太陽の消えた国、君の額の赤い花

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33

「ノーア!」


 月の塔にやって来たゲイルは慌てて中庭にいる少女のもとに駆けつけた。
「何してる! まだ休んでないと……!」
 ノーアが毒殺されかかって倒れたのはまだ数日前のことだ。
 オルヴィスから駆けつけてきたゲイルはそのまま滞在を続け、小鳥を世話する親鳥よりも甲斐甲斐しくノーアの面倒を見ていた。それはもう過保護という言葉では足りないくらいに。ここ数日間は、ゲイルとラトヴィアによって部屋から出ることを許されなかった。
 目が覚めてからのノーアの回復はやはり驚異的で、尋常ではなかった。わずかな量で致死量にいたる毒を口に含みながらも生還し、目覚めてすぐに立ち上がることだってできた。
「心配しすぎよ、もう大丈夫なんだから。ゲイルだって、そろそろオルヴィスに戻ってもいいのよ? 仕事が溜まってるんでしょう?」
 こちらで片付けられる仕事はゲイルがイシュヴィリアナに到着した後に届けられたようだったが、国王の仕事は一日一日で着実に蓄積されていくはず。
「ロハムが上手くやっているだろうから、もうしばらくいても平気だ」
「そうやって仕事をサボっているんでしょう。もう……」
 そのたびにロハムに皺寄せがいくのだから、ゲイルの右腕である彼が哀れで仕方ない。
「早く部屋の中に入れ。冷えてきた」
 仕方ないわね、とノーアは呟く。
 ここで下手に抵抗すれば、また数日間部屋に閉じ込められかねない。
「せっかくだもの、お茶にしましょう」






 ――――二人の婚約は、まだ正式には発表されていない。


 ゲイルがまだイシュヴィリアナに居座っているからだ。
 彼の帰国とともに、おそらくそれはすぐ公表されるだろう。周りの反対を押し切ってでも。




「……裏で糸を引いていたのは、エル・フィリオスの人だったのね」
 紅茶を飲んでいた突然ノーアが呟く。
 ノーアに紅茶を運んでくれた女官は、昔からイシュヴィリアナに住んでいた者だった。しかし母親がエル・フィリオスの出身だったらしく、そこから繋がりが見えた。
「エル・フィリオスの姫の侍女が主犯らしい。もちろん、それに姫が加担していなかったかどうかは怪しいが。反イシュヴィリアナ派の影だってちらついてる」
「そんなにいるの? 豪勢ねぇ」
 まるで他人事のように暢気に呟くノーアの顔色はもう心配する必要もないほどに良くなった。
「……まぁ、オルヴィスに嫁ごうと思っているのなら、当然の成り行きなのかもしれないけど。そういう人からすれば、私は目障りな存在だろうし」
 オルヴィスによって消された国の権力者。それなのに、オルヴィス王の目にかけられている――守る為に婚約なんていう形をとるくらいに。
「勝手な話だ」
「勝手かもしれないけど、国と国とのやり取りなんてそんなものでしょう?」
 相変わらず、ノーアは年齢のわりには大人びたことを言う。
 ゲイルはため息を吐き出しながらノーアの髪を優しく撫でる。
「そうだが、おまえが心配することは何もない」
「どうして? 一番危険なのは私なんだけど」
 だからだ、とゲイルは続ける。
「どんなものからも守ってやる。もう二度と危険な目に遭わないように」
 それは、年頃の乙女なら誰もがときめくセリフだろう。
「――嬉しいけど、矛盾してるわ」
 ノーアがごく普通の少女と同じようにときめくはずもなく、涼しい表情で言い返す。
「あなたは私と対等になりたいって言ったんじゃないの。守り守られるのって対等じゃないと思うわ。確かに今だって私は頼ってばかりだけど……だからこそこれ以上あなたに寄りかかるわけにはいかないでしょう」
 ゲイルにしてみればもっと頼ってくれても一向に構わないのだが。それは、勝手な願い事だろう。
「……婚約を公表すれば、危険は減るんでしょう? それだけで充分だわ」
 そうだな、とゲイルが小さく答える。


 ――好きでないのなら、必要以上に優しくしないで欲しい。
 かつてゲイルがくれた言葉だけが、支えなのに。
 対等であることで、彼と並んでいられるならそれでいい。自分の存在を利用したいならしてくれていい。
 友人として側にいられるのなら。




 表面上の関係は以前となんら変わりない。
 ゲイルがイシュヴィリアナにいる間は毎日会ったし、ノーアの調子が良くなり、ゲイルのお許しが出れば二人で出かけることもあった。
 変わったのは、二人の間に何の名称もなかった関係が、『婚約者』という名前で結ばれたことだけ。
 恋人ではないが、恋人のようで、友人のようで家族でもあったノーアとゲイルがたった一言の言葉で繋がった。
 本当なら甘い甘い言葉のはずなのに、ノーアにはそれがとても冷たく切ない響きを持つように感じられた。




「じゃあ、また手紙を書く。くれぐれも注意してくれよ」
「そんなに何度も言わなくたって分かるわよ、もう……早く帰ってあげないと、ロハムさんが過労で倒れちゃうんじゃないの?」
簡単に冗談では片付けられないノーアのセリフに、二人は顔を見合わせて笑う。
「急がないとな。オルヴィスでも看病させられるのはごめんだ」
「頼んでないのに。大体私はすぐに起きれたのに、ゲイルが寝台に縛り付けていたんじゃないの!」
 抗議を始めたノーアの頭をぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でて、ゲイルは馬に跨った。
「じゃあ、またな」
「気をつけて」




 遠く遠ざかっていくゲイルの姿をただじっと見つめ続ける。









 二人の婚約は、ゲイルがオルヴィスに戻った一週間後に発表された。


 同時にエル・フィリオスの姫君、トリシャは祖国に帰国。彼女の侍女でありノーア毒殺未遂に関わったとされる者はすべてオルヴィス側の手に渡った。彼女の帰国も、言葉を変えれば追い出されただけだ。




 二人の関係が、明確に変わった瞬間だった。





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