太陽の消えた国、君の額の赤い花

PREV | NEXT | INDEX

13

 ぱたんと本を閉じて、ノーアは一息ついた。


「――聖女はそうして生まれたと言われているわ。本当かどうかなんて確かめる術がないから何とも言えないけれど」
 苦笑してノーアが呟く。
 イシュヴィリアナは大陸の中でも長い歴史を持った国だ。その国が出来た当時のことなど誰も知らない。
「聖女が起こした奇跡も両手では数え切れないほどあるわ。未来を予知した、傷を治した、聖女に危害を加えようものなら何か見えない力で阻まれた……先代の聖女様も随分と慕われていたみたい。流行り病で死ぬ人が増えた時に自ら看病なさったって……」
 たくさんの患者の側にいても、聖女は病にかからなかったという。
 次々にあげられていくノーアの例に、ゲイルは耳を傾けた。そして疑問に思う。
「外に、出たのか」
 控えめな問いだった。
 ノーアはゲイルを見つめて苦笑し、その問いには答えなかった。
「……この塔にはね、初代国王と神の娘が眠っているの。ここは大きな墓標なのよ。知ってるかしら? 城の、王の執務室からは月の塔が見えるそうよ。この国が誰の国なのか、忘れることのないように」
 ――――イシュ・ヴィ・リアナ。
 リアナの国。彼女が作った国だと、この名前はそう訴え続けているのだ。
「聖女も、昔はとても力が強かった。でもそれもしだいに弱まってきたわ。特別な力なんてない、額に痣があるだけの聖女が増えた。それでも聖女はリアナの力。この国を作り上げた神の娘の代行者。放置できないから、仕方なく探し出し、月の塔に閉じ込める……そういう考えがここ何代かの王では強かったみたい」
 しかし子供を手放したいと思う親はそう多くない。広大な国の中からただ一人を探し出すのには時間がかかった。聖女が月の塔に連れてこられるのは、平均して八〜十歳くらいなのだと、ノーアは説明した。
「――私が月の塔に来たのは、生後三ヶ月の頃よ」
 ゲイルが眉を顰めた。今の説明と比べると、早い――早すぎるくらいだった。
 ノーアは閉じた本を見つめ、淡々と続けた。
「だから親の顔も、名前も覚えてないわ。ノーアという名前だけが親からもらった唯一のもの。ルティスという名前は、親の姓ではなくて、聖女に与えられる称号でしかないから」
 辛い話であるはずなのに、ノーアは落ち着いていた。彼女にとってそれは辛いと感じることもできないような、当たり前の話になってしまっているのだ。
「私の、聖女の力が強かったみたいなの」
 奇妙な言い方だ、とゲイルは思った。
 強かった、と過去形であり、そしてみたいだと人から聞いた話であるように。
 それに、彼女はついさっき言ったはずだ。
『ただ額に珍しい痣があるだけの、ただの女の子よ。特別な力なんて何一つない』
 顔に出ていたのだろうか、ノーアがゲイルを見て笑う。
「この塔にいるだけでは、ただの女の子なのよ。月の塔は神の娘が眠る土地。もともとは彼女のものである聖女の力も抑えられるの。そして私は生後三ヶ月の時からここに暮らしているから、自分の力を見たことも、使ったこともない。――赤ん坊の頃は、力が制御できなくて感情の起伏のままに色々な現象が起きたらしいわ。物が壊れるのは当たり前、機嫌が良いと天気が良くて、泣き出した途端に雨が降る……ひどいと嵐になったって」
 全部聞いた話だけどね、とノーアは苦笑した。
 奇妙な現象が起きるということが王家に伝えられ、その原因を探られ――すぐにノーアの居所が知れたのだという。
「大人になれば赤ん坊の時のように力が暴走することはないって、先代が調べてくれたから、短い時間だけど外に出たこともあるわ。でも聖女はもともと月の塔からあまり出ないように育てられるし、私も不自由を感じたことはない」
「世界を、知りたいとは思わないのか」
 するりとその言葉は簡単に零れた。
 外に連れ出して、あの澄んだ青空を、深い海を、砂の大地を、見せてやりたいと思う。こんな小さな箱庭で、一生を終えるというのか。
「……知りたいと思うこともあるけど、それ以上に自分が恐ろしい」
 ノーアがそう呟いた。
 そこで初めて、ノーアの小さな手が震えていることにゲイルは気づいた。今まで気づかなかった自分に、内心で舌打ちする。
「私が外に出て、何が起きるのか――少しの間は平気でも、塔の外で暮らすなんて考えられない。怖いの。自分の中の、強すぎる力が……」
 震える身体。涙ぐむ声。目の前の少女からは、そんな強い力を感じない。ただの華奢な、女の子で――。


 耐え切れなかった。


 小さな手を握るだけ、そう思ったのに――ゲイルが手を握り締めると、驚いたように見上げてくるノーアの目にはやはり涙が浮かんでいた。そんな顔を見たら、抱きしめずにはいられなかった。
 ノーアの身体は小さかった。長い銀の髪は絹糸のように滑らかで、甘い香りがした。腕は力を入れれば折れてしまうんではないかというほどに細い。


 鳥籠の鳥だ、とゲイルは思った。


 しかも鳥籠の扉は開け放たれている。それなのに中の鳥は、狭い世界しか知らないから、その中で飛ぶことしか知らないから大空へ行くことを恐れている。
 いつでも飛び出せるのに、籠の中で怯えているのだ。


 なら、自分が手を差し伸べよう。
 空が怖いのなら、最初はこの腕にとまっていればいい。


 籠の外が恐ろしくないと、教えてやればいい――。






「…………オ、オルヴィス王……?」


 戸惑ったようなノーアの声が、今までで一番近くから聞こえる。
 抱きしめる力を強めれば強めるほど――ノーアの身体は緊張して強張った。
「……もう、名前では呼んでくれないのか」
 ゲイルが苦笑しながら、ノーアの耳元でそう囁いた。びく、とノーアの身体が揺れる。気配から怯えているのではないと、勝手に解釈した。
「あ、あれはっ……その、ね、ね、寝ぼけて――いや、違うの。あの――っ!」
 ノーアは激しく、この腕の中から逃げ出したい衝動に駆られた。しかしゲイルの腕はびくともしない。非力なノーアがこの腕から逃れる方法はなかった。
 くく、と笑い声が聞こえる。からかわれたのだと気づいて、ノーアは憤慨した。
「オルヴィス王!? ふざけるのもいいかげんにして!」
「ゲイル、だ」
 ノーアの耳に吐息がかかる。
 わざとしか思えない行為に、ノーアはますます腹を立てた。ゲイルの行為に顔が赤くなってしまっていると分かっているから、余計に悔しい。
「――外へ行こう。俺が連れ出してやる。おまえはまだ世界のことを、何も知らないんだ。最初は近場で、短い時間で――それから徐々に慣らしていけばいい。そうすれば、外にいることも、自分の力も恐ろしくなくなる」
 優しい、夕日のように温かな声。
 ノーアの身体も、いつの間にか固くなくなっている。
 ああ――本当にこの人は、こんなにも優しい。
 いつの間にか消え去っていた涙が、先ほどとは違う意味で再び湧き上がった。






 鳥籠の扉は開いている。


 差し伸べられた手を受け入れるかどうかは、鳥しだい。
 


PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2009 hajime aoyagi All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system