太陽の消えた国、君の額の赤い花
12
どうして、彼女が縛られなければいけない。
どうして、彼女がたくさんの重荷を負わなければいけない。
聖女だからか?
額にあの小さな花のような痣があるからか?
それだけで、彼女は――――。
この小さな箱庭から、出ることができないのか。
一人の人間をそこまで束縛する、聖女とは一体なんなのか――。
ノーアは部屋にお茶を運んできたセリに、自分の部屋からとある本を取ってきてくれるように頼んだ。自分で取りに行っても良かったが、目の前の青年がそれを許してくれそうになかった。
「――オルヴィス王、あなたはどれだけイシュヴィリアナについて知ってるの?」
どこから話せばいいのか、それを探ろうとノーアはゲイルに問いかけた。
オルヴィス王、という単語にゲイルは少し不満を覚える。出会った時からノーアにはそう呼ばれていた。名前で呼ばれたのは、たった一度きりだ。ついこの間のことではあるが。
名前で、呼んでくれないのかという呟きを飲み込んで、一度ゲイルはため息を吐き出す。
「……さっきいた――俺の幼馴染に聞いたくらいだな。つまりはほとんど知らない」
「あの人は、イシュヴィリアナの人?」
ノーアが控えめに問いかけてくる。
いいや、と端的にゲイルが答える。白銀の髪だから勘違いしても仕方ないだろうなと思う。
「母親がイシュヴィリアナ出身で、幼い頃に何度か滞在したこともあるようだが――オルヴィスの人間だ」
「そう、だから詳しいのね」
あのタイミングで、誰かにノーアは月の塔から出れないと庇ってもらえるとは思えなかった。
「――ノーア様、お持ちしましたけど」
こんこん、と小さなノックがして、セリの声が聞こえた。ノーアはどうぞ、と答えて入るように促す。思ったよりもセリが来るのが早くて助かった。ゲイルと長い会話をしたことはそれほどないので居たたまれない。
ゲイルとノーアの二人を交互に見た後、セリがそろそろとノーアに近づく。
「この本で、大丈夫ですか?」
「ええ、合ってるわ。ありがとう、セリ」
ノーアが受け取ったのは臙脂色の表紙の、古めの本だった。
失礼します、とセリが部屋から出てからゲイルが「それは?」と問う。
「イシュヴィリアナの、建国について書かれてる本。神話に近いわ。初めから話すとなるとそこからなんだけど――時間は本当に大丈夫なの?」
国王という仕事がどれだけ多忙なものなのかくらいは、知っているつもりだ。ましてゲイルにはイシュヴィリアナに滞在中にすることは山ほどあるはず。
「数時間くらいはどうにでもなる。気にするな」
むしろ無理やりどうにかするのだが。
それならいいけど、と――少し戸惑いながらノーアは本を開く。
天の神には四人の美しい娘がおりました。
中でも末の娘の力は強く、そして娘の中で一番美しかったのです。淡く輝く銀の髪に、透き通るような青い瞳を持っていました。しかし残念な事に、末娘の額には小さな赤い花のような痣がありました。
神はそれぞれ娘達に使命を与えました。一の娘には空を、二の娘には大地を、三の娘には海を見守るように言い渡しました。
そして一番強い力を持つ末娘には「人」を見守るように命じました。
人の世界に生き、人と同じ目線で人の世を見ろと。強い力に酔っていた娘に対する神なりの配慮でした。
娘は地上をあちこち旅をして、一人の青年と出会いました。
娘は青年を気に入り、力を貸しました。次第に仲間が増え、勢力は大きくなり、やがて一つの国が出来上がりました。
青年はその国に娘の名をつけました。
――イシュ・ヴィ・リアナ、と。
ノーアの声はまるで小川のせせらぎのようで、澄み切っていて、穏やかで心地よかった。
「イシュ・ヴィ・リアナは古語でリアナの国、という意味なの。神の末娘の名前がリアナだ伝えられているわ。それがイシュヴィリアナの始まり。青年が初代国王」
ノーアは口に出さないが、この神の娘が聖女の由来なのだろうと予想できた。額に赤い花の痣――まさに目の前の少女にもある。
「娘と王は結ばれ――そうして何人かの王子と姫が生まれた。その子孫がイシュヴィリアナ王家とされているの。一応系図では血が途絶えたことはないみたい。よくある話でしょう?」
王家は神の末裔だという話は、どこの国にでもあるものだ。
素直にゲイルは頷いた。オルヴィスも似たり寄ったりな神話がある。
聖女は何か、その疑問はまだ解決していない。ノーアも再び本に目を落としたのでゲイルは自然に口を閉ざした。
涼やかな声が、部屋に響く。
娘と王は子をなし、そして国を豊かにしました。
神の子である娘は変わらず美しいけれど、王はどんどん老いていきました。
そして人であるが故に、娘を置いて天へと召されました。
娘は空の姉に聞こえるほどに悲しみを叫び、大地の姉に響くほどに身体を震わせ、海の姉のもとまで流れ着くほどに涙を流しました。
そうして娘は、父である神に、王と共に眠らせてくれと懇願しました。
神の命はいらないから、人として彼と共に死なせてくれと。
神はその願いに一度、否と答えました。
娘には神から与えられた、「人」を見守るという使命があったからです。
すると、大地が荒れました。
天が裂け、雷が落ち、海が荒れ狂い、嵐が起きて、人の世は壊れかけました。
娘の状態を見て、使命を果たすのは無理だと察した神は、娘の強い力と身体を引き離し、力を失った娘は望むように王の傍らに、人として眠らせました。
そうして荒れた世界は元に戻りました。
娘が果たせなかった使命を、神は人に負わせました。
娘の強い力を人に引き継がせ、決して絶えることのないように仕組みました。その代行者である印として娘と同じ痣を額に刻みました。
力は必ず乙女に受け継がれ、その力は再び国を導くために使われました。
そうして人々は乙女をこう呼ぶようになりました。
聖女。
神の愛娘、と。
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