太陽の消えた国、君の額の赤い花

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44

 見上げた天井は、見知らぬものだった。
 それなのに心配げに自分の顔を覗きこんでくる人は――あまりにも懐かしい人だった。


 すべてが、夢物語であったと告げるかのように。



「……ノーア、良かった。気がついたんだな」
 気遣わしげに囁かれた声がとても優しく、ノーアの瞳からは涙が零れた。
 銀の髪、青い瞳、右の瞳のすぐ横に、傷跡がある――イシュヴィリアナの王子。
「………………アジム」
 優しく、硝子に触れるかのように繊細に頬を撫でるその手にノーアの涙は零れ落ちた。
 夢なんかじゃない。
 夢であるはずがない。
 この一年に満たない期間の全てが夢であったのなら――どれだけいいだろう。
 目の裏焼きついたままのあの鮮やかな赤が、幻であったのなら――。
「もう、大丈夫だ。ここはオアシス。危険なことはない。安心して眠っていいんだ。俺が側にいてやるから」
 あやすように髪を撫でられる。
 その腕を掴み、ノーアは起き上がる。
「――――ゲイルは?」
 不意を突かれたように目を丸くするアジムに、ノーアはさらに問いかけた。
「ゲイルは――オルヴィス王は!? あの人はどうなったの!?」
 ノーアを守るためにその背には無数の矢が刺さった。手足を貫通した矢から滴るほどの血が流れていた。
 どうして自分はここにいて、彼はいないのだ。
「ノーア、今はそれより休んで……」
「私のことなんてどうでもいい!! ゲイルは無事なの!? お願いだから教えて!!」
 縋りつくノーアを、寝台から落ちないように抱きとめながらアジムは困惑していた。
 瞳から熱い涙がとめどなく零れた。止める方法が分からない。
 彼は、あんなにたくさんの矢を受けて――


「……即死ではないにしろ、明らかに致命傷でした。おそらく助からなかったでしょう」


 静かに、冷静に、恐ろしい現実を告げる声。


「ガジェス!!」
 アジムが弾かれたように振り返り、臣下である彼を叱責する。
 しかしそんなことノーアにはどうでも良かった。


 死んだ。
 ゲイルが。
 私を庇って。
 私のせいで。






 それからノーアは寝台から離れず、ただ抜け殻のように涙を流し続けた。
 虚ろな瞳は何も映すことなく、ただ枯れることのない涙を溢れさせるだけ。
 話しかけても反応をしないノーアを、アジムは扉から様子を見る。ノーアに冷たい言葉を浴びせ、あのような状態に追いやったガジェスには部屋での謹慎を言い渡した。
 今のノーアに、あんな現実を知らせることはあまりにも残酷だ。
「――――彼女、気がついたのね」
 後ろから声をかけられる。
 アジムが振り返るとそこにはオアシスの次期君主であり、紆余曲折を経てアジムの婚約者となった少女――クシャナが立っていた。
 褐色の肌はオアシスの民であることを証明している。真っ黒な髪は真っ直ぐで、腰のあたりまで伸びている。つい最近までは未婚の証として被っていた黒いベールは取り外されていた。婚約者がいる者は被る必要がないのだ。
「ああ、でも」
 アジムはちらりとノーアの様子を見る。
 何も言わなくともクシャナは分かっているかのように頷いた。
「とてもまともに話せるような状況じゃないわね。当然か、婚約者の生死が不明のままなんだもの」
 クシャナはため息を零し、心配そうにノーアを見つめるアジムを見上げた。
 ゲイルの生死は、まだ定かではない。オルヴィス軍は突如起きた砂嵐によって撤退し、オアシスの平和は保たれた。
 ガジェスの報告によればゲイルの生存は絶望的とのことだが、迂闊にオルヴィスに近づけない以上何の情報も入ってこない。商人から話を聞きだしたが、市民にも何の情報も渡ってきていないらしい。
 軍がノーアを排除しようとし――その結果オルヴィス王が死亡したともなれば、それは国としてかなりの汚点だ。ましてゲイルはイシュヴィリアナの攻略した手腕ある王。民に事実が知れ渡ればオルヴィスの政治は地に落ちる。




「……随分と気にかけてるのね」
 クシャナはふて腐れたように呟く。
 ノーアがひどい状態なのは理解している。実際ノーアは丸二日目を覚まさず――その間アジムは寝る間も惜しんでつきっきりだった。恋人で、婚約者であるクシャナを放置して。
 政略だと知っていても、ノーアは元はアジムの婚約者の少女だ。クシャナも正直自分より優先されると面白くないだろう。
「そりゃあ、妹同然の存在だし。あんな状態の家族を無視できないだろ」
「そりゃそうですけど」
「何だよ、ヤキモチか」
 アジムは笑いながらクシャナの髪を撫でる。
「ヤ、ヤキモチなんかじゃ……」
 ない、と言い切れないのが悔しい。
 くすくすと笑いながらアジムがクシャナの髪をくしゃくしゃにする。
「大人になれよ、俺の妹なら、将来のおまえの義妹だろ」
 そうやって誤魔化されてなるものかとクシャナはアジムを見上げる。
 いつも晴れ渡っている空に、鉛色の雲がやって来る。
 ここは砂漠の中。雨雲なんてそう見れるものじゃない。それに、クシャナが見たものはかつて見たことないほどに大きい。砂漠の雨雲は、普通それほど大きさは無い。
「…………雨?」
 一体、何ヶ月ぶりだろう。
 砂漠に天の雫が降りだすのは。
「雨季でもないのに」
 水の乏しいこの生活で、雨は喜ばしいものだ。しかし季節でもないのにあれほど巨大な――オアシスの民の誰もが見たことも無いほどの雲が現れるなんて、異常ではないだろうか。



「――――まさか」
 アジムが険しい表情で空を見上げ、そしてノーアを見た。
 その意味が理解できず、クシャナはただアジムを見上げる。
「ノーア」
 呼びかける声に、少女は反応しない。
 真剣な顔のアジムにクシャナはただ何も出来ない。どうしてそんなに焦るのかも分からなかった。





 そしてクシャナは数日後に知ることになる。


 イシュヴィリアナの聖女の力を。
 その雨の異常さを。






 突然降りだした雨は三日経ってもやむことはなく、ノーアの枯れない涙と呼応するかのようにオアシスを包み込んでいた。





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