可憐な王子の騒がしい恋の嵐

PREV | NEXT | INDEX

 随分と熱心にアドルバードの婚約者候補の資料を読みふけるレイを眺めて、アドルバードはため息を吐く。


「……何だってそんなに真剣に読んでるんだ?」


 二十三人分も。
「いつ何時アドル様に近づかれるか分からない方々ですから。どういう方なのか頭に入れておくことは当然です。いざという時の優先順位の決定にも重要ですし」
「大国の姫なら俺を差し置いて助けると?」
 おまえの主は俺だぞ、というアドルバードのセリフに、レイはため息を吐き出しながら「誰がそんなこと言いました」と呟く。
「私が守るべきはアドル様お一人です。それだけは世界が崩壊しようと揺るぎません」
 きっぱりと言い切られると、後に続けない。
 アドルバードは赤面して飛び出しそうになっていた文句をすべて消化しきった。
「お熱い愛の言葉ね」
 アドルバードの隣で呆れたようにリノルアースが呟く。
「う、あ、あいって……」
 そんなんじゃない、レイはただ騎士として言っただけで――そう弁解したいのに口が上手く動かない。
「アドル様があまり気づいてくださらないので悲しい限りです」
「鈍感な男って駄目よねー」
 世間話をするような気楽な会話にアドルバードは口をぱくぱくさせるだけで何も反論できない。
 これはもう真意はどうでもいいとして、二人はアドルバードをからかうことを目的に会話している。
「くそう……」
 ハウゼンランドで最強の二人が揃ってしまえば、たとえ王子であろうとアドルバードでは手も足も出ない。
「諦めた方がいいですよ。どうせ勝てませんから」
 達観したようにルイがアドルバードの肩を叩く。
 先ほどから給仕のようにお茶を注いでくれているのはルイだ。日ごろからリノルアースの給仕もしているせいか様になっている。
「勝てなくても勝ちたいと思うのは男の本能じゃないのか!?」
「そんな無駄な本能はとうの昔に捨てました。勝ち目がないのに突っ込んでいくのは馬鹿のすることです」
 きっぱりと男のプライドともいえる本能を捨て去ったルイは淡々としている。
 こういう時の物言いがレイに似ているのはやはり血のつながりがなくとも共に育った姉弟だからだろうか。
「女を服従させたいなんて男は海の藻屑となってしまいなさい。従うだけの古い女はハウゼンランドにはいなくてよ」
「ふ、服従っていうわけじゃあ……」
 微妙にいやらしい響きに感じてアドルバードは口籠もる。そこに最後の一撃をレイが加える。
「形としては異なりますけど、私はアドル様に服従していることになるんですが」
 剣を誓った騎士ですから、という後半の言葉はアドルバードの耳には届いていない。
 冷静になろうと紅茶を飲んでいたアドルバードが一気に吹き出す。
「お、おま、何を急に言い出すんだ!!」
「主従関係なんですから間違いではありませんが」
「言い方があるだろうが言い方が!! それとも何か!? 俺をからかってそんなに楽しいか!?」
 逆ギレとも言えるアドルバードの行動に冷静に無視しながらレイはアドルバードが吹き出したせいで濡れたテーブルを拭き取る。絨毯の方は既にルイが吹き始めているが、少し染みになるかもしれない。
「主従関係以外の変な想像をさせたのなら申し訳ありませんでした。そんな趣味があるとは思ってもみなかったので」
「んな趣味無いわ! ていうかそれ謝ってるつもりで俺を陥れようとしてないか!?」
「主人を陥れてどうするんですか。私が路頭に迷う破目になるじゃないですか」
「ああもうっ! さっきから全然資料読んでないだろ! そんなんで頭に入ってるのか!? これは!?」
 勝ち目は無いと悟った論争から逃げるためにアドルバードは一枚の肖像画をとる。全員ではないが、余裕のある国ではご丁寧に姫君の肖像画まで送って寄越したのだ。
「ジェラス王国第八王女エリス・カタリア・リリアーナ・ジェラス様です。髪は亜麻色で瞳は緑。身長は大体154cmで体重は未発表、ご趣味は詩作や刺繍だそうです。ちなみにジェラスはハウゼンランドより西にあるカナード山脈の向こう側にある温暖な気候の国で今回は姫君がいらっしゃるので山越えではなく遠回りですが海路を使っていらっしゃるそうです」
「じゃ、じゃあこれは!?」
「それはアルシザスの隣国であるルイザニア王国の第十一王女のリエネスティーヤ・ロロイド・リア・ルイザニア様です。髪は南国特有の黒で瞳も同様に黒です。肌はアドル様もよりも濃いでしょう。趣味は音楽鑑賞で身長は162cm、アドル様よりも高いです」
「余計なことは言わんでいい……」
 身長とか。
 完全な敗北にアドルバードはがっくりと肩を下ろす。
「だから勝てないって言ってるじゃないですか」
 呆れたようにルイが呟く。
 勝てなくても勝ちたいんだよ、男としても主としても。さすがにそう言う気力はアドルバードには残っていなかった。
「……どんだけ覚えてるんだよ」
「必要と思われる分だけです。どうせ皆様が帰国されれば予備知識として多少覚えていればいいだけですし」
「それでも覚えとくのか……」
 レイの記憶力に半ば呆然とする。
「当然です。どんな時に役立つか分かりませんから」
 きっぱりと言い切ってるので、おそらく本気だろう。
 その努力もすべて自分の為にやってくれているのだと分かるから、余計に居たたまれない。アドルは勉強嫌いだし、記憶力もないのでいつもレイに頼りっきりだ。
 それではやはり駄目だとアドルバードは自分を叱る。
 す、と何気なく一枚を引き抜き一読する。
「? どうしたんですか、アドル様。好みの方でもいましたか?」
「……肖像画でもない文章だけの紙でどうやったら好みだとか分かるんだよ。ていうかどうでもいいし、正直」
 どんな姫君が来ても、アドルバードの中での一番は随分と前から決まっていて、それは揺ぎ無い。
「おまえに頼ってばかりもいられないからな。俺も出来る範囲で覚えとく。長ったらしい名前と国くらいは、な」
 彼女が自分の為に努力を惜しまないのなら、自分も同じように努力すべきだ。彼女に相応しくある為に。
「少しは成長したじゃない」
 リノルアースが感心したように微笑む。
「双子のおまえにんなこと言われたくない。成長してないのはおまえもだろ」
「女と男じゃあ女の方が精神年齢は上よね」
 精神年齢というよりも腹黒さだと思うが、それを口にすれば鉄拳が飛んでくるのは間違いない。
「どうせおまえには勝てないよ、レイにもな」
「男は須らく弱い生き物ですからねぇ、ハウゼンランドでは」
 ルイがしみじみと紅茶を飲みながら呟く。給仕は終わってやっと休憩できるようになったのか。
「バウアー家でもか」
「あの剣聖と称えられた父も母には敵いません」
 レイとルイの父であるディーク・バウアーは双子の母親である王妃の騎士を務め、剣の腕前を評価されて貴族の位からも別格の『剣聖』という称号を与えられた。だからこそ弱小貴族である姉弟が双子の騎士として側にいることが許されているのだ。


「ハウゼンランドの女は強い……」


 アドルバードは肩を落とし、ため息と共に吐き出す。
 それはもはや遺伝子にまで組み込まれた覆しようのない事実なのだろう。



PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2009 hajime aoyagi All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system