太陽の消えた国、君の額の赤い花

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11

『ノーア様の、望むように』


 肩の荷がおりた。
 あれほどまで彼を拒み続けていたのが嘘のように、心が軽くなった。
 私が望むように――もう彼を憎まなくていい。
 アジムのことはもちろん話せない。イシュヴィリアナを滅ぼしたことを話せるわけがない。けれど――それ以外のことで彼に頼るのは、悪いことではない気がした。


 だから――三日ぶりに彼が月の塔にやって来た時、素直に嬉しかった。
 嬉しいと、思った。





「オルヴィス王」
 愛馬から降り立った赤毛の青年を見つけ、ノーアは呟く。驚きのあまり手に持っていた花束を落としそうになった。
 ゲイルはすぐに振り返り、ノーアの姿を見つけて駆け寄る。
「……あまり、出歩くなと言ってもきかないだろうな。傷の具合はどうだ?」
 優しく微笑みながら、ゲイルはノーアを見下ろした。
 その後ろに見知らぬ男性がいるので、少しノーアは緊張する。もともと異性と話すのは得意ではない。
「お医者様が散歩程度なら良いと――傷の治りが早くて驚かれました」
 言いながらノーアはそう言った時の医師の顔を思い出した。普通ならまだ寝台から離れることは出来ないはずだと、目を丸くしていた。
 昔からノーアは傷の治りが早い方で、さほど気にしていなかったのだが、今回のことで少し異常なのだろうかと首を傾げる。自分の出生を調べる方法もないので、どうにもできないのだが。
「そうか。無理はするなよ。傷口が開く」
 ゲイルは少しだけ、迷ったように手を伸ばし、そっと優しくノーアの頭を撫でた。
「その花は?」
「…………ニルに、あげようと思って」
 ノーアが小さな声で答える。
 ニルに対してゲイルがかなり怒っているということは、セリなどから聞いた。しかしノーアの願いもあって、亡くなったニルは月の塔の、あの美しい中庭の片隅に埋葬された。罪人として扱うのは止めて欲しい、とノーアがゲイルに手紙を出した。
 やはりゲイルは一瞬、優しかった顔を曇らせた。
「私の願いをきいてくれて、ありがとう」
 ゲイルはこのことを公式に発表しなかった。
 月の塔に不審者が侵入したということはゲイルの口から出されたが、ノーアが刺されたということは一部の人間にしか知らされず、ゲイルの二日間の滞在も結局はただの我儘ということになってしまった。
「……理解はできないが、当事者に言われれば仕方ないだろう。おまえはまだ俺の后ではなく、ただの聖女だから」
「聖女でもないわ。もうイシュヴィリアナはないから――ただ額に珍しい痣があるだけの、ただの女の子よ。特別な力なんて何一つない。だから、ニルを止めることができなかった」
 そっとノーアが腹部に触れる。まだ包帯の巻かれているそこは、痕が残るだろうと言われた。
 聖女とはつまり、イシュヴィリアナの聖女を略した呼び名に過ぎない。そもそも聖女はイシュヴィリアナの建国に関わる乙女から派生した聖者だ。
 他国の人間には聖女を敬う理由などない。だからオルヴィスの重鎮は皆ノーアを処刑しろと口うるさいのだ。
「ニルにとって私は理想の『イシュヴィリアナの聖女』だった。私がニルの理想を打ち砕いたから、ニルは己を失ってしまった。……見捨てられないように、見放されないようにと理想を演じ続けてきた私がいけなかったの。私にはこの小さな箱庭しかなかったから、ここの人達に嫌われたら最後だった。強く、気高く、汚れない――そんな存在でなければいけなかった」
 ぽつぽつと語るノーアの話に、少しゲイルは苛立った。
 そんな理由でどうしてこの小さな女の子が刺されなければいけない?
 勝手に理想を押し付けて、こんな狭い場所に縛り付けて――こんなに孤独で。どうしてこのか弱い少女がそんな風に扱われなければならないのか。
「ニルは特別に信心深くて――王家に対しても忠誠を誓っていたから、こうなったの。ここにいた修道女が皆そういう人なわけじゃないわ。だから、余計な心配は必要ありません。これはイシュヴィリアナに遺された者の問題で、あなたには関係ないことだもの」
 そっとニルが眠る場所に花を供えたノーアが、振り向いてゲイルを強く見つめる。
 ゲイルはその強い瞳を見つめ返しながら、釘を刺されたのだと、すぐに気づいた。
 国王というゲイルの立場からして、ノーアを刺した犯人がここにいた修道女だったと知った時点で、その他の修道女にも奇妙な動きがないか、監視をつけている。それに気づいて――もしくはそうなるだろうと予測して、ノーアはそれを止めようとしているのだ。
「……関係ないからといって、無視するわけにはいかない。おまえはもうオルヴィスのものだからだ」
 まるで俺のものだと言っているみたいだと、ノーアは思った。
 初めて出会った時に后になれと、そう言われた時より不快感はない。それが少し不思議だった。
「それなら、私に護衛をつければいいでしょう。一日中側にいるような――その方が負担も減るはず」
 賢いな、と後ろに控えていたロハムが呟く。
 何ヶ所かの修道院に散らばった複数の人間を監視するより、守るべき者の守りをより強固にした方が確かに楽だった。ましてノーアは、状況が変わればオルヴィスの人間からも狙われるだろう。
「……そうしたいのも山々だが、オルヴィスの人間におまえの護衛を任せるわけにはいかない。そしてイシュヴィリアナの者にもだ。それに男だと色々面倒だしな」
 ノーアが俯く。
 自分のせいで他の人の迷惑になるようなことは避けたい。自分に見張りが増えるくらい、我慢できる。今だってそう良い状況ではない。セリ以外の女官は相変わらず事務的な態度だし、話し相手といえば今はセリと医師と――時折訪れるゲイルくらいだ。
 オルヴィスの者では暗殺の危険が高まる。イシュヴィリアナの者では、ノーアを扇動して反乱を起こすかもしれない。
「おまえがこの塔から出て、俺の目の届く城まで来てくれればもっと問題は簡単になる――后になれとは今は言わない……それは無理なのか?」
 ノーアは体中が熱くなったような気がした。
 それはまるで――彼が、ノーアを守ると言っているようなものだ。
 しかしそれは。
「…………無理よ」
 私はここから出ない。出られない。出たくない。
 ゲイルが不満げに眉を顰める。
 どうして、と言い募ろうとしたゲイルを後ろにいたロハムは止めた。
「……無理だ。おまえが言ってることは聖女様にとってはかなりの決断がいることなんだよ。決めるとしても、今は急すぎる」
「しかしいずれは――」
 ここから出て、城に来てもらうと、口に出しそうになってゲイルは手で自分の口を塞ぐ。
 本音を言えばすぐ側にいて欲しい。危険な時にいつでも駆けつけられるように。月の塔と城でも充分に近いと思ったが、それは誤りだった。近くない。知らされた時にはもうノーアは危険な目にあっているのだ。
「陛下、あなたはあまりにもイシュヴィリアナについて知らない。これにはそれなりの理由があるんだ。――俺の言うことなんだから、信じてくれるだろう?」
 ロハムが真剣な顔で、そう言う。
 彼はイシュヴィリアナについて詳しい。それもそのはず、彼の母親はイシュヴィリアナの貴族出身で、幼少期はイシュヴィリアナを訪れることも多かったそうだ。彼の情報は今回重宝された。聖女を殺すなと進言したのも彼だ。
 母親似のロハムは白銀色の髪で、目は緑色だ。オルヴィス人というよりは、イシュヴィリアナの人間に近い外見をしている。イシュヴィリアナは銀髪が特徴的で、瞳も青や緑が多い。対してオルヴィスは赤や茶色の髪が多く、瞳も比較的濃い色ばかりだ。肌もイシュヴィリアナ人に比べると少し濃いだろうか。
「……分かった。無理強いをするつもりはないからな。警護をさらに増やせ。――ロハム、後で聞かせろ」
 それは別にかまわないが、とロハムは笑う。
「聖女様に聞いた方がいいんじゃないか? 俺より正確だろう」
 突然矛先を向けられたノーアは目を丸くして、驚いている。
「え、その――」
 それもそうか、とゲイルはロハムの気遣いに感謝した。
 戸惑うノーアの腕を掴み、中庭から塔の中へと向かう。あまり外にいると、傷に障る。
「別に特別なことじゃない、どうしてここから出ないのか、その理由が知りたいだけだ」
 でも、とノーアはまだ迷ったように呟く。
 一階の、すっかりノーアの第二の寝室となってしまった部屋まで連れて行き、横になるように言う。寝ながらでも話はできる。
「問題でも?」
 ゲイルの問いに、ノーアは首を横に振った。
「ただ――――長く、なると思うけど」
 ノーアの言葉に、ゲイルは微笑む。




 それはむしろ、ゲイルにしてみれば喜ばしい知らせだ。




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