太陽の消えた国、君の額の赤い花

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36

 それはいつもと違う朝だった。
 聞き飽きてしまうほどに繰り返された重鎮達の後宮復活の声を聞き流し続けていたので、最初はそれすら聞き流してしまった。


「陛下、ゆゆしき事態ですぞ――――」


 自分の耳を疑った。
 ああ、これが夢であるならいいのに。










 夜、ノーアが眠る前のセリの仕事はノーアの髪を梳くことだ。
 長く真っ直ぐなノーアの髪は絡まることなくさらさらと流れる。櫛を通すこちらが気持ちよくなるほどに素晴らしい髪だ。
「ねぇ、セリ」
「なんですか?」
 櫛を通す手を止めずにセリが問う。
「オルヴィスはどんなところ?」
 セリの手が止まる。
「オルヴィスですか?」
「ええ、そう。オルヴィスのことを教えて欲しくて」
 座るノーアの後ろに立つセリからノーアの表情は見えない。今までオルヴィスのことを知りたがることなんてなかったのに、とセリは首を傾げる。セリに聞くより、手紙を届けにくるロハムや、手紙でゲイルに聞くことのほうが名案のようにセリは思った。上手く説明できる自信がない。
「……え、ええと。イシュヴィリアナに比べると田舎です。どこも。山が多くて、海に行くのも一苦労なんですよ。おかげで他の国との交流もあまり盛んじゃなくて……」
「難しいことはいいの。セリはどう思ってるか教えて」
 頑張って説明しようとしたセリの様子を見なくても察したのか、ノーアが微笑みながら言う。
「……好き、ですよ。土地はあんまり良くないし、豊かな国ではないと思うけど、良い国です」
「イシュヴィリアナには聖女を信仰するけど、オルヴィスには宗教はあるの?」
「あるといえばありますけど、基本的に山にも海にも空にも、足元の土にも神様が宿ると信じられてますから、特定の神様っていうのはあまり信仰されないんです。子供が生まれるとまずその子の守護神を決めます」
 不思議な考えだな、とノーアは思った。イシュヴィリアナにはそんな考えは無い。不思議だと思うと同時に新鮮だった。
「守護神って?」
「生まれた子供を守ってもらえるように、神様に祈るんです。水の神様とか、土の神様とか、そういうのに。よくあるのは山の神様です。オルヴィスは山が多いって言いましたよね?」
 セリの問いにノーアは頷く。
「セリの神様は?」
「私は、花の神様です。女の子にはよくあるんです。花のように綺麗になるように、って」
 あんまり効果はなかったみたいですけどね、とセリが苦笑する。
 大輪の美しさはないかもしれないが、野に咲く小さな花のような可憐さならセリにあると思う。セリの両親はそのような意味で花に加護を望んだのではないだろうか。
「…………ゲイルは、何なのかしら」
 次の手紙に書いてみようかとノーアが考えていると、セリがさらりと答えた。
「光の神様です。王家の方の守護神は発表されるので」
「ひかり……」
 ぴったりだな、とノーアは微笑む。
「でも、どうしたんです? 急にオルヴィスのことが知りたいなんて」
 セリが櫛を箱にしまい、ノーアに問いかける。
 ノーアは答えようがどうか一瞬迷い、苦笑して答える。
「いつか、住むことになるかもしれないところだから、知っておこうと思って」
 偽りとはいえ婚約した以上、いつまでもこうして月の塔で暮らし続けることは無理だろう。
 セリにはノーアの表情が照れ隠しかなにかに感じたのだろう、嬉しそうに笑っていつでも聞いてください、と付け加える。




 ぱたん、と扉が静かに閉められ、広い部屋にノーアは一人きりになる。
 明かりを消し、窓際まで歩み寄る。
 窓の向こうには冴え冴えと輝く満月。
 その光はいつもより強く、ノーアの足元に影さえ作り出す。
 時々、こうして月光浴をする。
 太陽の光とは違い冷たいとさえ感じそうなその光がノーアには心地よかった。光る満月から目が離せない。


 満月は雲に飲み込まれ、影は暗闇に吸い込まれる。
 ノーアはしばらくそのまま月が出るのを待っていたが、満月は雲に包み込まれたまま、姿を表すことはなかった。











「どうしたの、ラトヴィア。顔色が良くないけど」
 朝目覚めたノーアがラトヴィアに問いかける。
 昨日ラトヴィアは一日休日で、城下町に住む姉の家に行っていたはずだ。月の塔に帰ってくるのは昼過ぎだと思っていた。
「もっとゆっくりしていて良かったのに……ラトヴィア?」
 具合が悪いのだろうかとノーアがラトヴィアの顔を見つめる。
 ラトヴィアは小さくノーア様、と呟いた。力の無い声だった。
「私が、心配しすぎなんでしょうか。これがただの杞憂なら良いのだけど……」
 手のひらで顔を覆い、ラトヴィアは俯く。
「どうしたのラトヴィア。何があったの?」
「何も、ありません。今はまだ」
 ただの噂なんです。
 そうラトヴィアが呟く。
「商人から、広まったそうなんです。殿下がオアシスにいると」
 それは、ただの噂にすぎない。
 それが真実かどうかを知るのは、ノーアとラトヴィアだけなのだから。






   ■   ■   ■






「イシュヴィリアナの王子がオアシスにいると!! 本物であればそれは見逃すわけにはいきません!」
「しかし王子は確かに処刑された――いや、イシュヴィリアナほどの国ならば影武者がいてもおかしくは」
「どちらでもいい!! 不穏なものは殺してしまえば――!!」


 ああ、影武者は確かに存在した。
 俺たちが王子だと処刑したのはその影武者だ。


 ゲイルは騒ぐ重鎮達を眺めながらどこか冷静にそんなことを思っていた。


 一同の視線が、自分に集まる。












「陛下、ご決断を――――」







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