太陽の消えた国、君の額の赤い花
24
「……顔がだらしなくなってるぞ、国王陛下」
つい先ほど届けられた手紙を読む国王の姿を見て、ため息を吐き出しながらロハムが忠告する。こんな顔を彼を崇拝する部下が見たら一気にその理想像も崩れ去るだろう。
「……言うほどにやけてない」
「いつもそんな顔してないから、言うほどじゃなくても充分なんだよ、おまえの場合。何回読み返せば気が済むんだ、仕事しろよ」
どうせ大したことは書かれていないのだ、愛しているとか会いたいとか、そういう甘い言葉なんて微塵もない。読んでいないが断言できる。
「――それで、王子の追跡は本当にしなくていいのか」
ロハムは抱えていた書類を机の上にどさりと置いた。少し声を潜めてゲイルに問いかけると、彼はすぐににやけた顔を元に戻した。
「イシュヴィリアナに近づくどころか、遠ざかっている。今のところは放っていても問題ないだろう」
「あんなに敵視してたくせに、どういう風の吹き回しだ?」
別に敵視していたわけじゃない――そう言い訳しそうになったが、ゲイルは黙った。あの銀髪の少女が一身に愛を注ぎ込んでいると思っていたときは殺してやりたいくらいだったが――。
『大事なの、あなたもアジムも』
少なくとも、あの言葉を聞いた瞬間にその思いは消え去った。
彼女の――ノーアの中でゲイルとアジムは同等なのだ。それだけ、自分は彼女の中で重要な存在にまで成長した。
王子の生存を確認してから、しばらく見張りをつけた。彼らはまるで関連のない国を転々とし、イシュヴィリアナに向かう気配は全くない。それどころか他の仲間がいる様子もなく、王子と、もう一人従者が二人でいるだけだった。
ノーアから彼らの目的を聞き出せなかったので、どういうつもりなのかは分からないが――イシュヴィリアナの復興を望んでいるわけではなさそうだ。
「……無意味な殺しはしたくない」
王子が死ねば、きっとノーアはゲイルから離れて行く。そうして唯一残された家族を取り上げられ、一生彼の死を悲しんで生きていくのだろう。
「おまえが意外に戦争嫌いなのは知ってるけどな……王子が動かないとも言い切れないぞ」
「その時は――」
それは訪れて欲しくない最悪の時だろう。
ノーアはゲイルとアジムの間で苦しみながら悲鳴を上げ続けるに違いない。
「その時は、全力で潰す。それだけだ」
たとえもう一度イシュヴィリアナが結束し、オルヴィスに歯向かったとしても、イシュヴィリアナに勝ち目はない。
オルヴィスの国土は決して豊かではないが――軍事力だけはもとよりイシュヴィリアナを大きく上回っていたのだから。
「それを聞いて安心しましたよ、国王陛下」
そう言って別の仕事をしに部屋から出て行こうとする幼馴染をゲイルは呼び止めた。
「――イシュヴィリアナ領についてなんだが」
ロハムは振り返りながら物凄く嫌そうな顔をした。
旧イシュヴィリアナ王国はいつくかの領地に分けられ、功績のある者に与えることになっていた。そのすべてを分け与え終わってはいない。
そしてゲイルの言うイシュヴィリアナ領がさすのはイシュヴィリアナの王都を含んだ地域――つまりノーアの住む月の塔なども含まれている。今までは国王であるゲイルがそこを仮住まいとしていたので領主は決まっていない。
「……国王陛下、ものすっごく嫌な予感がするので帰っていいですかね」
「今から話すことが嫌なこととは限らないだろう」
「いやぁ、俺勘は良い方なんで」
「まったく、本当に勘の良い」
ゲイルはにっこりと微笑む。
「――あそこはいずれ聖女様にあげるつもりだったんじゃあないんですか」
ロハムが必死に逃げようとしている様が少し面白いので、ゲイルは微笑んだまま何も言わない。
「大体、副都にしようかって考えてたんじゃあ……」
もとは一国の王都だった場所だ。しかもイシュヴィリアナの文化はオルヴィスよりも華々しい。その文化の中心とも言える王都をただの領地にするのは――少しもったいないとも言える。
本音を言えば遷都してしまえればいいかもしれないと思うほどにその美しさは見事だ。だが遷都は面倒だというわけで副都としてあの美しさを保とうと考えていた。
「ノーアがとっとと王妃になってくれれば解決したんだが、あの通り逃げられてるんでね。副都とするにも復興の時間が必要だ――つまり」
「聞きたくないけど、つまり?」
はあぁぁ、とため息を吐き出しながらロハムが聞き返す。
「つまり、おまえにその復興の責任者になってもらいたい」
「それってつまりイシュヴィリアナに行く人間が欲しいだけだろ!? 聖女様との文通をより効率よくするために!!」
ノーアとの手紙のやり取りはやはり時間がかかる。王が目を通すものには厳しい監視がついていたりするし、何よりノーアとの文通を快く思っていない人間も少なくない。
だから信頼できる人間に直接届けてもらう。もちろんイシュヴィリアナにオルヴィス側の人間の監視が必要なのも理由の一つではあるが。
「……賢い部下も考えものだな」
「己の欲望に忠実な主を持って苦労しますよ本当に!!」
そう言いながらもロハムは引き受けてくれるのだ。
「期待を裏切らない、信頼できる部下がいて助かるよ。返事を書くからそれまで出発しないように」
「早速かよ、まったく。書類の整理も何もかも、見張りがいないからって怠けるなよ」
準備をしてくるからそれまでに用意しておけ、と言い捨てて幼馴染は部屋から去る。
褒美が待っていると思えば机の上の書類の山も苦にならない。
用意した便箋とにらみ合いながら、ゲイルはノーアから出された宿題に頭を抱えていた。
――自分のことを書くのは思いのほかに難しい。
月の塔にやって来た青年を見て、ノーアは目を丸くした。
以前ゲイルとよく一緒にいた青年だったのだ。直接話したことはさほどないが、顔は覚えていた。
「……ロハム、さんですよね。どうしてイシュヴィリアナに?」
彼から渡された手紙はやはりゲイルからだった。
「いやぁ、我儘な国王陛下のせいっていうかなんていうか……とりあえず手紙は俺に直接渡してください。必ず届けますから。イシュヴィリアナの復興責任を命じられたんでちょくちょく来ることになったので」
つまりはゲイルに命じられてそんな面倒なことになってしまったのだろう。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「そう思ってくださるならとっとと陛下の求婚を受け入れてくれるとありがたいんですけどね。少しは落ち着くでしょうから」
言われてノーアは真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい。それはちょっと、その……」
「陛下は現時点では王子を見過ごすつもりみたいです」
顔を赤く染めあげていたノーアが、ロハムを見上げる。
彼らが言う王子は、ただ一人しか示さない。
「……あなたのためですよ」
苦笑するロハムをノーアは直視できなかった。
今度は羞恥で顔が赤く染まった。自分一人の我儘で、こんな――。
「ああ、気にしないで下さい。あなたを責めてるんじゃないんです。王子がオルヴィスに敵対するような行動もとっていないので、こういう決断をしただけです。もともと陛下は戦うことが嫌いなんで」
ノーアはどんな顔をしていたのだろう、ロハムは苦笑いをしたまま、意外ですか? 聞いてきた。
「戦争はたくさんの血を流させ、たくさんのものを傷つける。挙句残るのは大したものじゃない。陛下は――ゲイルは、王として人を殺してきた。多くのものを守るために。今、王子を殺しておけば後々の不安はなくなるでしょうけど……手を下さずに済むものにまで、非情になることもないですから」
そう言うと、ロハムは数時間後にまた来ると残して月の塔から去った。
会いたい。
今、ものすごく――ゲイルに会いたい。
会って優しく抱きしめてあげたい。慰めてあげたい。あの人を支えてあげたい。
あの人を自分を隔てるこの距離がこんなにも憎い。
今すぐに駆けつけたいのに。
遠くにいるあの優しいひと。
どうしてだろう。近くにいるよりも、あの人を思うことが多いなんて。
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