太陽の消えた国、君の額の赤い花

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27

「イシュヴィリアナの魔女をいつまで生かしておくおつもりですか」


 いいかげんにしろと怒鳴りたくなる衝動を抑えながら、ゲイルは一度深くため息を吐き出した。


「イシュヴィリアナの聖女を処刑するつもりも、幽閉するつもりもない。何度も言わせるな」
「しかしあの力はいずれ脅威になります」
「脅威になどならない。あれはただの少女だ」
 上手くいけばこの国の力になる――そう断言するのは躊躇われた。
 聖月祭のあの突然の雨も、もしかしたらとゲイルは思っていた。あんなに都合よく天候が変わるはずがない、それはおそらく自然の力ではない何かが影響したのだと。――影響を及ぼすとしたら、それはあの少女なのだと。
「もとは敵だった人間です。……陛下。まだあの小娘を后になど――」
「同じ事を何度も言うつもりはない。わかったら早急にあの姫君を故郷に帰せ」
 鬱陶しいだけだ、と冷たく言い放つゲイルは、ノーアがまるで知らない一面だったろう。
「かの姫君のどこか不満だと言うのです」
 あんなにも美しく、聡明な姫を――と言う重鎮達をゲイルは睨みつけた。
「ならば俺も聞こうか。イシュヴィリアナの聖女のどこに不満がある?」
 歴史あるイシュヴィリアナにおいて、王家の次に――否、王家に等しい地位を手に入れていた少女だ。もはや無くなった国とはいえ、イシュヴィリアナは素晴らしい国だった。おそらくこの大陸の中でも一、二を争うほどに。
 この頭の固い重鎮達はノーアを見たこともないから、あの繊細な美しさも、聡明さも分からないだろうが、十六歳であれなのだから、将来はかなり有望だ。
「……聖女を殺せばイシュヴィリアナの民は黙っていない。殺すわけにはいかないのなら、利用するほうがいいだろう」
 声を低くしてゲイルは静まり返ったその場に、確かに聞こえるように呟く。
 最近の朝議はいつもこんな調子で話にならない。誰も反駁してこないのを確認し、ゲイルは何も言わずに部屋を去った。



 ――利用しようなんて、今はもう思わない。思えない。
 彼女から奪い去ったものを、彼女に同じだけ与えたいだけだ。
 家族と呼べる唯一の人達を、ゲイルはノーアから奪った。だから本当の家族を与えようと――その家族に自分がなれたらと、そう思う。




「お疲れですねぇ、国王陛下」
 ロハムが苦笑いを浮かべてゲイルを見つめる。いつも思うがこの男に国王陛下、と丁寧に呼ばれると厭味に聞こえてならない。
「疲れもするさ、面倒な人間ばかりで」
「爺どもが? それともトリシャ姫が?」
 爺どもだ、と答えようとしてゲイルは動きを止める。
「トリシャ?」
 聞いたことのあるようなないような名前に、首を傾げる。ロハムは信じらんねぇ、と呟いてため息を吐き出した。
「エル・フィリオスのお姫様の名前だろーが。覚えてないのか」
「ああ、確かそんな名前だったな」
 今や面倒な存在第二位にまで上り詰めている姫君の名前は本当なら覚えておくべきなのだろうが――最近ではそんな余裕すらなかった。
「姫君が知ったら嘆き悲しむだろうなぁ」
「おまえが口を滑らさなきゃ知られることもない」
「頭の中は聖女様のことでいっぱいですか。しっかりしてくださいよ、国王陛下」
「……うるさい」
 こんな反論しかできないのが悔しい。
 今回の見合いの件がノーアの耳に入ってしまい、少しは気にしているようだという以上の情報を話さない幼馴染を睨みつけながらゲイルは手紙にしたためる文を考えていた。
 こちらから見合いなんてどうでもいいんだと書いていいものだろうか。書いたところでノーアの場合真摯に向き合わなければ相手に失礼だとでも怒ってきそうな気もする。そもそもあちらは特に何も聞いてきていないのに――。
「昼頃にはイシュヴィリアナに向かいたいんですけどね。手紙はまだですか? それとも俺を手ぶらで行かせるつもりですか?」
「すぐに書く!」
 と言いつつ、徹夜しても思い浮かばなかった言葉がほんの数時間で便箋を埋めるほど増えるかどうかは甚だ疑問だった。






 ――自分は格別に美しいわけじゃない。

 けれど王女という立場上、誰もが一度は目を奪われるはずだった。豪華に着飾り、美しく装えば十人並みのこの容姿もそれなりにはなるということだ。
 それなのに。
 どうしてあの国王はあの瞳に自分を映さないのだろう。
「私、そんなに魅力がないのかしら」
 ぽつりと自信なさげに呟くと、国から共にやって来た女官はいいえ、と即答してくれた。
「トリシャ様は素晴らしい方です。オルヴィス王もいずれ気づいてくださいますわ」
「無理よ。あの方の心にはもう他の人がいるんだわ。分かるもの。いつも誰かを想っている……誰かしら」
 あの人をあんなにも夢中にさせられる人はどれほど美しいのだろう。星の瞬きを集めたように輝くのだろうか。太陽の光のように優しく微笑むのだろうか。
「……そういえば、イシュヴィリアナの聖女に随分目をかけていらっしゃると聞きましたけれど」
 イシュヴィリアナ。
 それはもうない国の名前だ。
「――聖女? それは何? 巫女みたいなものかしら?」
 エル・フィリオスでは神に仕える女性を巫女と呼ぶ。なんとなく響きが似ている気がした。
「いいえ。イシュヴィリアナにおいて聖女はただ一人、王家にも等しい地位を得た神の愛娘です。イシュヴィリアナに滞在していた時は三日と空けずにお会いになっていたとか……」
 三日。
 それは多忙な王としてはかなり時間を割いていることになる。ただ一人の少女のために。
 オルヴィスにやって来てから、オルヴィス王自ら訪ねて来てくれたことは一度もない。形式的な場か、こちらから誘わない限りは会えない。
「その方が、オルヴィス王の大切な人なのね」
「トリシャ様……」
 切なげな呟きは、女官の胸を打つ。


 あの赤毛の美しい国王に出会ったときに、恋だと思った。
 あんなに素晴らしい男性に出会ったことはなかった。
 気高く、そして自信に満ちていて、それでいて驕れることはない。


 この胸の高鳴りが恋なのだ。


 どうすればあの素晴らしい王の心が手に入るだろう。
 どうすればその聖女のように愛されるだろう。

 どうして私を見てくれないのだろう。
 もう消えた国の女など、政治的には何の価値もないというのに、この自分が負けるのだろうか。
 どうすれば私を見てくれるのだろう?


「消えてくれればいいのに……」


 邪魔な人間なんて消えてくれればいい。
 そうすれば、あの方の心は私のもの。








 それは何不自由なく、豊かな暮らしをしてきた姫の無邪気で残酷な呟きだった。








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