太陽の消えた国、君の額の赤い花
19
このひとはわたしをまもってくれる。
私は、何もしなくていい。
このひとはわたしにすがりつかない。
私は、何もしなくていい。
ずっとずっと、イシュヴィリアナの人のためにあろうと、良き聖女でいようと思った。
だけどもう、それが怖い。
泣き疲れたのか、気が緩んだのか――ノーアはゲイルにしがみついたまま眠りに落ちていた。
手はしっかりとゲイルを離すまいと、彼の服を握り締めている。苦笑しながらゲイルが頬にかかるノーアの銀の髪をはらう。
いつからこんなに無防備になったんだろう。
出会った時、彼女は何の感情もなく見つめ返してきた。しかし后にすると言った瞬間に目つきが変わり、自分を睨みつけてきた。憎悪をいう感情を含みながら。
いつから彼女が自分に頼るようになったんだろう。――どうして?
劇的に変わったのはやはり、ノーアが生死の境を彷徨ったあのときか。
「……陛下、ノーア様は」
ラトヴィアがノックをして、ゆっくりと扉を開ける。
よく出来た女性で、ノーアのことをよく考えている。彼女を探し出したのは正解だった。
「もう大丈夫みたいだ。疲れて寝てる」
「まぁ、淑女が男性に寝顔を見せるなんて」
と冗談を言いながらも、ラトヴィアが安堵しているのはゲイルにも分かった。
「……ノーア様は辛いことを溜め込む人なので、心配だったんです。いつも宥めるのは殿下の役目で――……と、申し訳ありません」
謝る必要はないのだが、ラトヴィアが慌てた様子で口を閉ざす。
言うなれば殿下、つまりアジムはゲイルの恋敵だ。死人は美しいとはよく言ったもので、生きた人間が勝とうとすればかなりの強敵であることは間違いない。
「気にするな。……王子はどんな人柄だった?」
それは単純な好奇心だった。
恋敵がどんな人間だったのか、ただ純粋に気になったのだ。
「外見は陛下よりずっと繊細な感じですよ。まぁイシュヴィリアナ人は皆そう見えるんですがね。幼い頃は本当に絵に描いたような完璧な王子様でいらっしゃいましたよ。優雅で穏やかで優しくて」
ゲイルが一番覚えているのは王子の死に顔だった。
穏やかに、ただ穏やかに眠っているようなその顔は印象に残っている。
「しかしまぁ、大人になると結構やんちゃで……本質は変わらないんですけどね。ノーア様に対しては本当に妹のように可愛がっていらっしゃいましたよ。二人が寄り添う姿はとても絵になるって皆で騒いでね」
そこでまたラトヴィアがすみません、と一言謝る。
ゲイルは内心苦々しくも思いながら気にするなと答える。
「小さな頃から三日と間を置かずに会いに来られてました。ノーア様には気心の知れた人が少なかったので、心配だったんでしょうね。――いつだかの戦であやうく失明しかける怪我をしましてね。右目のよこに傷跡ができてしまって、せっかくの良い男が台無しになって」
「傷跡?」
そんなものあっただろうか。
「ええ、凄く目立つわけじゃありませんけどね。じっくり見ると気づくくらいの」
記憶の中の王子の顔を何度も思い返す。
右目の横に、傷跡。
何度思い返してもその傷跡が思い浮かばない。それほど長く見たわけではないし、記憶が正しいとは言い切れない。
しかしゲイルの胸に小さな疑問が浮かぶ。
遺体に傷跡はなかったとする。
それはなぜか。
――別人だったから。たとえば影武者だった。
では王子は?
『……楽園には、王妃様も姫君もいらっしゃるもの。陛下はきっと、寂しくないわね』
ノーアが以前死んだ国王と王子の最期の様子を聞いてきた時にそう言っていた。
なぜ王子のことは何も言わない? 父のように慕っていた王よりも、恋人のことを考えるのが普通ではないのか?
――――――死んでいないと、知っているから?
王子は生きている?
まさかと笑うことはできなかった。
身代わりや影武者なんていくらでも作れる。
そしてもしも王子が生きているのなら――それはオルヴィスの脅威になる。もしかすれば再び戦になる。
なにより――ゲイルにとっての強敵だった。
『愛していたか、王子を』
『愛してたわ』
即答だった。何の迷いもなかった。
彼が生きていると、ノーアが知っているとしたら、彼女は永遠に自分を見つめてくれないかもしれない。
永遠に、王子を想い続けるのか。
――――もしも、生きているのなら。
もう一度ゲイルは『イシュヴィリアナの王子』を殺さなければいけない。
一国の王として。
一人の男としても。
たとえノーアに再び恨まれるようなことになっても。
腕の中の少女は、安心しきって眠っている。
そこまでの信頼を、失うことになるのだろうか。
ノーアは今限りなく不安なはずだ。このまま上手く誘導すれば――共にオルヴィスに来てくれる可能性はかなり高い。そうしてしばらく時が過ぎれば、后になることも承諾してくれるだろうとゲイルは予想している。それほど嫌われていないはずだ。
しかしそれでいいのか。
彼女の中にもう一人の男を住まわせたまま。
それで自分は満足できるのか?
ああ――なんて醜い独占欲。
ノーアが心を許してくれるようになってから、どれほど自分は欲深くなったんだろう。
彼女を誰にも渡したくない。
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