太陽の消えた国、君の額の赤い花

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21

「……何、言ってるの」

 ああ、駄目だ。声が震えた。
 予想しないゲイルの言葉は、完全にノーアの不意をついていた。


「ラトヴィアから聞いた。王子には右目の横に傷跡があったと。でも遺体にはそんなものなかった。しかしその傷跡を記憶してる奴らが何人もいる」
「……あなたの勘違いじゃないの?」
 どうにか誤魔化そうとするが、もうゲイルの中で確信に近い位置にあるのはノーアにも感じ取れた。
「ジルダスという影武者がいたことも確認がとれた」
 ノーアは唇を噛んだ。
 誰がそんなことまで話したのだ。怒りにも似た感情がノーアの中で湧き上がった。
 アジムが生きているということも、ジルダスの存在も、かつての部下はほとんど知っている。おそらくアジムの行き先までは知らされていないだろうが。

「処刑したのは影武者の方で、本物の王子は生きている――そうだろ?」

 どうして今なの。
 きっとアジムはオアシスに向かってる。遠回りをしているだろうから、まだ辿り着いていないはず。まだアジムの生存が知られるわけにはいかなかったのに。
 オアシス――神に愛される土地。そこは水に溢れ、神の守護があると言われている。手を出した国は必ず滅びると言われている不可侵の都。
 そこまでアジムが辿り着けば、オルヴィスは手が出せない。
 それまで、知られるべきじゃなかった。
「……もしそれが真実だとして、私があなたの味方をすると思うの?」
 そう言いながらノーアはゲイルを睨んだ。
 アジムのことを話せば、確実に殺される。兄とも慕う人の運命が分かっていて、ゲイルにすべてを話すわけがない。
「まさか。愛してるんだろ、王子を……今も」
 ゲイルが苦笑する。
 ノーアは即答はできなかった。ゲイルの言う愛は違う。
「……アジムは大切な人よ。たぶん、自分よりも」
 以前のように愛しているとは言えなかった。ゲイルにその言葉を言うことは、ノーアにとってもなぜかひどく苦しかったのだ。
「このまま放っておくことはできないの? アジムはイシュヴィリアナを取り戻そうなんて考えていない。もう彼は国の名前を捨てたのよ。オルヴィスの脅威になんてなり得ない」
 もう生存を誤魔化そうとするより、アジムを守るためにゲイルを説得する。
「不安の芽を残しておくわけにはいかない」
 冷たいゲイルの言葉にノーアは泣きそうになった。
 いつもあんなに優しく笑うのに、少ない言葉でいつも簡単に通じていたはずなのに、どうして今日に限って伝わらないんだろう。
「不安の芽なんかじゃない。もしもアジムがもう一度オルヴィスと戦うつもりがあったなら、私をここに置いていくはずがない」
 オルヴィスの本拠地となるであろうこの場所に、ノーアがいることをアジムは望まない。ノーアを連れて逃げようと本気で思っていたのだ。彼は。旅慣れない女一人が増えればかなりの足手まといになるとわかっていても。
「たとえ本人にその気がなくとも周りが煽るんだ」
「そんなこと…………」
 言葉が続かない。どうすれば上手く説明できるだろうか。どうすればゲイルに届くだろうか。

『ノーア様の、望むように』

 どうすればいい?
 ゲイルもアジムも、同じように大切な人なのに。どちらも失いたくないのに。
 アジムが見つかって、処刑されたら、きっとゲイルのことを許せない。憎まざる得なくなる。同時にゲイルも失うことになるのだ。今までのような穏やかな時間はもう訪れなくなる。
「――――大切なの。あなたもアジムも。私にはどちらかは選べない。あなたがアジムを殺そうとするならアジムを庇うし、アジムがもしもオルヴィスに戦を仕掛けようとするならそれも止めるわ」
 ゲイルは何も言わない。
 零れそうになる涙がゲイルに見えないように、ノーアは俯いた。長い銀の髪はノーアの顔を隠してくれる。
「お願い、もうあなたを憎ませないで」
 もうゲイルを憎みたくない。

 頬に温かな手のひらが触れる。
 拒むことなくそのぬくもりに甘えた。
 どうしてこんな時にも優しいの。どうして私を甘やかすの。

「――――泣くな」

 手のひらが優しく涙を拭う。
 見上げれば困ったようにゲイルが自分を見ていた。

 共に行こうと。
 ゲイルと一緒にオルヴィスへ行こうと、そう思った。
 でも出来ない。アジムの生存が知られた今、これ以上彼に歩み寄ることは出来ない。
 たぶんこのままゲイルに優しく守られ続ければ、この唇は意に反してアジムのことを話してしまうかもしれない。彼と一緒にいたいという願いを叶えるために。大切な家族を切り捨ててでもいいと思ってしまうかもしれない。
 彼と一緒にいればいるだけ、想いは膨らむばかりだ。


「オルヴィスへの出立は五日後だ」

 ゲイルはノーアの滑らかな頬を撫で、囁くようにそう言った。
 ――――五日。


「もしもオルヴィスへ共に来るのなら、出立の朝城まで来い」


 答えは聞かない。

 そう言い残してゲイルは部屋から出て行った。
 再び突きつけられた決断。
 でももう選択の余地はなかった。




 アジムも、ゲイルも、大切なのだ。
 どちらがより大事なのかなんて判断できない。それぞれの大切の意味があまりにも違いすぎる。
 同じ天秤にはかけられない。
 恋と家族は別物だ。



 どちらも守れるようにしか、ノーアは動けない。






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