可憐な王子の騒がしい恋の嵐
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夕食は結局、ハウゼンランドの双子とアヴィランテの兄妹のみの少人数のものとなった。アルシザスの国王を同席させるのも、ネイガスの王子を招くのも不自然なので却下となったのだ。
「シェリー。お願いだから喧嘩売らないでよ? いつものように猫かぶっててちょうだい」
シェリスネイアは早めに部屋にやって来たので、あとはヘルダムを待つのみとなった。リノルアースは先ほどから何度も念を押している。
「平気よ。ようは話さなければいいんだもの」
きちんと席についているシェリスネイアの様子はそのセリフを裏切っている。
「全然平気じゃないしー……いっそ腹痛とかで逃げる?」
「冗談! 敵前逃亡なんて絶対にごめんです!」
敵とか言ってるし、と苦笑するアドルバードの側にはレイがいる。食事が始まった際は入口のあたりに控えていることになるが。
「アドル様も、気をつけてくださいね。くれぐれも馬鹿な真似はしないように」
「……心配されるほど俺って信用ないのか?」
言われなくても分かっている、とアドルバードは呟く。
席も、本当は双子とアヴィラ側とで向い合せになる予定だったのだが、シェリスネイアの様子を見て男女で向かい合うことになった。隣なんかに座らせたら拳を振るいそうな勢いだ。
「リノル様も、ルイはいないんですからね。そのあたりを考えて行動してください」
ルイは正体がばれてしまう可能性も捨てきれないのでこの場にはいない。一目で南国出身だと分かる以上、できる限りヘルダムと顔を合わせることは避けなければというのが全員の見解だった。
早めに集まった三人の前には飲み物が運ばれてきた。騒いでいるから喉が渇くだろうという優しさからだろうか。
「あら」
グラスに注がれている赤い液体を見て、シェリスネイアが困ったように声を上げる。
「どうしました?」
アドルバードが一番先に気がついて問いかけると、シェリスネイアは苦笑して答えた。
「葡萄酒は苦手なんですけれど、言っていませんでしたわね」
葡萄酒というよりはアルコールが苦手なのだろう、それなら、とアドルバードが自分のグラスを持ち上げる。
「俺のと替えますか? まだ口もつけてませんし、ご迷惑でなければ。ただの林檎水ですよ」
「なによ、一人だけお酒じゃないって」
リノルアースが不満そうに問うと、アドルバードが苦笑した。
「腹の探り合いなのにアルコールで頭を鈍らせたくないからさ。まぁ、一杯くらいなら平気だし」
いつも頼りにしているレイは背後にいるわけじゃない。念には念を、というわけだ。
「では、お願いできます?」
シェリスネイアは照れたように笑い、二人はグラスを交換する。不作法ではあるが気にする者はいないのだからいいだろうと、誰も気にしない。
それから数分して、シェリスネイア曰く『敵』であるヘルダムがやって来た。
■ ■ ■
印象はやはり悪くない。
目と目でリノルアースも合図する。たぶんリノルアースも同じ答えに行き当たったのだろう。
二、三他愛ない会話をして、食事が運ばれ始める。
「アヴィランテの料理とはまるで違いますから、お口に合うかどうか分かりませんが」
「確かに違いますが、こちらの料理もとても美味しいですよ。城のつくりから服装から、まるで違いますからね」
とても飽きません、とヘルダムは笑う。
「シェリスネイアも、こちらのドレスを着ているんだな。とても似合っている」
突然話をふられたシェリスネイアは一瞬猫のように毛を逆立てそうになる。しかしリノルアースに脇腹をつつかれて、にっこりと微笑む。
「ありがとうございます、ヘルダム様」
兄妹であるとはいえ、アヴィランテでは王子と姫の地位の差は明らかだ。ここで大嫌いなヘルダムを『様』をつけたあたりでシェリスネイアは頑張った。
ある意味ではその様子が微笑ましく、アドルバードは笑いながらグラスを傾ける。
「――――――――っ!?」
喉が、焼ける。
悲鳴も上げることが叶わず、アドルバードはそのまま椅子から崩れ落ちた。グラスを割らないようにとテーブルに置いたあたりはまだ頭が冷静だった。
毒が入った、証拠が消えないように。
「アドルバード様っ!?」
悲鳴に近いレイの叫び声がかろうじてアドルバードの意識を繋ぎ止める。
倒れたアドルバードに一番先に駆け寄ったのは、一番遠くにいたはずのレイだった。
「誰か医師を! 誰も動かないでください! 勝手に動いた者は誰であろうとも斬ります!」
物騒だな、という言葉が紡げず、アドルバードはただ唸るだけだ。
「アドルバード様! 吐いてください!」
レイの叫びは虚しく、アドルバードの意識は徐々に遠のいていく。レイの細い腕にしがみつく強さは一方で増していく。
「アドルバード様!」
泣き声のような、レイの呼び声。
――大丈夫、大丈夫だから。
言葉は紡ぐことができず、アドルバードは深い深い思考の底へ沈んでいく。
レイの纏う空気が変わった。
駆け付けた医師にアドルバードを任せると、いつ抜いたのか――剣を構えていた。
「レイ! 駄目よシェリーは違う!!」
「しかし!!」
リノルアースの悲鳴に近い叫びにレイの動きも一応は止まる。その声がなければ間違いなくレイの剣はシェリスネイアを斬っていただろう。
「シェリーは何も入れてなかった! 私が見てたもの! 落ち着きなさいレイ・バウアー! 主であるアドルの顔に泥を塗るつもり!?」
アドルバードの名を出されて完全にレイの動きが止まる。
剣をしまい、シェリスネイアに頭を下げる。
「申し訳ありません。ご無礼を」
あまりにも突然のことで呆然としていたシェリスネイアは一連のことに反応をできず、いいえ、と答えるだけだった。
「飲み物を運んできた侍女を捕らえなさい! 同時に厨房にいた者全員に話を聞け!」
医師からわずかに遅れてやって来た騎士にレイは堂々と命ずる。
レイはアドルバード専属の騎士だが、地位的には騎士団を動かすだけのものがあるのだ。
「俺の仕事がないな、さすが俺の娘と言うべきか」
「あなたの到着を待っていては逃げられます」
遅れてやって来た騎士団長である父、ディークに向かってレイは冷たく言い放つ。
ディークもレイの采配を信用しているから急いでこなかったのだろう。
「もういい。殿下のところへ行け」
静かに、強く、そう命じられる。
レイは堪えていた何かが弾けたように、一礼してアドルバードのもとへ走った。アドルバードは自室へ運ばれた。毒により発熱し、昏睡状態になっているだろう。
その後姿を見送りながら、やっと現状が理解できたかのようにシェリスネイアが崩れた。
「…………私の、せい」
たぶん、自分ならある程度毒に耐性がある分これほど大事にならなかったかもしれないのに。
あの時、グラスを替えたりしなければ。
す、と大きな手がシェリスネイアの前に差し出される。
ディークだった。
「お話いただけますかな? アヴィラの姫君」
その言葉には、有無を言わせぬ威圧感があった。
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