太陽の消えた国、君の額の赤い花
46
慰めるなんて――もはや意味は無い。
彼女は傷を癒して欲しいんじゃない。傷跡が癒えることなく化膿し続けることを望んでいるのだ。
もし、傷を治せる人がいるとしたらそれは――オルヴィス王しかいない。
「……いつまでそうやって泣いてるつもり?」
クシャナの低い問いに、ノーアは反応しない。
静かに室内に入り、寝台の脇に立ってノーアを見下ろす。
「いいかげんにしてくれない? こうも雨が続くと商人達がオアシスから出れなくて困ってるの」
無視。
少しムッとしながらクシャナはノーアの肩を掴み、無理やりこちらを向かせた。
「自分のせいだとでも思ってるの? 自分のせいでオルヴィス王が死んだとでも? 後悔してるんでしょう? こんなオアシス見捨てて置けばよかったって、オルヴィス王が帰ってくるのを静かに待っていればよかったって!」
空虚だったノーアの瞳に、わずかに光が宿る。
「――――――――そうよ」
初めてクシャナに向けられたノーアの言葉は低く響き、それは悲しみと憎しみと後悔とが交じり合った重い言葉だった。
「私がこんなところにこなければ、ゲイルはあんな目に遭わなかったんだもの。馬鹿なの、私。こうなるまで一番大切なものが分からなかった。どれも皆等しく大事なんて、そんなわけなかったのに!」
クシャナにとってアジムがただ一人の人であるように――ノーアにとってのゲイルもまたそうなのだ。
アジムも、ゲイルも、どちらも守りたかった。どちらも同じように大切だと思ったから。でも違った。
アジムが処刑されると聞いた時の諦めにも似た感情――あのままアジムが死んでしまっても、ノーアは涙を流しいずれ過去として葬るのだろう。
でもゲイルは諦めきれない、諦めたくない。
生きていて欲しい。どんなものを代償にしてでも。
「だったら奇跡でも起こしてみせればいいじゃない。イシュヴィリアナの聖女なんでしょう? 神の愛娘なんでしょう? オアシスを救ってみせたあの砂嵐みたいに、あなたの力なら人だって蘇ることができるんじゃないの!?」
挑発だった。
怒りが悲しみに勝てばいいと――そう思って、クシャナはノーアに喧嘩を仕掛けた。
しかしノーアは自嘲気味に笑った。
「そうね、そうよね。私にはこんな力があるんだもの、あの時に彼の怪我を癒そうと思えば――出来たかもしれないわね」
無数に刺さった矢を全て消し去って。
流れた血も全て元通りにして。
傷跡も残らないように。
しかし、現実にはそんなこと起きなかった。
ノーアの激しい感情に反応して嵐が起きた。もともと制御する方法も、使いこなすこともできない不安定な力で、怪我を癒すなんて出来るわけが無かった。
「――なにがイシュヴィリアナの聖女よ! 何が神の愛娘よ! 大切なものを守れない力なんて意味ない!!」
ノーアは声の限りに怒鳴りつけ、握り締めた拳で寝台を叩いた。
柔らかな寝具に包まれて、力いっぱいに振り上げたはずの拳はそれほど痛まなかった。
――痛いくらいのほうがいい。
そう思いながらもう一度拳を振り上げ、そして下ろされたその小さな拳をクシャナが受け止める。
「――分かってる。あなたにとってアジムは最優先事項じゃない。彼を助けた結果を悔やんでいるとしても、私は言うわ。――――ありがとう、オルヴィス軍を止めてくれて」
ありがとう、アジムを助けてくれて。
クシャナのその言葉は何よりも重かった。
――ありがとうなんて、言われたくない。
アジムを失っても、ゲイルを失いたくないなんて思っている今の自分に。
優しくノーアの拳を包み込むその両手は、ノーアのものと何ら変わりないほどに華奢で、細くて、頼りない。
いつの間にか止まった涙がこみ上げてきて、ぽたりと落ちる。
「まだ泣くの?」
クシャナの声に、ノーアは反射的に涙を拭った。
泣きたくない。もう。
「――いい子ね。あなたは泣いている暇なんてないでしょう。もしもオルヴィス王が死んでしまっているのなら、あなたはそれを償わなければいけない」
優しい微笑を浮かべながら、ノーアに罪を科すその人は本当のノーアの望みを理解してくれているんだろう。
慰めないでいい。同情しないでいい。だからどうか私に罰を。
「生きなさい。幸せに――誰もが羨むほど幸せに、生き抜きなさい」
優しく、重く、厳しいその言葉は、死ぬことは許さないと暗に言っていた。
ノーアの命は、たくさんの犠牲の上にある。成功することがないとしても、自ら死を選ぶことなど許されない。
生きている者が死者に与えられるものなんて何も無い。
ただ死んでいった者のために精一杯、幸せに生きなければいけない。
そしてもしもゲイルが生きているとしても――彼にはもう頼れない。
自分は彼にとっての毒でしかない。
もとよりオルヴィスにはもう帰れない。つまりそれは、イシュヴィリアナに帰れないのと同じことだ。
帰ればおそらく何者かに殺されるだけだ。
許されるのならこのまま――オアシスという不干渉の地で静かに。
彼の幸せを祈りながら。
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