太陽の消えた国、君の額の赤い花
31
ぴったりと深く眠るノーアに寄り添うゲイルに、ラトヴィアは毛布を差し出した。
温かい部屋の中とはいえ、夜ともなれば冷える。頑としてノーアの枕元から動かないこの国王の方が身体を壊してしまいそうだ。
ノーアは毒を口に含んだ直後は熱にうなされ、苦しそうにしていたが、今では呼吸も穏やかでただ眠っているだけのように見える。
「……ご報告します」
静かなラトヴィアの声がより静かな室内にやけに響く。
ゲイルは何も言わず、ただ眠るノーアの顔を見つめている。
「ノーア様の飲まれた毒は、無味無臭で、遅効性のものでした」
「――――……遅効性?」
ゲイルが訝しげに問う。聞いた話によるとノーアは毒を口に入れた直後に倒れたはずだ。
「はい。奇妙な話ですけれど……そもそも即効性のものでは自分が犯人だと名乗り出ているようなものですし…………これは、あくまで憶測ですけれど」
ラトヴィアは一瞬口を閉ざして、ちらりとノーアを見る。
「ノーア様の、特異な体質のせいかもしれません。ノーア様は昔から傷の治りの早くて、病もすぐに治りましたから……身体が、毒を拒否した可能性も」
そんなこと――――
「あり得るのか?」
そう問いながら、もしかしたらと思う自分がいた。事実彼女が以前に腹部を刺された時の回復の早さは医師が驚くほどに異常だった。
「ノーア様ならば、としか言えません。ノーア様はここ近代には見られないほどの力の強い方ですから……正直なところ、聖月祭のあの雨もノーア様によるものだと思います」
「――……神の愛娘、か」
それは無意識に呟かれた言葉だった。
夜は静かにふけていく。
ノーアの目は閉じられたまま、あの空の色をした瞳は見えない。
ほとんど願掛けのように、以前彼女が倒れた時と同じように、額に咲く赤い花の痕に優しく口付けた。
『お姫様は王子様の口づけで目覚める。物語の黄金のルールだ』
ノーアが腹部を刺されて意識を失った時――ロハムにそう言われて、王子様は自分じゃないと、そう捻くれていたが――今ならばどうなのだろう?
ノーアのアジムに対する思いが恋ではないと、そう気づいてからは随分と楽になった。彼女に目覚めのキスを贈れるのはアジムではない。
けれどそれが自分だなんて思うほど図々しくもなれなかった。
「――――――ノーア」
ノーアの銀糸のような髪を優しく撫で、小さく囁く。
多くのものを彼女から奪った自分が、どんな顔をして彼女に請えばいいのだろう?
側にいてもいいかと、側にいて守ってもいいかと。彼女の失ったものが取り戻せないのは分かりきっているけれど――それに代わるものを与えてはいけないかと。
幸せを、願うことは罪だろうか。
この儚く美しい少女が、いつまでも曇りのない微笑みを絶やさずにいられるのなら――それだけでいい。
彼女の笑顔を守ることこそが自分に課すべき使命なのだろう。
『どこへ行くの?』
ただひたすら、何もない世界を歩み続けるノーアの背後から声がした。
振り返ると、そこには自分とそう年の変わらない少女が立っていた。
「帰るの」
『どこに?』
「私が生きていた場所に」
『貴女の生きていた場所とは?』
「――――……」
奇妙な問いばかりの少女を、ノーアは訝しげに見つめる。俯き気味な上、長い銀の髪が目を覆っているせいで表情が窺えない。
「……誰よりも大切な人達がいる場所よ。私は、まだ死ねないから」
少女が顔を上げた。
さら、と髪が流れ瞳が現れる。透き通るような青い瞳、そして――
「……聖痕?」
少女の額には赤い花のような痣があった。
そう、ノーアの額に咲く痣と瓜二つの。
『――どうしても、行くのね?』
切ない色を秘めた少女の瞳は揺れながらノーアをじっと見つめた。
『これから、とても辛いことがあるとしても?』
――何を、言っているのだろう。
この少女は何者なんだろう。
どうして未来を知ってるかのようなことを言っているんだろう。
どんなことが待ち受けているのだとしても。
「帰らなくちゃ……」
そう答えた途端に、真っ白な世界が崩れた。
目の前の少女も共に崩れていく。
『もはや私の国は消えてしまった。けれど私もあの人もあの地で眠り続ける。そして国が消えても私の力は継がれていく』
足元が崩れ去り、暗闇の中に放り出されたノーアはそう響く声をただ聞くしかできなかった。
『貴女はまだ死ねない。私の力を持つ者が貴女しかいないから。次の者が生まれるまでは、貴女の命は守られる』
ノーアは一つの名前が浮かんだ。
私の国。
私の力。
イシュ・ヴィ・リアナ。
受け継がれていく聖女の力――。
「――――…………リアナ……?」
それは神の末娘にして、イシュヴィリアナの母。
『貴女の未来に、光が満ちますように』
優しい優しいその囁きは、母親のぬくもりのように温かい。
その響きが余韻を残して消え去ると、暗闇を突き破るように光が差し込む。あの恐怖を覚えるような白ではない。穏やかな、赤い光――。
――――ああ、やっぱり。
ゆっくりと瞼を持ち上げて、視界に飛び込んでくるのは想像していた通りの人物だった。
目が合うと、傍目にも分かるほどにその人は安堵していた。いつもよりも顔色が悪いので倒れたはずのノーアが彼の体調の心配をしてしまった。
「――――――ゲイル」
微笑みながらそう名前を呟くと、微笑み返しながら優しく髪を撫でてくれる。
何も言わないが、表情だけで随分と心配させたことは充分理解できた。
オルヴィスにいるはずの彼がこうしている時点で、数日間は眠ったままだったのだろう。仕事を放棄させてきてしまっただろうことには少し罪悪感を覚えた。皺寄せはすべてロハムにいってしまったに違いない。
「心配かけて、ごめんなさい」
それと――――
「…………ありがとう」
いつも、あなたは私を導いてくれる。
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