太陽の消えた国、君の額の赤い花

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32

 あの恐ろしい真っ白な世界の出口は、温かな赤い光だった。
 それが私には彼だと、自然とそう思えた。
 だって、こうして目覚めた私の目に一番最初に飛び込んでくるのは彼の姿なんだもの。


「――――ノーア」


 青ざめた顔がほっと安堵したように名前を呟く。
 ああ、また心配かけてしまったんだな、とその声を聞いてノーアは申し訳なく思った。もっと自分が警戒していればこんなことにはならなかっただろうに。
「もう、大丈夫。私よりもゲイルの方が病人みたいよ」
 ゲイルの頬に触れようと伸ばされた手はいつもよりも頼りない。
 ――人の心配よりもまず先に。
「自分の身を少しは気遣え。無茶ばかりする」
「……今回のことは不可抗力だと思うけど。注意力散漫だったのは認めるわ」
 ふぅ、とノーアはため息を吐き出す。
 枕から頭を上げずにいるものの、顔色は良く健康そうだった。起き上がらずにいるのはゲイルがうるさそうだからだ。たぶん彼はノーアが頭を上げようものなら無理やり寝かしつけようとするだろう。
「いつものことだろう?」
「ひどい。いつもいつもぼんやりしているわけじゃないわ」
 む、と少し怒って抗議する姿に再び安堵する。
 瞼が開かれ、あの青い瞳が覗いた時には幻でも見ているのかと疑いたくなったが、今目の前で表情をくるくると変えているのは紛れも無くノーアだ。


 ――――生きている。
 間違いなく、自分の目の前で。
 彼女は呼吸し、動いている。


 溢れ出した歓喜は身体中を巡り、気がつけば身体は勝手に動いていた。


「ゲイルっ!?」


 伸ばされた手を強引に引き、抱き寄せるとノーアは驚いたように声を上げた。
 いつか抱きしめた時よりも華奢に感じるのは、数日間眠り続けていたせいなのだろうか。
 甘い香りに酔いそうになりながら、ノーアの髪に顔を埋める。


「…………ノーア」


 決して微笑みを絶やさぬように。
 あらゆる悪意が彼女を傷つけないように。
 どんなものに変えてでも彼女を守ろうと――



 ――――誓ったのだ。他でもない自分に。





 もはや無くなった『イシュヴィリアナ』の聖女。
 それだけでノーアがオルヴィスの庇護を受けるのは不自然だ。
 彼女がこうして危険な目に遭うのも、立場が曖昧なままだから。不安定な場所ではしっかり立つことなんて出来ない。


 この現状を変えることが出来るのは――国王である、自分しかいないのだ。


「――――……頼む、婚約してくれないか」


 ノーアが息を呑むのが気配で分かった。
 顔を上げ、彼女の表情を窺うのは正直怖い。
 自分は彼女からあらゆるものを奪った張本人で。
 彼女が彼女でなければ、恨まれて、殺されても可笑しくない立場で。
 それでもノーアはノーアだったから、すべてを理解した上で、憎しみも恨みも忘れようとしてくれているのだ。
 本来なら、こんな勝手なことを言える人間じゃないのに。


「……どう、して?」


 戸惑いがそのまま言葉になったかのような響きがそこにあった。
 初めて出会った時、「后になれ」と言っても動揺していなかったのにと思うのは可笑しいだろうか。
 あの時と今では、お互いの距離が近くなりすぎた。
 政治や策略を抜きにした感情の方が、大きくなりすぎた。
「もう、二度と、危険な目に遭わないためにも……これが最善なんだ」
 そんなものは建前だった。
 愛している、だから、永遠に隣にいて欲しい。
 そう曝け出すことができたらどれだけ楽だろうか。
「曖昧な立場のままだから、こういうことが起きるんだ。王の婚約者ともなれば迂闊に手出しは出来なくなるし、警護の人間だって堂々と増やせる……こんなことは、もう二度と起きない」





 ――私のことを、愛しているからではないの?

 
 口からそう飛び出しそうになるのを、ノーアはわずかな理性で飲み込んだ。
 ……何を勘違いしていたんだろう。
 彼は一度も私を好きだなんて言ってないのに、いつの間にか記憶が都合の良い方へと作り変えられていた。
 ゲイルも、私と同じ気持ちかもしれないなんて。
 ……どうして、思ったりしたんだろう。
 彼はあくまで私を庇護しているに過ぎないのに。
 それだって私を殺せばイシュヴィリアナの民が蜂起するからと、ただそれだけの理由からなのに。
 家族も国も地位も、何もかもを失った子供が哀れだったから、優しくしてくれただけなのに。
 だってほら、どう考えても彼から見れば私は幼い子供にしか見えない。


「形だけでいいんだ、生活は特に変わらない…………了承してくれないか?」


 愛してくれているわけじゃないのなら。
 ねぇ、それなら――。
 お願いだから抱きしめたりしないで。
 私が倒れたくらいで駆けつけてきたりしないで。
 思わせぶりなことをして、私を惑わさないで。
 私のことなんて忘れて放っておいて。


「……私はあなたの庇護下にあるんだもの、構わないわ。何度も何度も死にそうな目に遭って、そのたびにオルヴィスから駆けつけてきたら仕事にならないもの」





 形だけ。
 偽り。



 それでもあなたが望むなら。
 そんな悲しい嘘にも我慢するから。
 







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