可憐な王子の騒がしい恋の嵐

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 三十分くらい口喧嘩を続けたリノルアースとシェリスネイアは息を切らしながら、一時休戦とソファにどさりと腰を下ろす。
 アドルバードが口を挟む余地もないほどに長々と言い争っていたのだ、喉は渇いているだろう。


「……新しい紅茶を頼んできますね」
 ぐったりとしている二人を見て苦笑し、アドルバードは立ち上がる。
「お菓子も追加してくれないかしら。甘いケーキがいい」
 リノルアースの甘えるような声に、兄馬鹿のアドルバードは素直にはいはい、と頷く。




「……羨ましい」
 ぱたん、と扉が閉まる音がして、シェリスネイアの言葉は上手く聞き取れなった。リノルアースは首を傾げて何? と聞き返す。
「羨ましいと言ったのよ。あなた達は仲が良いのね」
「そりゃ、双子だもの。生まれた時から一緒だし。シェリーだってたくさん兄弟がいるじゃない」
 あんな兄なんて要らないだろう、とリノルアースが笑う。
 しかしシェリスネイアは冷たい紅茶を見つめて、悲しげに微笑んだ。
「血の繋がっているだけの他人よ。ほとんど母親は違うんですもの。アヴィラの王宮はいつも戦場よ。いかに勝ち上がるか、いかに陛下に取り入るか――そんなことしか考えていない人間ばかり」
 リノルアースは黙った。
 それは、彼女には理解できない世界だ。
 幼い頃からアドルバードと共に、両親からありったけの愛情を受けて育った。争いごとといえばアドルバードをおやつを取り合うことくらい。必ず夕食には家族全員が揃った。仕事の多くない日だと父でも中庭で一緒に過ごした。双子が成長して、城下町まで抜け出しても怒らない、温厚な両親だ。
「私の母はね、それほど優遇されてないの。母の子供は私だけだから。アヴィラの後宮で地位を得るには皇子を産むしかない。でも何十人もいる側室の中で、陛下の目にかかることなんてそうないわ。まして、母はもう美しかった頃とは変わってしまった。あとは影へ影へ、追いやられるだけ」
 シェリスネイアの瞳は、唯一の家族を案じる優しい色だった。





「……なんだ。この雰囲気」
 部屋を出た時とは打って変わって静かな様子に、アドルバードは訝しげにリノルアースを見る。
「何もないわよ、別に」
「ええ、何もありませんわ」
 二人の姫は口をそろえて同じことを言う。こういう時だけ息が合うってどういうことだ。
「ところで王子。お返事はどうなりますの? ハウゼンランドとしてもアヴィラと結びつくのは悪いことでは――」
 ああ畜生、それがまだ残っていたか。忘れてくれると助かったのに。
 世の中そう上手くいくはずもなく、シェリスネイアは熱い目でアドルバードを見つめてくる。
 普通の男なら簡単にくらりときてしまいそうな美しい姫に、アドルバードはあまりときめかない。理由は簡単――目が慣れてるのだ。
 双子の妹のリノルアースに始まり、騎士のレイやら――アドルバードの周囲には、種類は違うが最悪でも二人ほど絶世の美女がいる。まして片方は自分と同じ顔で、もう一方は世間を知るよりも早く、幼い頃から見慣れた人だ。
 基準がもともと高いのだ。こうなると生まれながらの面食いと言われても可笑しくない。
「王子!」
 詰め寄るシェリスネイアから顔を逸らし、あーとかえーとか言いながらアドルバードは頬を掻く。
 なんか上手く断る常套句があっただろうと頭の中を引っ掻き回し――ああ、そうだアレだ。


「俺、好きな人がいますから!」


 それを言うのが先でしょ、という呟きが隣から聞こえてくる。だったら教えてくれよ!!
 シェリスネイアが目を大きく開いてアドルバードを凝視する。
 や、やめてほしい。何か吸い取られそうで正直怖い。
「……でしたら、どうしてこんな茶番を? 本当はそんな方いらっしゃらないんでしょう?」
「ちゃ、茶番って……確かに矛盾してますけどそれは父親命令で仕方なく――」
「都合の良いように物事を解釈する女って愚かよね」
 すました表情のまま、リノルアースはアドルバードが運んできた新しい紅茶を飲む。
「たくさんの男を誑かしている女もどうかと思いますわ」
「失礼ね、求婚の手紙を全部暖房に使ってる私が男を誑かしてるですって? 冗談じゃないわ」
 男が勝手に騒いでるだけじゃないの、とリノルアースは心底迷惑そうに眉を顰めた。
 再び矛先が変わってほっと一息ついていたアドルバードをシェリスネイアはその大きな瞳でもう一度見つめる。
「王子、私の――――」
「アドルバード様、失礼します」
 シェリスネイアの声を遮ったのは、涼しげな声。
 それが誰なのか――アドルバードは考えるまでもない。
「レイ」
 助かった、という響きがその一言に込められていた。
 控えの間でずっと待っていたレイがいずれ救いの手を差し出してくれるだろうとは思っていたが――予想よりも随分遅い登場だ。
 いつもの決まり文句でアドルバードをこの部屋から連れ出してくれるだろうと、レイを見上げる。
「…………………」
 その視線に熱い何かを感じ取ったのか、はたまた女の勘か。
 シェリスネイアはその美しい眉をひどく歪めて、恋人同士のように見つめあう(ように彼女には見えている)二人を穴が開くほど凝視する。


「……そういうお趣味でしたの?」


「違う!! ていうかどんな趣味だ!!」
 明らかに誤解されているのでアドルバードは即座に否定した。
 そういう趣味って何だ。男色か!?
「別に私は気にしませんわよ。女の方が相手だと間違いがあっては困りますけど、ええまぁ男の方ならば大目に見て差し上げます。でも世継ぎが必要なら女の相手もしなくてはなりませんでしょう?」
「だから違う!! 俺は男なんかに惚れない!!」
 完全にレイを男だと勘違いしたまま先走るシェリスネイアに、ついいつものように声を荒げて否定する。シェリスネイアは特に気にした様子は無く、きょとんとしてアドルバードを見つめる。
「あら、でしたら今の熱い視線は」
「いやそれは違わないけどそんなに熱くは……」
「アドル様、論点がずれてます。シェリスネイア姫、お初にお目にかかります。アドルバード様の騎士を務めております、レイ・バウアーと申します」
 そう挨拶しながらレイは優雅に礼をする。
 普通ならばその後当然のように手の甲に口づけを贈るのだろうが――シェリスネイアはもちろんそのつもりで手を持ち上げたが――レイはそれを無視した。
「……シェリスネイア姫、レイは女です」
 自己紹介するならついでにそこまで言えよと憎たらしく思いながらアドルバードが咳払いとともに説明する。
「女性? この方が?」
 訝しげに見つめてくるシェリスネイアが納得していないのは一目瞭然だった。いつもの騎士服ならまだしも――今はあえて男に見えるように大きめの服で曲線を誤魔化している。
 レイは嘆息し、上着の釦を外す。
「レレレレレレ、レイ!?」
 いきなり上着を脱ぎ始めた自分の騎士を見て声がひっくり返っているアドルバードはかなり情けなかった。
 大きめの上着が脱がれ、薄めのシャツ姿だけになったレイの身体は明らかに女性のそれだった。
「…………嘘では、ありませんのね」
 少し呆然としたままシェリスネイアは呟く。
 レイはにっこりと、お得意の作り笑顔で言う。
「ご理解いただけてなによりです」




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