可憐な王子の騒がしい恋の嵐
37
耳を疑った。
その次には悪い冗談だろうという言葉が浮かんだが、目の前のカルヴァのらしくない真剣な顔を見たら何も言えなくなった。
――何だって言うんだ、一体。
そんな呟きが零れ、アドルバードは自嘲的に笑った。
元来、アヴィランテなんて大国が興味を持つような国ではないのだ、ハウゼンランドという国は。
それが最近ではたくさんの国から注目されてしまっている。大陸の華とも言えるリノルアースという存在、ならびにアドルバードの手腕によって。
野に咲く花のような国から、大輪の華が生まれれば確かに誰もが驚くだろう。つまりはそういうことなのだ。アドルバードもリノルアースも、小さな国で終わるような器ではない。
「――ま、うちの優秀な諜報部隊だからこそ掴めた情報だがね。実際に国として話が出るのはもう少し後だろう」
カルヴァの言葉に一瞬だけ安堵するとともに、アドルバードは立ち上がる。
「……父上のところへ上げる。俺一人が抱えるにはあまりにもデカすぎるからな。その上で俺に一任されるならやるしかないけど」
父であるハウゼンランド王のいる執務室へ向かおうとするアドルバードの後ろを、当然のようにレイがついて行く。
「こらこら。客を置いていくのかね。接待しなさい。賓客だぞ?」
「そこで潰れている奴に相手してもらえ。好きなんだろ? 恋愛話」
アドルバードは沈没しているウィルザードを指差す。
「まぁ、好きだがね。君のところの話にかなり興味が――」
「これといって変化なし。以上。いくぞ、レイ」
はい、とレイが小さく答え、二人はさっさと部屋から出て行く。
「……扱いがひどくないかね?」
カルヴァの呟きを聞いている者はいない。ウィルザードを見下ろしたまま、カルヴァはため息を吐き出してソファに深く身を委ねた。
――何なんだ何なんだ何なんだ何なんだ何なんだっ!!
怒りを吐き出したい衝動を必死で堪え、アドルバードは早足で執務室へと向かう。
どこで、何を間違えたというのか。ハウゼンランドは平和で――平和としか言いようのない国で、小さな諍いこそあれ、大国がやって来て得るものなんて何一つない。こんな小国のパーティに関わっても得はない。ずっとそう思っていたはずだ。
平穏な清流だった国が濁流へと変わっていく。
アドルバードは唇をかみ締め、俯いたまま歩みは緩めない。
斜め後ろからその様子を見ていたレイの瞳が不安げに揺れた。
握り締められたアドルバードの手のひらからは今にも血が流れてきそうで。
それをレイが黙って見ていられるわけがなかった。
「――――アドルバード様」
冷たい空気。
肌に触れる空気そのものが刃のように鋭い。
――それはもう、条件反射だ。
アドルバードは迷うことなく腰の剣を抜いていた。
金属がぶつかり合う音が廊下に響き、剣を交えるその人を見てアドルバードは息を呑んだ。
「…………レイ」
その人の名前を呟くアドルバードの唇から漏れた息は安堵か、脱力か――見つめる瞳は動揺していて、レイの青い瞳を直視できなかった。
「そこまで過敏に殺気に反応するのは、どうかと思いますよ。ハウゼンランドにあなたの敵はいないでしょう」
殺気、と言われて納得する。そんな殺伐としたものにしか反応できないほど、アドルバードは精神的に追い詰められていたのだろう。
「――今は、そうも断言できないだろ」
アドルバードはゆっくりと剣を鞘に収め、レイの顔を見ることができずに下を睨むように見つめる。
そんなアドルバードの頬を、温かいレイの手のひらが包み込む。
「いたとしても、あなたが剣を抜く必要はない。私がすべて斬ります」
間近のレイの顔は相変わらず美しいとしか言えない。アドルバード以上に血を浴びてきたというのに、彼女には一切血の穢れが見つからない。
何も変わらない。彼女は。
それだというのに、自分は?
彼女に誇れるだけの人間であろうと。
そう努力してきたけれど――。
「――――――レイ」
こういう時に結局、彼女に寄りかかるのだ。
そして彼女にまた手を汚させるのだ。
――情けない。
「強く、なりたい……」
レイが自分の分まで汚れずに済むように。彼女が心を押し殺す必要のないように。
大切なこの国が、人が、家族が、傷つくことのないように。
このままでいけば、ハウゼンランドは豊かになるかもしれない。大国へと変われるかもしれない。けれどそれは――戦いが増えるということで。
それはつまり、アドルバードの周囲の人々が戦いに巻き込まれていくということで――。
アヴィランテの皇子がやってくる。
それはアドルバードにとってそういう世界がハウゼンランドに迫っていることの象徴に思えた。
「……何がそんなに不安なんですか?」
優しい声がアドルバードの心に染みた。
頬に触れる手も、見つめる青い瞳にあるのも、ただただ深い優しさだけだ。
「――恐れる前に、状況の確認が先でしょう? 万が一最悪の展開が待っているとしても、今からなら充分に策が練れます。その為にアルシザス王はいらっしゃったんだと思いましたが?」
優しさの中に、諭すような雰囲気が滲む。甘えるな。恐れるな。自分が何を為すべきかを考えろ、と。
――殴られるより利くな。
アドルバードは苦笑してレイの手に自分のそれを重ねた。
「……悪かった。もう大丈夫だ」
そう言ってアドルバードが微笑むと、温かな手が離れていく。
「守るよ。何もかも、俺が大切だと思うものはすべて」
この腕は相変わらず非力で、自分の身を守ることすら危ういけれど。守ろうとすることで動く何かがあるはずだ。
「――共にあります」
レイがはっとするほど綺麗な微笑みを浮かべて、そう言ってくれることが、アドルバードにとってこんなにも心強い。
「――行くぞ」
返事なんて確認せずに、アドルバードは再び歩き始める。随分と重荷が軽くなった。
はい、と凛とした優しい声が聞こえるのはすぐだ。その声が胸に熱く響く。
自分を確かに信頼してくれる人がいるということが、こんなにも心強い。
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