太陽の消えた国、君の額の赤い花

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26

 きつくきつく蓋を閉じる。
 決して中身が見えないように。





 ゲイルはノーアからの返事を丁寧に畳みながら、黙々と仕事をこなしている幼馴染を睨みつけた。
「おまえ、何した」
 誰に、と聞かないあたりが二人の関係を上手く表している。余計な言葉などなくとも分かるはずだという信頼が築かれているのだ。
「人聞きの悪い。何もしてませんよ、国王陛下」
「嘘付け。誤魔化せると思うな」
 ノーアの手紙は、いつもよりも格段に内容が少なかった。筆不精なゲイルとは違ってノーアはかなりの量を書いて返してきてくれる。それこそ日常のとりとめもないことすら書かれているから、ゲイルとしてはノーアの様子が分かりやすく――何よりも多く綴られたその文字そのものが、心弾むものだ。
「気になるなら聞けばいいじゃないですか。明日にはまたイシュヴィリアナに行きますから、それまでに返事くださいね」
「聞けないからおまえを問い詰めてるんだろうが! 分かってるだろそれくらい!」
 怒鳴り始めたゲイルの目の前で顔色一つ変えずにロハムは「別に教えてもいいんですけどね」ともったいぶる。
「どこぞの王様が舞い上がりそうなんでつまらないなぁ、と。人の不幸は蜜の味ですけど人の幸せはうざいだけだし」
「どこがどう舞い上がるのかも分からない状況で放置するな。そして人の不幸を遠まわしに望んでいるようなセリフは慎め」
 どうせゲイルの前でしかそんなことは言わないことは知っているが、一応は注意しなければならない立場だ。
「――口止めはされなかったので、エル・フィリオスの姫君のことを話しました」
 ゲイルは絶句して――そして頭を抱えて「……しとけばよかった」と呟く。
 それはつまり、ノーアに見合いをしたのだと伝わったようなもので――しかもその見合い相手はしばらくゲイルの側にいるということで。
 浮気がばれた夫というのはこんな心境なのだろうかと少し的外れなことを考えつつ、それのどこが自分を舞い上がらせるのかとロハムを睨む。
「…………それで」
 ノーアはどう返したのだろう。
 どうでもいいだろうか、それとも少しは気にしてくれただろうか――自分は乗り気じゃないということを手紙にしたためて弁解したい気分だ。
「随分気になっていたみたいですよ。良かったですね。少しは脈ありで」
 本当は嫉妬さえしていたのだが――それは言わないでおこうとすこし意地悪な心がロハムを支配する。
 嫉妬ですよ、とロハムが指摘すると、ノーアは一瞬その言葉自体を知らないかのように首を傾げた。それから何度か反復すると――火がついたように真っ赤になって違うと言い張っていた。あれではそうだと言っているようなものだ。
 嫉妬という感情を、今まで知らなかったのだろう。







『――嫉妬、ですよ』


 そんなんじゃないと自分に言い聞かせながらも、ゲイルに送った今回の手紙はいつもの半分くらいしか書けなかった。


 縁談があるそうね、おめでとう。どんな方なの?
 どうして縁談なんて話があるの? 私に求婚したくせに。私が頷けばすぐにでも后にすると言ったくせに。
 大層綺麗な方だそうね。そんな人を后にできるなんて幸せでしょう?
 ねぇ、本当なの?
 ねぇ、どうするの?


 ねぇ、私はどうすればいいの――?


 気がつけばそんなことを書き出してしまいそうで、便箋と向き合うことが怖くなった。出来上がった手紙は何度も読み返して、可笑しなところがないか確認した。おかげでどこかよそよそしい手紙になってしまったけど。
 相手の姫君はゲイルよりも三歳年下で――自分なんかよりもよっぽど釣り合いがとれている。どうせ私は子供だもの。
 エル・フィリオスは南の方のそれなりに豊かで平和な国だ。オルヴィスと結びついておきたいところだったのだろう。最早なくなった国の、王族でもないただの少女のノーアとはまるで違う。



 ねぇ、約束はどうなるの?
 砂の海を見に行こうって、約束したでしょう?
 それともそんな約束は、忘れてしまったの?
 私、乗馬も上手くなったのに――。



 一人でいればそんなことばかり考える。
 嫌だ、こんな自分。


 側にいて。否定して。その瞳に私だけを映して。他の人なんて見ないで。
 会いたい会いたい会いたい――。




 きつくきつく蓋を閉じる。
 思いというなの箱の蓋を。
 決して中身が見えないように。
 私は何も知らない。何も思わない。何も考えない。


 この思いの先にあるものがなんなのかなんて、知らなくていい。



『――――嫌ですか?』


 頭の奥からロハムが何度も問いかけてくる。
 嫌かと、ゲイルの側に他の女がいることが。縁談が上がってきているということが。


「……そんなの…………」


 ああ、もう隠せない。
 蓋は消えてしまった。私が吹き飛ばしてしまった。嫉妬という名前の突風で。




「………………やだ……」




 ぽつりとそう零すと、涙が溢れた。
 鏡に映る自分はなんだかとても惨めで情けなくて、それでもどこかいとおしい。
 流れる涙すらきらきらと輝く。醜い嫉妬すらノーアは憎めない。


 誤魔化そうと思っていた想いは溢れてしまった。
 もう認めるしかない。


 これが恋なのだと。
 ずっとずっと、そうだろうと思って、誤魔化してきた。
 どうせ実らない。釣り合いのとれていない自分と彼は、傍目からはとても恋人同士には映らない。
 どれだけ想おうと、周囲に認められるものじゃない。
 だから、気がつかないまま闇に紛らせて忘れてしまおうと思ったのに。




 私はゲイルが好きなんだ。
 たぶんもう随分と前からそうだった。


 初めてあの鮮やかな赤に目を奪われた時に、既に逃げられなくなっていた。




 彼が好きなのだと、気づかないように自分を誤魔化してきただけ。






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