魔法伯爵の娘

第四章:国境騎士団(6)


 青年に言われたとおりに進むと、すぐに見知った場所に出た。踊る仔馬亭の近くだ。

「すみません、今戻りました」

 店の表から入り、タニアに声をかける。店に客の姿はない。ちょうど暇な時間帯だ。
「用事は済んだのかい」
「はい」
「あ、アイザ! 出かけるなら言えよ迷うんじゃないかって心配したんだぞ」
 厨房の手伝いをしていたのだろうか、ガルがひょっこりと顔を出して不満げに言った。ガルが喧嘩を売りそうだからおいていったんだ、とはさすがに言えなかった。
「おまえはちょいと過保護だねぇ」
 呆れたようなタニアに、アイザは小さくなりながら「いや、まぁ」と言葉を濁す。
「……迷ったんですけどね」
「あら、ガルの過保護もしかたないかしらね」
「でも、親切な方が道を教えてくれたので」
 やっぱり名前を聞いておけばよかったな、とアイザは改めて後悔した。けれど王都の住人ではないのだから、また会うことは難しいだろう。
 アイザも厨房を手伝うか、とエプロンを手に取る。夜の下ごしらえがあるのだ。あと数刻もすれば気の早い人間は飲み始める。

 ――ちょうどそのときだった。

 カランカラン、と入口のベルが鳴る。この時間に客とは珍しい。
「いらっしゃい、食事かい、泊まりかい」
「いや、人を探している」
 アイザは反射的に振り返った。そこには、旅装の男がふたり。
「っ!」
 それは、服装こそ違えど、それはアイザの家に乱暴に踏み入った国境騎士団のふたりに違いなかった。ひゅ、とこぼれた息を呑みこんで声を殺した。
「あ、おまえは!」
 向こうもアイザの顔を覚えているのだろう。タニアの後ろにいたアイザと目があった瞬間に声をあげた。額から冷や汗が流れ落ちる。偶然にしろ、見つかるには早過ぎる。城の一般公開まではまだ日にちがあるし、書状はついさきほど出してきたばかり。どうやってもアイザはまだ城には行けない。
(今ここで、捕まるわけには――)

「アイザ!」

 ガルの声が、その場を切り裂いた。厨房から飛び出すと、ガルはカウンターを飛び越え男たちに向かって一握りの小麦粉を投げつける。白い粉がまきあがった。
「うわっ」
「こっの、クソガキ!」
 男たちがガルの奇襲に呻いている隙にガルが素早くアイザの手を引く。
「逃げるぞ!」
 そのまま裏の出入り口から外へ出て、人混みに紛れる。アイザの髪を隠していた帽子は踊る仔馬亭に置いてきてしまったし、まとめていた灰色の髪も人混みにまみれる間にするりと解けてしまった。
 もみくちゃになりながら五番通りを抜けて、今度は人がいないほうへと進んだ。つい先ほど迷い込んだような路地裏から路地裏へ、行くあてもなく走る。
「ガル、どこに」
「とりあえずあいつらを撒かないと」
「タニアさんたちは……」
「大丈夫だよ」
 逃げて、あのふたりを撒いて、これからどうするのか。こうなったらもう、踊る仔馬亭には戻れない。タニアたちに迷惑をかけてしまった、とアイザの頭の中はぐるぐると不安と申し訳なさが渦巻いている。
「おい、いたぞ!」
 背後から迫る声に、アイザは身を震わせた。小麦粉を被って髪を真っ白にしたふたりが、追いかけてくる。
「くそ、案外早く追いついたな」
 ガルが舌打ちしながら吐き出した。もう随分と全速力で走った足がもつれて今にも転びそうだった。
 前方に人影を見つけ、アイザは「あ」と声を漏らした。つい先ほど、道を教えてくれた青年だった。見間違えようもない。
「――お嬢さん?」
 向こうもアイザに気づいたらしい。奇妙な男ふたりに追いかけられている姿は、他人の目から見てもさぞ不思議なものだろう。
(巻き込んだら、ダメだ)
 逃げろと言うべきか、関わるなと言うべきか。悩んだところで、背後から叫び声がした。

「タシアン団長! それがアイザ・ルイスです!」

 ガルがまた、小さく舌打ちをした。
 アイザは言葉を飲み込んで、青い目を大きく見開いた。
(だん、ちょう……?)
 アイザたちを追いかける国境騎士団のふたりが、団長と呼ぶ青年。それは、つまり――
(――逃げないと)
 彼は、アイザを捕らえようとする側の人間だ。
 行く道も、引き返す道も塞がれてしまったこの状況を打破する方法は、多くない。だがアイザには、他の人間には使えない手がある。
 左耳で揺れる光水晶が、あわく輝いた。まるでアイザの呪文を心待ちにしているように何度も瞬く。
「ダメだ! 魔法は使うな!」
 アイザが魔法を使おうとしたことにいち早く気づいたタシアンが声をあげる。その緊迫した鋭い声に、アイザは思わず紡ぎかけていた言葉を飲み込んだ。
 魔法を恐れての言葉にしては、どこか変だった。やめろ、ではなく――使うな。それはまるで、魔法によって攻撃されるかもしれない自分たちよりも、アイザを気遣っての言葉のようにも思える。
「アイザ」
 ガルがぎゅっと手を握る。じわりと感じる汗は、ガルのものかアイザのものかもわからない。
(ガルはきっと、また、囮になるとでも言うつもりだ)
 アイザが唇を噛み、完全にふたりは国境騎士団に囲まれたときだった。

「――アイザ・ルイス」

 その場に、異質な声が響いた。
「な、おまえら……」
 いつの間に、とガルが驚くのも無理はなかった。国境騎士団とアイザとガル、それ以外には誰もいなかったはずの路地裏に突如現れたふたりの騎士と、ひとりのローブを着た老人が現れたのだ。
(アイリスの紋章……王立騎士団……?)
 騎士たちが、アイザを見て頭を垂れた。
「我々は、女王陛下の使いで参りました」
「女王、陛下の……?」
 アイザが用意した書状はつい先ほど門番に渡したばかりだ。その書状が女王のもとへ届いたと考えるにはあまりにも早すぎる。
「待て! 何を急に……!」
 王立騎士団のひとりがアイザに歩み寄ると、立ち塞がるようにタシアンが飛び出した。
「タシアン・クロウ。国境騎士団の団長であるあなたに、我々を止める権利はありません」
 冷えた眼差しがタシアンを睨めつけ、正論を告げる。ぐ、とタシアンが唇を噛んだ。王立騎士団の所属であることを示す騎士服と、女王の使いという言葉。彼らがアイザを迎えにくる理由が、さっぱり掴めない。
「王立騎士団の方ですよね。その……女王陛下の使いというのは」
「女王陛下が、ぜひあなたを城に招き、会って話がしたいと仰せです」
 なぜ、と問いたいところだった。魔法伯爵であった父と女王はもちろん面識があったはずだが、アイザは生まれてこのかた、一度も王都に来たことがない。無論、女王と会ったこともない。父の訃報を知って、というには遅すぎる。
「……ええと、お世話になっている方に一言挨拶してからでもいいでしょうか。心配かけると思うので」
 今頃きっと、タニアとダンはアイザたちのことを案じているに違いない。国境騎士団のふたりは、すぐにアイザたちを追いかけてきたから、タニアたちには危害を加えていないと思いたいが――。どちらにせよ、すぐに彼らについていくという選択肢は浮かばなかった。突然のことに、アイザも動揺している。
「必要ありません」
「えー―」
 冷徹な声が、アイザの願いをねじ伏せると同時に、ガルと繋いでいたはずの手がほどける。どちらから離したのかわからなかった。
「まて! 行かせるな!」
「アイザ!?」
 タシアンとガルの、慌てる声がアイザの耳を貫く。
「《時と場所の狭間に眠る乙女を揺り起こせ。麗しき女王陛下の懐へ。渡れ、渡れそよ風にのって》」
 歌うようなその声は、まごうことなく魔法を使う合図だ。

(どうして、魔法使いが――)







 ガルがアイザと繋いでいたはずの手が引き離され、気づいたときにはアイザは光に包まれて姿を消していた。
 そこには、ガルと国境騎士団の面々しか残っていない。
「どういうことだよ! あいつら、なんか嫌な感じしかなかったぞ!」
 残されたガルは、事情を知っているらしいタシアンに噛み付いた。突然現れた彼らからは、嫌な匂い《・・》しかしなかった。
 タシアンは苦い表情でアイザの消えた場所を見つめている。
「……想定しうる、最悪の事態ですね」
「うるさい、言われなくてもわかっている」
 レーリの皮肉のような台詞にも、不機嫌に返すしかなかった。
「おっさんたち何か知ってんだろ!」
「黙れクソガキ。おまえが手助けしなけりゃとっくにアイザ・ルイスは保護できていたんだよ」
 タシアンはぐしゃぐしゃと髪をかきあげながら吐き捨てる。ガルはむっとしてさらに吠えた。もとはといえば国境騎士団がアイザの家に押し入ったことが原因ではないか。
「人のせいにすんなよ!」
「おまえが彼女をヤムスの森に入れたんだろう。その金目、獣人の血筋だ」
「な……」
 タシアンがガルの金目を睨みつけて、大きくため息を吐き出す。見知らぬ人間に獣人であると言い当てられたのは初めてだった。
「ただひとつ、今わかることを教えてやる」
 タシアンの青い瞳がガルを見下ろした。

「このままだと、おまえはもう二度とアイザ・ルイスには会えなくなる」



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