魔法伯爵の娘

第二章:精霊の瞳(3)


 魔法具だという眼鏡をかけて見える世界は快適だった。視界の端に見えていた光がなくなる。慣れないそれを知らず知らずのうちに煩わしいと感じていたんだな、とアイザは実感した。
 学園長室をあとにして、三人は昼食のために商業区まで戻った。セレスには食堂を使ってもいいのよ? と言われたが、これから毎日使うわけだし、レーリの見送りもある。
 じっ、と穴があきそうなほどの視線に、アイザはついに耐えかね口を開いた。
「……ガル、言いたいことがあるならさっさと言え」
 隣にいるガルはずっとアイザを見ていた。なぜかはなんとなくわかる。眼鏡が物珍しいのだろう。
「え? いや、その眼鏡すげーなーって」
「……似合わないなら似合わないってはっきり言えよ」
「え? 似合ってるよ? なんかかっこいい」
 かっこいいのは眼鏡をかけたアイザではなく、眼鏡そのものなんじゃないのか、と聞きたいところだが、ガルのことだ。よく考えてないのだろう。
「ノルダインに入ってからたまに様子が変だとは思っていたんですけどね」
 まさか精霊が見えているとは、とレーリが苦笑する。とても驚いているようには見えなかったが、あれでも驚いていたらしい。
「そういえば、禁忌がどうのって言っていたけど、なんの話?」
 話している最中はさすがに割って入る気はなかったのだろう、思い出したようにガルが問いかけてくる。
「……あー……」
 どう説明したものか、とアイザが唸る。精霊のいない場所で行使される魔法は、自分の魔力を削るものだ。魔力は生命力と同義。それをガルは知らないのだろう。
(言えば、怒る気がする……)
 自分の魔力を削るような魔法は、ガルと出会う前に使った二回だけだ。アイザだって、まさか命まで削るなんて知らなかったのだ。不可抗力である。
「アイザ?」
「……食べながらにしないか、それ。けっこう説明が長いんだ」
 少なくとも歩きながら説明できるほど簡単な話でもない。ガルは魔法についての知識がほぼないからなおさらだ。
「んー。じゃあ結論だけでいいや。難しいことわかんないし」
 結論だけと言われても、とアイザは口籠った。その隙を狙ったのか、レーリが割り込むように口を開いた。
「精霊のいない地で魔法を使うと命を削ることになるので、禁じられているって話ですよ」
 確かに見事なまでに結論をまとめているが、アイザが言葉で濁そうとしていたところを堂々と言ってしまっている。
「はぁ!?」
「レーリ……!」
 当然ガルは素っ頓狂な声を上げるし、アイザは苦々しく唸った。
「だから団長はアイザに魔法を使わせないようにしていたんです。とっくに説明されてると思ったんですが違ったんですね」
 そんなことならタシアンから説明していて欲しかった、とアイザは恨みごとを言いたくなったがそんな暇もなくガルが詰め寄ってくる。
「ちょ、アイザ、すげぇ何度も魔法を使ってたじゃん!? 大丈夫!?」
「落ち着け! あれは大丈夫だから!」
 そもそもどれだけ前の話をしているつもりなのか。アイザはこのとおりぴんぴんしているのに。
「大丈夫じゃないだろ!?」
 アイザの両肩を掴み揺さぶりながらガルが食いかかる。
「平気だって! あれは、ヤムスの森の精霊の力を使ってるんだってば! わたしの魔力は使ってない!」
「はぁ? 意味わかんねぇなんで!?」
「だからっ……! レーリ……!」
 こんな状況で落ち着いて説明できるわけがない。助けを求めるようにレーリを呼ぶと、彼は呆れた顔でアイザからガルを引き剥がした。
「少し落ち着きましょうか」
「落ち着けって……!」
 そんなことできるわけがない、とガルが唸るがレーリも手加減しない。子猫のように首の後ろを掴まれたままガルはじたばたとするしかなかった。
「……まったく。いいか? ヤムスの森で、精霊から魔力をわけてもらったって言っただろ? あれ以降はずっとその魔力を使っていたんだ。自分の魔力は使ってない」
 アイザは濃灰の髪を耳にかけ、耳元で揺れるピアスをガルに見せた。今はもはや透明な色になっているが、魔力を溜め込んだ時は色が変わっていたはずだ。
「……そういえば、そんなこともあったっけ。でもさっきの話じゃ、アイザは禁忌っていうのやらかしたんだろ?」
「おまえに会う前だ。ごく簡単な魔法だったし、今はもう影響はない」
「……もしかして、だからあのとき倒れてた?」
 ガルと出会ったとき、アイザは倒れて雨に打たれていた。思えば確かに、精霊なしに魔法を使ったことにより体調を崩したのかもしれない。
「さぁ? ……そうかもな」
 けれどもはや過ぎ去ったことを考えても確かめようもない。あっさりとした物言いのアイザに、ガルはむっとする。
「……アイザってなんでそう、ほっとくと勝手に無茶するかな」
「……してないだろ」
 心外だった。これでもアイザはガルよりもずっと慎重に考えて行動しているし、言うほどの無茶はしていない。
「してるじゃん。きっとヤムスの森でのことがなくてもアイザは自分の魔力を削って魔法を使ってたよ」
 う、と図星を指されてアイザは顔を引きつらせた。
「いいけどさ、もう。アイザが無茶しないように見張ってるし」
「そうですね、お願いします。こういう人には他人が何言っても無駄なので」
 ――どうしてこう、普段はそれほど仲が良いというわけでもないのにこんなときだけ息がぴったりなのか。


 ガルとレーリにちくちく釘を刺されながら昼食を終え、ついでだからと商業区で簡単な買い物を済ませると時刻はあと少しで夕暮れといったところだった。太陽がだいぶ西に傾いている。
「レーリは明日経つのか?」
 今から出立してもすぐに夜になる。ガルが空を見上げながら問う。
「そうですね、会わなければならない友人もいるので、明日か……もしかすれば明後日になるかもしれません」
「見送りは……」
 ここまで護衛もかねてついてきてくれたのだ。見送りくらいは礼儀だろう、とアイザは口を開いたが、レーリは苦笑して首を横に振った。
「必要ありませんよ。二人とも明日からはいろいろあるでしょう」
 本格的な授業はまだだが、明日からは正式にマギヴィル学園の生徒である。
「そうか……ありがとう、レーリ。帰りは気をつけて」
「ありがとうございます。ああそうだ、アイザ」
 レーリは胸ポケットから紙切れを取り出してアイザに渡した。
「うん?」
 受け取りながら首を傾げると、レーリはそれは、と付け加えた。
「国境騎士団の屯所の住所です。落ち着いた頃にでも団長に手紙を出してやってください。ああみえてかなり気にしているでしょうから」
 責任感の強いタシアンのことだ。紹介状を書いてはいおしまい、なんてことは出来ないのだろう。まして彼はアイザの後見人でもある。
「もちろん。レーリにも書くよ」
「楽しみにしてます。ガルは筆不精そうですからね」
 ちらり、とレーリがガルを見ると、ガルは顔を引きつらせた。
「あー……あはは、俺の分はアイザが書いてくれるよ」
 おまえな、とアイザはつい呆れてしまったが、ガルがこまめに手紙を書く様子なんて想像もできない。
「それでは、そろそろ行きますね。二人ともくれぐれも学生の本分を忘れないように」
「もちろん、せっかく最高の学園に通えるんだからちゃんと勉強するよ」
 タシアンの紹介がなければ、マギヴィルに通うことなどできなかっただろう。身分は関係ないとしても、学ぶ場としては最高峰の場所である。アイザが行きたいと願ったところで立ち塞がる壁は多いだろう。
「次に会ったときには俺もすげぇ強くなってるかもよ?」
 にひひ、とガルが笑いながらそんなことを言って、レーリも思わず笑った。
「それは、期待しないでおきます。年末には長期休暇もあるはずですから、帰ってくるならそのとき会えるでしょう」
(帰ってくる……)
 不思議な感覚だった。肉親であった父はもういないのに、アイザが帰ってくることを当たり前のように待ってくれる人がいるのが。
「じゃあ、また」
「うん、また」
「じゃあな! レーリ!」
 別れというにはさっぱりと潔く、また明日会うかのようにふたりはレーリを見送った。

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