無事に成立した……らしい。正式は発表はまだされていない。ルテティアはまだ喪にふくしているからだ。
 結婚式もすぐということにはならないだろうとクリスが言っていた。一年後か、もう少し先か。そんなところだろうか。
「じゃあ、またな」
「うん、また」
 まるで明日にでもまた会うみたいに別れを告げる。
 去っていくタシアンの背中を見つめていると、シルフィが不思議そうに首を傾げていた。
「お別れ? さみしい?」
 アイザの顔を覗き込むようにして問いかけてくる。すっかり少女のような顔つきになったシルフィに、アイザは微笑み返した。
「お別れだけど……寂しくはないよ。また会えるから」
「また?」
「うん。またねって言っただろう?また会おうね、また今度ねってことだよ。永遠のお別れじゃないからね」
 永遠のお別れなら、こんなにあっさりとはいかない。この小さな精霊にはまだわからないだろう。
「そっか、じゃあシルフィも『またね』かな」
「え?」
 小さく頷くと、シルフィはアイザの目の前で姿勢を正した。
「ありがとう、私のいとしい目覚めの子」
 ふわりと微笑むその顔は、今までの幼さなど一切感じさせない。まるで知らない精霊になってしまったかのような不安に襲われたアイザに、シルフィはこれまで通りに明るく笑いかける。
「何かあったら、名前を呼んで。私の名前はシルフェリア・シルフィス」
 そう告げて、シルフィはアイザの鼻の頭に口づける。
 それは精霊の真名だった。
 アイザにだけ告げられた、この風の精霊の名前。それをアイザが理解するよりも早く、シルフィは舞うようにアイザから離れる。
 ちょうどアイザとガルの真ん中で、けれど二人の手は届かない高い空の上で、シルフィは笑う。

「ありがとう、パパ、ママ! またね!」

 一陣の風を残して、その風の精霊は姿を消した。ほんの一瞬だった。
「……行っちゃった、のか」
 精霊の姿が消えた空を見上げて、アイザはぽつりと呟く。ルーが慰めるようにアイザの手を舐めた。
「あれはもう生まれたてのひ弱な精霊ではなかったからな。そろそろ一人で生きる頃合だ」
「そっか……」
 ルテティアから帰ってきたときにも感じていた。ある意味アイザたちと離れていたことで親離れが急速に進んだのかもしれない。
「またねって言ってたんだから、いつかきっと、また会えるってことだろ?」
「……そうだな」
 励ますようなガルの言葉に頷く。
 またね、という言葉を知りながら去ったのだからきっもいつか再び巡り会うこともあるだろう。アイザに真名を告げたということは、契約していなくともその名を呼べば力になるということだ。
(……わたしが呼ぶ機会はないだろうけど)
 それでも、縁は繋がれている。そう思えばやはり寂しい別れではなかった。



「アイザ、このあとどうする?」
 寮に戻ると玄関ホールでガルが問いかけてくる。
「勉強……?」
「タシアンに無理するなって言われたばかりなのに」
 苦笑しつつ止める気はないらしい。それじゃああとで自習室で、と言って男子寮へと入っていったのでガルも勉強するつもりらしい。
「あ、アイザさん。アイザ・ルイスさん」
「はい?」
 呼ばれて振り返るとそこには寮監がいた。何かやらかしただろうかとアイザは一瞬青くなるが、寮監はにっこりと微笑みかけてくる。
「あなた宛に荷物が届いてますよ。ルテティアから」
 そう言って渡されたのは大きな箱だった。あまり重くはない。
「荷物……?」
 首を傾げながら送り主を確認するが、そこに書かれている名前は『タシアン・クロウ』だった。
(そんなわけないだろ……)
 送り主のタシアンとはつい先ほどまで一緒だったのだ。マギヴィルにいた彼がどうやってアイザにこれを送るというのか。
「ってことは、たぶんこれ、イアラン兄さんからか……」
 部屋に入りながらアイザはため息を吐き出した。出立前にも散々あれこれと持たせようとしてきたのを断ったから、こうして送り付けてきたということだろうか。
 部屋にクリスはいなかった。出かけているらしい。
 ベッドに置いて、箱を開ける。あまり重くないと、何が入っているのか予想できない。
「一体何が……」
 目に飛び込んできたそれに、アイザは言葉を飲んだ。

 それは、紺色のドレスだった。

 胸元はレースで、裾には真珠が縫い付けられていた。まるでそれは星空のようにきらきらと淡い光を放っている。
 清楚で上品なデザインは、今のアイザには少し大人っぽいようにも見える。おそらく、アイザがあと一、二歳上になってから着るためのもの。
 未来のアイザが纏うためのドレス。

 薄く開いた口から嗚咽が零れ、青い瞳からはぽとりと涙が落ちる。
 アイザはドレスを抱きしめながら、静かに泣いた。


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