太陽の消えた国、君の額の赤い花

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37

 まだ朝日も昇らない、夜と朝の狭間にノーアは目を覚ました。
 塔の外がなにやら騒がしかった。


「……? こんな時間に何かあったのかしら」


 外はまだ暗く、夜の闇が世界を染めている。
 寝静まった塔の中に明かりは少なく、ノーアはランプを片手に持って階下へと下りた。
 塔の最上階にあるノーアの部屋から一番下までは、かなりある。幼い頃から月の塔で育ったノーアでなければ引き返したくなるほどに薄暗く、不気味な闇がランプの光によって切り裂かれた。


「……ます、どうか…………ください」


 塔の中で眠っているであろうノーアや女官達が起きないようにと気遣ってだろう、小さめの声が外から聞こえた。おそらく警護にあたっている者だろう。
 応対する口調がやけに丁寧な点からいっても悪人ではなさそうだ。
 このまま警護の人間に任せるか、自分が出て行くか考えた。なんと言っても寝巻きに上着を肩にかけてきただけの、気安く人前に出れる格好ではない。
「……で待つから、気にしないでくれ」
 部屋に戻ろうかと思ったノーアの耳に、やって来た人物らしき声が聞こえる。
 壁の向こう。扉の外。
 それでも、ノーアには分かった。


 振り返り、扉を開ける。
 驚いてこちらを見てくるのは警護の人間が二人と、


「――――ゲイル」


 暗闇の中でも明るい赤い髪の青年がそこにいた。本来なら、いるはずのない人が。
「悪い、起こしたか」
 ゲイルはノーアを見つめて苦笑する。
 そんなこと――どうでもいい。むしろ目が覚めた自分に感謝したいくらいだ。
「どうしてここに……いえ、そんなことより中に」
 風邪を引くわ、とノーアがゲイルの袖を引く。警護にあたっている者よりも明らかに軽装だ。夜はまだかなり冷える。
 悪い、ともう一度ゲイルは呟いて月の塔に入った。




 女官を起こすわけにもいかず、ノーアは少し席をたって紅茶を淹れた。
 寒い外にいたゲイルのために熱い紅茶を出すと、ノーアはゲイルの向かいに腰を下ろした。
「一体どうしたっていうの。急に何の前触れもなく……」
「迷惑だったか」
「迷惑とかいう問題じゃなくて……イシュヴィリアナに来ていることを他の人は知ってるの? 夜が明けたらオルヴィスでは大混乱なんて状態にはならないでしょうね?」
 さぁな、とゲイルは誤魔化した。
 タイミング的にロハムがオルヴィスにいるはずだから、最悪でも彼だけは知っているだろう。
 ノーアはため息を零し、紅茶を飲む。
 会えて嬉しい――そう思ってしまうのは恋心の愚かさ故だろうか。こうしてノーアがゲイルに会えたおかげで、困る人はたくさんいるのだから。ロハムを筆頭として。
 しばらくどちらも何も言わない、不思議な沈黙が続いた。それは決して嫌なものではなく――ただ静かに夜明を待つ、穏やかなもので。
 ことりと、紅茶を置く音がやけに響く。


「――――会いたかったんだ」


 穏やかな沈黙を破ったのはゲイルだった。
 誰に、とも言わないセリフに、ノーアは何も言えずにゲイルを見つめた。その視線に気づいたゲイルが苦笑する。
「ただ、なんとなく、ノーアに会いたくなったんだ。無性に」
 淡々と語られる言葉の奥底には静かな情熱があるようで――ノーアは自分の体温が急上昇していくのを実感した。間違いなく、今顔は赤い。


 私だって会いたかった。手紙なんかじゃ足りなかった。会って、声が聞きたかった。二人きりでどこかに行きたかった。約束の砂の海でも良い。


 そんな言葉を吐露できたらどれだけ楽か――それでもノーアは緊張と高揚で声が出せなかった。
 ゲイルはどこか悲しげな表情を浮かべたまま、ノーアを見つめる。
 いつもの彼とは違った様子に、ノーアは首を傾げた。
 もしかしてこれは夢だろうか? ――そんなことすら考えてしまうほどに、今日のゲイルは彼らしくない。
 その原因が、静かに、重く、ゲイルの口から呟かれた。
「王子の噂が、重臣にも知られた」
「――――!」
 息を飲む。
 端的な言葉でも、内容は充分過ぎるほどに伝わった。
「……ただの、噂でしょう?」
 駄目だ、声が震えた。
 こんな声で言っても、何の説得力もない――。
「王子の行き先は、オアシスだったんだな。神に愛される土地――あそこなら俺も容易に手出しできないからか」
 イシュヴィリアナからの道はすべて警戒していたんだけどな、とゲイルは苦笑する。アジムは最短の道であるその道を放棄して、あえて遠回りした。
「……そんな理由じゃないわ。あそこには、アジムの初恋の人がいるのよ。今でも愛してる、オアシスの姫が」
 もう隠しても意味は無い。ゲイルは既にアジムが生きていることは知っている。そこでオアシスにアジムに似た人がいるなんて噂が流れているのだ、それが他人の空似だなんて思えるはずが無い。
「――どうなるの。まさかオアシスを攻めたりしないでしょう?」
 不安がそのまま形になったかのような、そんな声だった。
 ゲイルはもはやノーアを見つめることができずに、俯いて頭を抱えた。
「他国がオアシスを攻めた最後の記録はもう三百年も前だ。暗黙の了解として攻めてはならずといっても、恐怖が人の記憶から消えている今ではそれほどの効力は無い。――言っただろう、不安の芽を無視はできない。あの頭の固い爺達がまさにそれを素でいく」
「そ……」
 そんな、と抗議しようとした声はノーア自身が飲み込んだ。
 ゲイルの肩がかすかに震えているように見えるのは、錯覚だろうか。
『もともと陛下は戦うことが嫌いなんで』
 ――ああ、どうしてこういうタイミングでこんな言葉を思い出してしまうんだろう。
 この人は、また戦いを始めようとしているのに。それでこの人が傷ついているだなんて分かってしまうようなこと、思い出したくは無かった。
 もう一度、憎めるなら憎みたいのだ。この人はアジムから幸せを奪おうとしているのだから。
 無理だと、分かっているけど。


「国王の力なんて、高が知れてる。貴族が束になってしまえば、もう止めることなんて――」
 自嘲的に呟かれる言葉に、ノーアの胸が痛くなる。
 どうしてそんなに辛い思いをするの。
 いいじゃない、あなたは王である前に人なんだから。
 たぶん、ゲイルはここでノーアに罵って欲しかったんだろう。また戦争をする愚か者だと、また人から大切なものを奪うのかと。そうして自分が傷つくことで救われたいんだろう。
 だから、ノーアに会いに来たのだ。
 す、とノーアは立ち上がり、ゲイルの側まで歩み寄る。床に膝をつき、ゲイルの顔を覗きこむが膝と頭を抱える彼の表情は見えない。


 私にあなたを傷つけさせないでよ。
 私にそんな救いを求めないで。
 やり方を間違ってるわ。だって、そんな――


 そんな弱々しい姿を見せておいて、慰められずにいられないじゃない。






「……国の為に自分の感情を押し込んでまで非情にならなければならないのなら、王というのは可哀想な生き物ね」


 あなたの求める救いではないけれど。




 私の言葉が少しでもあなたの心を軽くしますように。




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