可憐な王子の結婚行進曲
35:私は自分で選んで、ここにいるんです
離宮に入ると、上着を頭からすっぽりと被ったままのレイと、晩餐会をほったらかしにしているアドルバードと、そして妙に不機嫌なルイを見たリノルアースが、あからさまに眉を顰めた。
「なんなのあんたたち」
呆れたような一言に、アドルバードは何も言えなかった。その隣で、レイが上着から「ふぅ」と顔を出す。綺麗な銀の髪がほろりと零れた。
「私も詳細は知りません。説明していただけますよね?」
にっこりと微笑んだレイの冷やかさと言ったら、言葉で表現できるものではない。アドルバードが助けを求めてルイを見ても、彼は無視するばかりだ。
「……最初から、順に説明するよ」
だから、お茶の準備を。そう答えて、アドルバードはため息を吐き出した。
お茶と共に運ばれてきた軽食に、アドルバードは目を丸くする。そういえば、お腹が空いているな、と他人事のように思いだした。
「晩餐会を抜けてきたんですから、まともに食事なんてとっていないんでしょう?」
ささやかな婚約者の気遣いにじんわりとしながら、アドルバードは頷いた。本当にいい女すぎて困る。
「で? なんであんたは大事な仕事をほったらかして婚約者にでれでれしてるわけ?」
「で、でれでれしてない」
「してるじゃない。今まさに」
きっぱりと言葉を包み隠さないあたりがリノルアースである。
「……あの男、」
思い出してもまだむかむかする。けれどすぐに冷や水を浴びせられるように、ルイのセリフが思い出された。
『……あなたはどれだけ馬鹿なんですか』
わかっている、俺は馬鹿だ。馬鹿で間抜けで、どうしようもなくて、だから傍にレイがいてくれなくちゃいけない。俺が、少しでも王子らしくあるために。
「レイをくれ、と言いやがった」
しん、と水を打ったようにその場が静まり返った。無反応のレイ、相変わらず不機嫌そうなルイ、そして嫌悪感を隠さないリノルアース。
「……それで?」
リノルアースが低い声で問いかけてくる。アドルバードがちらりとルイを見ると、彼は目を閉じたままむすっとしていた。
「とれるもんならとってみろって言って、出てきた」
ルイに叱られた記憶は真新しいどころか、つい先ほどのことなので、自然と声は小さくなった。
「あら、アドルにしては強く出たわねぇ」
リノルアースは暢気にそう呟くだけだ。なんだか拍子抜けだった。しかし当の本人であるレイを見ることができず、アドルバードは視線を泳がせていたが――。
「ふっ」
思わず笑ってしまった、というような声に、アドルバードは目を丸くした。
「へ?」
おそるおそるレイを見ると――奪う奪われないという立場に立たされた本人は、くすくすと笑っていた。
「――ね、姉さん?」
ルイもさすがに驚いたらしく、信じられないと言った様子で声をかける。リノルアースだけは平然として紅茶を飲んでいた。
「さすがに一国の王がそこまで愚かだと、笑うしかないじゃないですか。それにのせられてしまうアドル様も、まだまだ未熟ですけれど」
「う」
さらりと胸に痛いことを言うところはさすがだ。
「そもそも奪うも奪われないも、無駄な話ですね」
紅茶を一口飲みながら、レイが呟いた。無駄、という一言にアドルバードの顔が曇る。ルイも訝しげな顔をした。
「私は自分で選んで、ここにいるんです」
しっかりとした声に、アドルバードとルイは黙り込んだ。リノルアースはくすりと微笑み、甘いお菓子を口に放り込む。女二人の表情に、なんとも言えない顔でアドルバードとルイは顔を見合わせた。
女は強し、ということだろうか。
「それで? どうするつもりなの、アドル」
そのまま放置する気はないんでしょう? 面白いことが起きた、とでも言いたげに微笑みながらリノルアースが問う。離宮に閉じこもっていて暇なのだろう。
「ここは男らしく決闘、といきたいところだけど」
相手はどう出るだろうか。負けるつもりはないが、向こうはたくさんの戦いを経験しているということを踏まえても、アドルバードに勝機があるかどうかは危うい。
「国王陛下の御前でそんなことを言い出したんですから、申し込めば受けざるは得ないんじゃないですか? 向こうは負けるとは露ほども思っていないようですし」
「アドルがちゃあんと勝てるかどうかが問題なんじゃないの?」
妹は実に辛辣だ。
「決闘ですか、私も申し込みたいところですね」
「なんでレイが」
本気で申し込みかねない発言に、アドルバードがつっこむ。
「私は、自分よりも弱い男を認める気はありませんから」
何気ない一言に、レイ以外の人間はぴたりと動きを止めた。
「……アドルは?」
その場を代表するリノルアースの発言に、レイはきょとんとした顔をしていた。残念なことに、本人ですらレイに勝てるかどうかあまり自信は無い。
レイはアドルバードを見つめ、そしてくすりと笑った。
「アドル様は、私よりも強い方ですよ」
「それは、俺としても無理があるような気がしないでもないぞ……」
負ける、とまでは断言しないが、同時に勝てるとも言えない。何しろレイはずっとアドルバードの騎士で、護衛だったのだから。
「簡単な話です。私はアドル様に剣を向けることがありませんから、アドル様さえその気なら負けることはありませんよ」
「そういうことですか……」
肩を落としながらアドルバードは苦笑した。その理論からすると、アドルバード自身もレイに剣を向けるなんてことはありえないのだが。
「万が一、アドル様が負けたりしたら、私が一線申し込みましょうか」
くすくすと笑いながら、レイは冗談のつもりで言っているのだが、アドルバードには予想するのに難くない未来にひきつった笑みを浮かべるしかできなかった。
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