可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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 ほんの少し前を歩くリノルアースの、赤みがかった金の髪を見つめながら、ルイは自己嫌悪に陥っていた。
 よりにもよって、この世で一番大切な人の前で、優先順位を迷っているようなことを言われるなんて。しかもそれはほとんど図星だった。


 ――たぶん今のルイでは、リノルアースとシェリスネイアが同時に危険な目に遭っていた時、どちらを選ぶべきか悩んでしまう。
 悩んだ末で、どちらも失うような気がした。


 選択肢がリノルアースとレイだったら迷うことなどない。
 レイはルイの手を借りなければならない状況に陥らないと思うし、そうなったとしてもリノルアースを優先するように怒るはずだ。そしてリノルアースを助けている間に自力でどうにかしてしまうだろう。
 しかしシェリスネイアはリノルアースと同じくらいに――下手するとリノルアースよりも、非力な少女だ。そして、実感はないまでも自分の妹で。
 妹の為に奔走するアドルバードの姿を見ていたせいだろうか。
 シェリスネイアを見捨てることは、たぶん出来ない気がしていた。





「……いつまでうじうじ悩んでいるつもり?」


 はぁ、と重いため息を吐き出し、リノルアースが問う。
 ルイが俯いていた顔を上げると、リノルアースが振り返ってまっすぐにルイを見ていた。その瞳の強さに押され気味になる。
「なんのことですか」
 ここは誤魔化してしまおうと、そう答えるとリノルアースはルイを睨んだ。
「分からないと思ってるわけ? この私が? あんたがシェリーと私とで悩んでることくらいお見通しなのよ!」
 馬鹿じゃないの、という言葉までついてきそうなそのリノルアースの堂々とした様子に、ルイは思わず笑ってしまう。
「笑わない! 真剣な話をしようって時に!」
 びし、と指をさされてルイも思わず顔を引き締める。




「……大体ね、」
 リノルアースの細い指がルイの頬に触れた。冷たいその指に、ルイは反射的に後退った。
 青い瞳がルイの目を射抜く。
 その目に囚われて、ルイは動けなかった。どうしてこの人は、こんなに強いんだろうと、そんな疑問が頭に浮かぶ。


「――悩む必要なんてないでしょう?」


 優しい響きのその言葉に、ルイは困惑した。
 いっそ怒ってくれれば、素直にリノルアースだけを守ろうと思えるのに。
「私だって、あなたかアドルかを天秤にかけられても、即座に決めることなんて出来ない。家族を想うことは罪なの? 違うでしょう?」
 そっと触れる冷たい指は、そのままルイの頬を包み込んだ。
 じっと見つめてくる瞳は、少しだけ寂しさを帯びていて、たぶんリノルアースも確かな答えなど持っていないのだ。
「……それでもたぶん、俺は彼女を選べないんです」
 どんなに悩んでも、選択の場面で躊躇しても、最終的に選ぶのはリノルアースだ。それだけは確かだと言える。
「その上で、躊躇してしまう自分が嫌なんです。彼女を選ぶことも出来ないのに、迷う。その結果万が一あなたに何かあったら、どうすればいいんですか?」
 一瞬迷ったようにルイは手を伸ばし、導かれるようにリノルアースの頬に触れる。そのまま髪を梳き、その美しい金髪の絹のような肌触りに酔いそうになる。
 今度は、リノルアースが困ったように固まった。
 ただじっと、見つめ合う二人に妨げなどなく、ルイは自制も利かなくなり――華奢なリノルアースを抱きしめた。


「あなたを失うなんて、考えるだけでも気が狂いそうなのに」


 リノルアースはルイの肩越しにただ天井を見つめた。
 あやふやな関係のまま凍らせた二人に、それ以上の行為は許されない。そう悟って、リノルアースは少しだけ後悔した。
「……本当に、不自由な性格よね、あんたって」
 苦笑しながらリノルアースは呟くと、分かっていますと怒ったような声が耳元で聞こえた。
 行き場を失った手をルイの背中に回し、確かなぬくもりを味わう。苦しいくらいの抱擁に、女慣れしてないことがバレバレで可笑しくなった。
「――私って、そんなに心配されるほどお淑やかだったかしら」
「俺の手を振りほどくことも出来ないくらい、非力でしょう」
「あのね、ルイは男である上に騎士じゃないの」
 勝てるわけないでしょう、とリノルアースは怒った。男と力勝負なんて、リノルアースくらいの年齢の少女では勝敗なんて分かりきっている。
「刺客だって男ですよ。血を見ただけで怯えるくせに、こんな時ばっかり強がるのはあなたの悪い癖です」


 ――今の台詞、あなたのお姉さんみたいよ?


 くす、と笑いながら浮かんだ感想は飲み込んだ。
「これでも随分と慣れてきたのよ? 血生臭いことにもね」
「慣れなくていいんです。そんなもの」
 きっぱりと言い返されてリノルアースはまた苦笑した。今日はいつも以上に頑なだな、と戦略を練り直す。
「――とりあえず、他の男にはこんな状況許さないから安心しなさい」
 誰が通るかも分からない廊下に抱き合ったままなんて――本当はルイでも許すわけにはいかないのだが。今日だけはいいかと甘い自分に笑ってしまう。
「許す許さないでどうにか出来るんですか」
 ルイはやはり頑なに、どこか怒ったようにそう問いかける。
 そうね、とリノルアースは呟き――ほんの少し身体を離してルイを見上げる。
「お望みなら実践するけど?」
 意地悪そうな笑みを浮かべたリノルアースに、いつものルイならば遠慮しますの一言で逃れるはずだった。
「どうぞ、出来るなら」
 しかし今日のルイはある意味で普通ではない。そのリノルアースの挑戦を甘んじて受けてしまう。
 じゃあ本気で、とリノルアースは細いピンヒールでルイの足を容赦なく踏みつけた。


「いっ………っ!?」


 骨まで響くその痛みにルイの腕の力も緩む。その隙にリノルアースはさっと距離をとった。
「これが他の男なら急所狙うんだけどね。機能不全とかになったら私としても将来的に困るから足にしたのよ。感謝しなさい」
「……女性がそんなこと堂々と言うもんじゃないでしょう」
 痛みを堪えながら、ルイは指摘だけは忘れない。
 急所なんて狙われたらたぶん鍛えた男でも膝をつくだろう。女性は足に凶器を隠し持ってる。
「男も女も関係ないのよ。生きるか死ぬかなんて時はなおさらね。生命力で言えば女の方が男より圧倒的に強いし」
「ええ、認めますよ。それは」
 殺しても死なないだろうなんて感想を、惚れた相手に抱かせるあたりリノルアースが最強たる所以だろうか。
 結局やられっぱなしか、とルイがため息を吐き出す。足の痛みもだいぶ弱まった。


 ――この場合、仕返しは。


 ルイは手を伸ばし、リノルアースの細い手首を握り締めた。
「…………なによ」
「やっぱりか細いですよね。これでよくあんな威力が出せるなぁ」
 いつも拳で殴られるルイはそのリノルアースの華奢な身体の作りに驚かざるを得ない。
「だからなんなの!?」
「いや、万が一を考えて、思い残すようなことはない方がいいなぁ、と」
 手首を掴んでない方の手でリノルアースの顔を持ち上げる。一瞬状況を理解していない瞳が純粋にルイを見つめ返して、ルイの瞳に宿る何かを感じ取ったのか――明らかに瞳が揺れて、抵抗を始めた。
「な・に・をっ! 考えてるの!?」
 甘い空気をどうにか破こうとリノルアースが睨みつけながら手を振り払おうとする。
 思ったとおりの展開に、ルイは笑いそうになりながら、リノルアースの耳元に唇を寄せる。





「――キス、」


 たった一つの単語で、リノルアースの顔が真っ赤に染まる。
「……してもいいですか?」





 声が震えた。
 攻められると弱いリノルアースをからかうとその代償は大きい。




 声で悪ふざけと悟られたルイは急所を攻撃されてその場に崩れた。
 その屍をさらに踏みつけ、リノルアースは憤慨しながら一人部屋へと戻った。


 

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