可憐な王子の結婚行進曲

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24:一番変わったのは、あなたですよ



 賓客であるアドルバード達は、それぞれ個室を与えられた。湯浴みも済ませ、部屋に一人になったところでレイは妙に落ち着かない気分になる。部屋は領主の屋敷ということを考慮に入れても広く豪華なものだ。天蓋付きのベットに、ふかふかの絨毯が敷かれている。調度品のどれもが一級品ばかりだ。


「……新しくそろえたんでしょうね」


 もともとはネイガス王家の別荘として使われていたと聞く。それでも異国からやってくる花嫁のために屋敷の中身は素晴らしいものを取りそろえたんだろう。
 ふぅ、とため息を吐きながらレイは長椅子に座った。もともとが弱小貴族の生まれで、騎士として過ごしてきた日々が長いこともあって、レイは質素な暮らしに慣れている。逆に、こういった豪華なものにはあまり慣れない。自分が使う、ということに関しては特に。
 一人で寝るには広すぎるベットで眠るより、ソファで寝た方がよほど安眠できるような気がした。ハウゼンランドの王子の婚約者としてここにいる以上、そんな真似もできないが。
 少し夜風にでも当たろうか、とストールを肩にかけてレイは部屋を出る。中庭で少しぼんやりとすれば眠気もくるかもしれない。
 騎士であった頃に比べて、今は運動量も減っている。おかげで疲れを感じるようなこともなく、夜はあまり寝付けなかった。疲れて熟睡するということは以前からそうなかったが、ベットに入っても目が冴えたままというのは存外に困る。









 夜の風は涼やかだ。レイの銀髪をさらりと撫で、暗闇の中で揺らす。どこからか甘い花の香りが漂ってきた。星空は静かに輝いて、淡い光を地上へ届ける。


「――レイ?」


 夜闇に溶けてしまいそうな、小さな声だった。
 それでもレイがその声を聞き逃すことはない。成長し低くなった声でも、どんなに小さな声でも。ましてそれが自分の名を呼ぶものであるなら、なおさら。
「アドル様」
 振り返ると、アドルバードは少し驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
「こんな夜に何してるんだよ。風邪ひくだろ」
 ストールを肩にかけているとはいえ、既にレイは夜着に着替えている。季節は初夏とはいえ、薄着だったのは確かだ。
「眠れなかったので、少し風にあたりに。アドル様はやっと部屋にお戻りですか?」
 レイは意地悪げに笑いながらアドルバードを見る。かすかに香る酒の匂いは、今まで酒盛りをしていたことを如実に告げていた。
「主役が部屋に戻ったからな。俺はそんなに飲んでないよ」
「当然です、それほど強いわけじゃないんですから、ほどほどにしてくださらないと」
 レイはアドルバードを見上げながらくすくすと笑った。アドルバードが酔い潰れた時は決まってレイが介抱していたのだから、限界も彼女の方が詳しい。
 こつん、とアドルバードがレイの額に自分の額を合わせて、目を閉じる。
「……アドル様?」
 酔っているのだろうか、それとも甘えているのだろうか。視界には目の前の人しか映りこまないほどに近い距離だ。
「ちょっと。なんだかいろいろ変わっていくなぁ、と思って」
 苦笑しながら呟くアドルバードに、レイは黙った。静かにアドルバードの言葉を待つ。
「今まで当たり前だったものが、ここ一、二年で瞬く間に変わっていく。俺は、少し前までは今よりずっと甘えた子どもだったのになぁ、とか。おまえは騎士だったなぁ、とか」
 ぼんやりしていると、取り残されそうだ。
 酔った勢いの言葉なのか、少し弱々しいアドルバードのセリフに、レイは優しく微笑んだ。
「変わらないものなんて、この世にはありませんよ」
 するりと伸びてきたレイの手がアドルバードの手を握り、そっと包み込んだ。
「一番変わったのは、あなたですよ。アドルバード様」
 ふわりと微笑むレイを見て、アドルバードはおまえこそ変わったよ、と言ってやりたかった。騎士であった頃、これほど穏やかに微笑むことはあっただろうか。レイが綺麗になっていくのは自分の影響力のせいだと胸をはって言えたらいいのに、アドルバードにはその自信がまだない。
「そうだと、いいな」
 苦笑しながらレイの手を握り返す。
 繋いだ手からぬくもりを分け合い、すぐにアドルバードとレイの手の温度は等しくなった。
 レイはそれから黙っていた。アドルバードの様子が少し変だということは、彼女にはお見通しだろうに。それでもレイは「話さない」と選択したアドルバードのことを考えて聞かずにいてくれる。


「――明日にはハウゼンランドへ戻るんだし、そろそろ部屋へ戻るか」


 東への懸念を告げるべきか否かしばし悩み――結局アドルバードは言わないことを選んだ。レイは「そうですね」とやはり追究せずにただ頷いた。
 レイの部屋はリノルアースの隣で、その逆の隣がアドルバードの部屋だ。アドルバードの隣はルイである。婚約者とはいえ隣室になるのは避けられた。アドルバードとリノルアースが隣室なのは双子なのであまり問題視もされない。とはいえ気心の知れた国で、さらに王城でもなく領主の屋敷なので、部屋割に文句は言われないだろう。
「部屋まで送る」
 送ると言うほど遠い距離でもないのにアドルバードがそう言いだしたのは、少しでも長く一緒にいたかったからだ。それ以外に理由なんてあるわけがない。
 中庭から部屋まではそれほど距離はない。とりとめもないことをぽつりぽつりと話していればすぐに着いてしまった。
「アドル様」
 レイは扉の前でじっとアドルバードを見つめる。
「……どうした?」
 アドルバードはレイには通用しないと分かっていても平然を装い、微笑んだ。
「無理は、なさらないでくださいね。……おやすみなさい」
 少し心配そうに微笑むレイに、アドルバードは苦笑した。ああ、やっぱりバレているのかな、と。聡い彼女が、ヘルダムの指摘してきたことに気づいていないとは思えない。
「大丈夫、おまえが心配するようなことはないよ」
 そう答えて、レイの額にキスを送る。以前よりも素直に受け止めるようになったレイに、アドルバードは心の中では心臓が飛び出るくらいにどきどきしていた。こういう『恋人』らしいことに、まだあまり慣れていないなんて、馬鹿馬鹿しいだろうか。
 いつだって、彼女の傍には落ちつかなさと愛しさが存在してる。


「……おやすみ、良い夢を」


 そう言って微笑めば、レイは同じように微笑み返してくれるのだ。



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