太陽の消えた国、君の額の赤い花

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20

 目覚めるとゲイルはいなくなっていた。
 いつの間にか長い夜は明けて、朝日が眩しく、目覚めたばかりのノーアの目を刺激する。
 ぼんやりと起き上がると、寝台の上にゲイルの上着が何かの抜け殻のようにそこにあった。その上着をしっかりと握り締めている自分の右手に驚いた。
 ぎゅ、と上着を抱きしめるとかすかにゲイルの香りがした。ほっと安堵する。
 雨は一晩降り続いたようだ。木々がしっとりと濡れている。



 聖女でいることが、怖い。
 誰かに縋りつかれることが辛い。

 皮肉にも昨日の出来事がノーアの意思を決めた。


 ゲイルと一緒にオルヴィスへ行こう。
 そこでは聖女として扱われることもなくなるし、過剰な期待もされない。それは今のノーアには何よりも幸せなことだった。
 后になるという決意はまだ、固まらない。
 ゲイルが好きなのかと聞かれても正直どう答えていいのか分からない。
 でも側にいたい。
 ゲイルの側にいることが今はどんな場所よりも安心できるのだ。





 山ほど積み重ねられた書類を睨みながらゲイルがため息を吐き出す。
 オルヴィスへの帰還ももう秒読み段階といって良いだろう。そんな時に新たな問題を見つけるとは思わなかった。
「――ロハム」
 同じように書類と睨みあっている幼馴染に声をかける。
「なんですか国王陛下」
「……少し気になることがある」
「なんですか、遠まわしに言うのは時間の無駄なんでとっとと白状してください」
 書類から目を離さず、ロハムは国王相手とは思えない口調で答える。
「……おまえ、処刑前にイシュヴィリアナの王子に会ったよな?」
「会いましたよ。何ですか今更」
「王子の右目の横に、傷跡はあったか?」
 ロハムが顔をあげた。
 訝しげにゲイルを見てくる。
「ありましたよ。確か。――そう、けっこう目についたんで覚えてます」
「おまえが王子に会ったのは処刑前だよな?」
「そうですよ。何なんですか、一体――」
「遺体に、傷跡はなかった」
 埋葬を任せた部下にも聞いた。何人に聞いても、答えはゲイルと一緒だった。
 ロハムが言葉を失う。何度か何か言おうと口を動かすが、結局何も言わなかった。
「…………身代わり、か」
 ゲイルが背もたれに身を預け、天井を見上げてため息を吐き出す。
 これでほぼ確定した。

 ――王子は生きている。

「一体いつ……それに顔はまるで一緒だったじゃないですか。急ごしらえであんな身代わりが見つかるとは思えません」
「イシュヴィリアナの人間を呼べ。問いただすしかないだろう」
 王子の影の存在があったかどうか。
 それは今どうしているのか。

 呼ばれてやってきた男は驚くほど簡単にすべてを吐き出した。身の保身の為だろうか。もとより忠誠心の薄そうな男だ。
 王子には昔から驚くほどに似た影武者がいたということ。それがジルダスという名の青年であったこと。彼は終戦間際に不治の病を理由に城から去り、もうこの世にいないこと。それがその男の知るすべてだった。
 出来すぎてはいないだろうか?
「……困りましたね。王子は今どこにいるのか……しかしイシュヴィリアナの中できな臭い話は聞きませんよ」
「国外に逃げたんだろう」
「イシュヴィリアナと友好関係にあった国はすべて押さえてあります。王子に似た人物の入国があれば気づく」
 もし王子が生きているのなら。
 普通ならもう一度国を取り戻そうと動くはず。国内で味方を集めるか、縁戚関係にある国に助力を求めるか。
 そのどちらも動きはない。
 何が目的だ?
 知っているとしたら、たった一人しかいない。
「――どこに行くんです?」
 立ち上がったゲイルにロハムが問いかける。
「月の塔に。聖女なら何か知っているだろう」
「……いいんですか?」
 その問いには答えず、ゲイルは部屋を出た。


 ノーアは昨日たくさんの人に傷つけられたばかりだ。
 こんな話本当ならしたくない。
 けれどもうオルヴィスへの帰還が迫っている。イシュヴィリアナの情勢を知りづらい状況になる前に、手は打たなければ。
 自分は、国王なのだから。


「――ゲイル? どうしたの?」
 昨日やってきたばかりじゃない、とノーアが微笑む。
 ノーアは部屋からは出ないものの、昨日よりは落ち着いたみたいだな、とゲイルはひとまず安堵した。
「ちょっとな」
「ああ、そうだ。上着、ごめんなさい。帰り寒かったんじゃない?」
 綺麗に畳まれた上着を返されて、ゲイルは苦笑した。昨日の格好は馬鹿じゃないのかと言いたくなるほどの大仰な正装なので、一枚脱いだところで寒さは感じない。

 いつもと違うゲイルの笑顔に、ノーアは首を傾げた。
 風邪でもひいてしまったのだろうか。それとも、何かあったのか――。
 しかしゲイルが今日会いに来てくれたのはちょうど良かった。オルヴィスへ共に行くと、言う機会がいつ来るかと心配だったのだ。オルヴィスへ帰る日はもう間近だから。

「ゲイル、私ね――――」

 あなたと共に、オルヴィスへ。

「ノーア」


 決意の言葉はゲイルによって遮られた。
 その低い、冷たい響きにノーアは思わず言葉を飲み込む。

 なんだろう。
 どうしたっていうんだろう。





「……アジム・アブラシード・イシュヴィリアナはどこにいる?」





 その言葉はとても鋭く、ノーアの胸に刺さった。

 飲み込まれたままの決意の言葉は、声になることはなかった。








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