太陽の消えた国、君の額の赤い花

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28

「……まいどどうも。いつもの定期便です」
 どこぞの商人かと勘違いしてしまいそうなセリフとともに、ロハムはゲイルからの手紙をノーアに手渡した。
「いつも、ありがとうございます……」
 浮かない表情のノーアに気づいたロハムは、面倒な二人だと内心で呆れ果て、どうフォローを入れるべきかと考えている自分にため息を吐きたくなった。
 どうせあの国王だ、結局弁解の言葉も何も入れずに当たり障りのない内容を書くだけなのだろう。
「帰るときになったら返事を取りに窺いますね、いつものとおりに」
「お願いします……でも少し、休んだほうがいいんじゃありませんか? ロハムさん、ずっと働いてばかりでしょう?」
 こういう純粋な言葉は思いのほか嬉しく感じるものだと、ノーアと会話を交わすようになってから思うようになった。
「平気ですよ、国王陛下も似たようなものですから……俺の負担を減らしたほうがいいと思うんでしたらとっととオルヴィスに移住してください」
「そ、それは……」
 頬を赤く染めながらノーアが俯く。
 その後で暗い表情になるのはやはり今オルヴィスに恋敵とも言うべき女がいるからだろうか。
「冗談ですよ、どのみち今の状況じゃあここにいるほうが安全です。オルヴィスではあなたを始末しろとうるさい人間が多いのでね。命がいくつあっても足りないような生活は嫌でしょう?」
「……私のことを、切り捨ててしまえばいいでしょう」


 ――時折、この少女は自暴自棄になる。


 ロハムはため息を吐き出して、ノーアの顔を覗きこむ。
「それは国王陛下に面と向かって言ってください。俺に言っても無駄ですよ――まぁ、あの人も聞く耳持たないと思いますけどね。毎日いいかげんにしろと怒ってますから」
「目に浮かぶようね――本当に、馬鹿な人」
 大人びたノーアの表情には、時々ハッとさせられる。
 まだ十六歳の少女なのにと思うと同時に、彼女はこの一年足らずで大きな人生の転換期を迎えているのだ――もとより、大人よりも大きな責務を負わされていたわけだけど。
「大馬鹿なんです――それほど、あなたが大事なんでしょう。あなたが自分の身も顧みずにイシュヴィリアナの王子を守るように」
 家族愛と恋愛という違いはあるにせよ。
「ロハムさんは……どう考えますか?」
「何をです?」
 少し冷めてしまった紅茶を一口飲み、喉を潤した。どうせ月の塔から出てしまえばこうしてゆっくり過ごすこともできない。
「あの人と、エル・フィリオスの姫が結ばれるのと、私とでは――どちらが良いのかと」
 ことり、とティーカップを置く。
 やけにその音が響いて、この部屋はそれほど静寂に包まれていたのだと気づかされた。
「……政治に携わる人間としては、エル・フィリオスを選ぶでしょうね。イシュヴィリアナがどれだけの国だったとしても、所詮はもうオルヴィスの一部ですから。王妃となる教育を受けた女性ですし、余計な口出しなんかもしないでしょう。少し面倒なのはエル・フィリオスに干渉される機会が増えることくらいですか」
 みるみるうちに顔を曇らせていくノーアを一瞥し、ロハムはため息を吐き出す。
「しかしまぁ、俺という人間は誰よりも国王と接してますし、幼馴染ですから――愛のない結婚なんかはさせたくないなぁ、と思っちゃうんですよ。あれの性格も知ってますし。あなたと結婚しても不利益になることはないし、イシュヴィリアナの統合も上手く進むでしょう。それにあなたはきちんと中身のある人間ですし」
「…………?」
 ノーアが首を傾げる。
 分からないか、とロハムは苦笑して説明した。
「王家や貴族の女性は大抵、良き妻良き母になるための教育がみっちりされてますから。あれは教育というより洗脳に近いですけどね。そういう女性は皆型どおりにしか動けないんですよ。あれはこういうもの、これはこうするものって決まってるんで。あなたも王妃となる教育を受けた、立派な淑女ですけど――きちんと自分の意見があるでしょう? それに賢い。オルヴィスは発展途上の国です。まだ成長していくんです。そういう国に必要なのは、王に助言できる王妃だと思いますよ」
「助言なんて――」
 出来ないと呟くノーアは、そのままロハムの顔を見ることが出来ずに俯いた。この時は何故かロハムの顔を見てはいけないと思った。
「……あなたはきっと、そういう王妃になりますよ」
 傍らでそっと支え続けながら、そっと道を示してくれるような。
 間違った時には正してくれるような。



 そうして、そうした人が、彼の側にあると良いと、そう願っているのだ。






 ことり、とペンを置きノーアはため息を吐き出した。
 恋なんて――したこともないから、どう行動していいのか分からない。一番簡単なのはオルヴィスへと行き、ゲイルの求婚を受け入れればいい。その旨を手紙に書いて、返事をただ待てばいい。そうすればきっと、彼は反対する人間をすべて説き伏せてノーアを迎え入れるだろう。
 でも、それで正しいのか分からない。
 王族の婚姻が個人の問題ではないということは嫌というほど知っている。オルヴィスにおいて益があるのはあきらかにエル・フィリオスの姫だ。ノーアではない。
 なにより――ゲイルはノーアのことをどう考えているのか分からない。
 出会った次の瞬間に、后になれと、そう言われた。
 対等でありたいと、そう言われた。
 でも、愛しているとも好きだとも言われたことはない。物語の中にあるような甘い囁きなんてない。
 ただ憐れんでいるだけなのだろうかと思ってしまうのだ。
 国を失い、家族のように思っていた人々を失い、聖女という特異な立場に縛られている自分に、ゲイルは同情しただけなのではないかと。
「…………だって、私には何もない」
 何もないから、王妃に相応しくないと思う人がいる。

 結局手紙にはいつもと変わりないことしか書けない。
 前の手紙が短かった分、少しだけ分厚くなったそれを優しく抱きしめて、ノーアは柔らかく微笑んだ。
 溜まっていく手紙。
 それはまるでノーアの思いを形に表したかのようで。
 こうした繋がりがあるだけ、幸せだと思えるのだ。









「では、今回もお願いしますね、ロハムさん」
 受け取った時とは打って変わって、ノーアは春の日だまりのような微笑みを浮かばている。
「確かに、お預かりしました」
 ノーアから渡された手紙を無くさないように上着の内ポケットに入れ、ロハムは生真面目に答える。
「…………心配いりませんよ」
 ロハムは余計なお世話だろうかと思いつつ、口が勝手に話し始めてしまったことに少し驚いた。
 何のことだろうとノーアはロハムを見上げて首を傾げる。
「陛下は姫を帰したがっていますから。そもそもお見合いというのはどちらも好印象を得て、結婚に進むものですしね。体面上の問題があるから、少しの間滞在しているだけです」
「気にしていないとは言いませんけど……大丈夫です。仕方のないことだとは思いますから」
 そう答えるノーアの顔に翳りはなく、ロハムは少し安堵する。
「それと――身辺にはくれぐれも気をつけてください。周囲はラトヴィアさんなど信頼のおけるもので固めるように。最近反イシュヴィリアナ派の動きが活発になってきているようなので」
 一変して真剣な面持ちのロハムに息を呑みながら、ノーアは頷く。
 自害しようと試みたこともあったし、ニルに刺された時は死んでもいいと思った――けれど、今は死にたくない。勝手な思いではあるが。
 一分、一秒でも長く呼吸していたい。出来るのならこの美しい世界を脳裏に焼き付けたい。死んでいったイシュヴィリアナの人のためにも。

「……分かりました、気をつけます」
 自分の置かれた状況を思い知らされる。
 ただ穏やかに時間が過ぎていた、イシュヴィリアナが存在していた頃ではない。


 小さな箱庭の中で静かに過ごしていられたのは、もうはるか遠い昔のことのようだった。



 
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