太陽の消えた国、君の額の赤い花

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25

 月日が流れれば流れるだけ、手紙は増えていく。
 それはそれだけの量を自分も書いているということで、束となった手紙を見てノーアは少し驚いた。
 ゲイルからの手紙は相変わらずノーアの様子を気にしてばかりだが、始めた頃よりは自分のことをわずかに書いてあって、少しずつ改善されている。





「……忙しそうですね。ロハムさん」
 少しやつれたようにも見えるロハムを見てノーアは気遣わしげに声をかける。
 オルヴィスとイシュヴィリアナを行ったり来たりを繰り返し、ろくに休む暇もなく仕事をしているのだ。このままでは身体を壊してしまう。
「まぁ、それだけ陛下から必要とされてるってことですかね。今はオルヴィス側にも信用できない奴がちらほらいるんで、仕方ないんですよ」
「……私を生かしておくことを良しとしない人達でしょう?」
 ノーアは王妃として迎え入れることは危険だと思われて当然だし、ただの虜囚にしては自由過ぎた。ノーアも王子と同様に処刑してしまえばいいと思っている連中は少なくない。
「賢い人は誤魔化せないから厄介ですね」
 と、ロハムが苦笑する。
「聖月祭での一件も、少し問題視されているんですよ。もしも万が一にあなたに天候を操ったり奇跡を起こさせたりする力があるなら、野放しにはできないとね」
「あれは……偶然です」
「偶然にしては出来すぎていた。現にイシュヴィリアナの民は聖女が起こした奇跡だと信じきっているわけですし」
 そう――あの一件の後は、イシュヴィリアナを去ろうと考えた。
 民の期待はこの身に背負うにはあまりにも大きすぎたから。もう聖女として生きていくのは辛かったから。
「……本当は、あなたの耳には入れるつもりがなかったんですけど」
 あなたの気持ちを知るにはちょうどいいですかね――
 そう言いながらロハムがゲイルすら書かなかった真新しい情報を口にする。
 驚くようなことではなかった。それなのに、ノーアはひどく動揺した。







「オルヴィスは本当に素晴らしいところですね。陛下も強くて、心強いですわ。あのイシュヴィリアナを短期間で制圧なされたとか」
 ゲイルは曖昧に微笑むだけで、特に返事はしない。
 目の前の女性は自分よりも三歳年下で、海路での交流が盛んなエル・フィリオスという国の王女だ。蜜色の髪を繊細に結い上げて、豪奢なドレスを着こなしている様はまさにお姫様そのものだ。
「この国を知るたびに、ますます好きになっていきます」
 にっこりと微笑む姿は妖艶で――普通の男ならば見惚れるところなのだろう。
「それは良かった。留学の間、この国の多くを知っていただきたい」
 ゲイルの返答に、王女は不満げだった。
 好きなだけ滞在して良いですよ――王女が求めていた言葉はそんなところだろう。それはつまり王妃として迎え入れましょう、と同義になる。
 王女の訪問は遠まわしな見合いだ。ゲイルに一刻も早く妻を娶らせようとする重鎮達と、嫁ぎ遅れそうな姫を早く結婚させたいエル・フィリオス王国の国王による陰謀だった。
 残念なことに王女も乗り気になってしまったらしく――こうして仕事の合間に彼女の相手をしなければいけない。
 いつかノーアに言った言葉に嘘はない。
 オルヴィスには形だけではあるが後宮が残っている。しかしゲイルは何人も妻を持つつもりはない。生涯ただ一人でいい。
 そしてそのただ一人はもう心に決めている。
 月光を集めたように淡く輝く銀髪の、儚げでありながらも芯はしっかりとした美しい少女。


 当面の問題はこの王女をどう扱うかにあった。








『陛下に、他国の王女との縁談がいくつか持ち上がってるんですよ』



 そうそれは――可笑しなことではないはずだ。
 彼は一国の国王なのだから。子孫を残すこともまた王としての重要な使命のはずなのだから。
 彼は自分に求婚を――あれが求婚というのなら――したはずだが、それは彼個人の意思に過ぎない。王族の婚姻は決して一個人の感情だけで動かせるものではない。オルヴィスの中でノーアを王妃にしようと思うものはどれだけいるだろうか?
 分かっていたことのはずだ。
 彼と結婚するなんて無理だ。アジムのことを入れても、入れなくても。


 なのにどうしてこんなに心が揺れているんだろう?
 どうして裏切られたような気分になるんだろう?


 こうしている今も、あの穏やかで優しい、榛色の瞳に、自分ではない他の誰かが映っているのだろうか。
 ずしん、と胸に錘が下がったようだ。


 嫌だ。苦しい。


 自分が自分でなくなっていく気がする。
 醜く汚れていく気がする。


 ノーアは胸にそっと手を当てる。心臓が壊れそうなほどに激しく、不規則に動いていた。
 手が震えている。上手く息が出来ない。
 悲しいわけじゃないのに涙が浮かんできて、どうしてだろうなんて、頭の中の冷静な部分が考えている。


「――――嫌ですか?」


 ロハムが問いかけてくる。
 何故かその声は優しい響きを持っていた。ノーアの記憶の中で、ロハムがこんなに優しく話しかけてきたことはない。


「わからない……けど」


 あの人が見つめる先にいるのは自分であって欲しいなんて。
 ――なんて醜い独占欲。


 こんな感情は知らない――。




「経験不足な聖女様に、今のその気持ちが何なのか教えてあげましょう」
 ロハムはまるで御伽噺の魔女のようにそう囁く。
 縋るように見上げたノーアを見て微笑み、そしてその微笑みを残したままの唇が、醜いと感じるノーアの気持ちを言い当てた。









「――嫉妬、ですよ」





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