太陽の消えた国、君の額の赤い花

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47

 長く続いた雨は嘘のように上がり、青く澄んだ空が久しぶりに顔を出した。
 ノーアはまるで泣かなくなり、周囲に笑顔を振りまくだけの元気はある――それが、空元気だとしても。






 ノーアがオアシスに匿われるようになって、もう二ヶ月以上が経とうとしている。
 身の安全のことを考えて、ノーアはオアシスの宮から出ないようにしている。月の塔から出ずに育ったノーアにとってそれは苦痛にもならない。宮の中は月の塔よりも広い。




「……あれで良かったのか?」


 見る者には明らかに作り笑顔だと分かるノーアを見て、アジムが辛そうに呟く。
 問いかけられたクシャナは困ったように微笑み、恋人を見上げる。
「今のところはね。あのままじゃ体力がなくなって衰弱してたわ。アジムみたいにただ慰めるのって逆効果なのよ、ああいう子に対しては特に」
「でも――」
 あんなふうに笑って欲しかったわけではない。
 時が傷を癒すということも――ないわけではないのだから。
「あのね、甘やかすことが優しさじゃないのよ? あの子はアジムがいなくなってからも一人でちゃんとしてきたんでしょう? いつまでも子ども扱いするのは失礼だわ」
「子ども扱いしているわけじゃ――」
「甘やかすってことはそういうことなの。女に関しては黙って女に任せなさい」
 クシャナは最初の頃はノーアにやきもちを焼いていたというのに――今ではアジムと変わらないほどにノーアを心配しているようだ。
 ノーアも随分とクシャナに懐いたようだ。アジムが疎外感を感じるくらいに。





「ノーア」


 オアシスの中にある泉にいたノーアを見つけて、クシャナが声をかける。
 長い銀の髪が風に泳ぐ。座って足だけを泉に浸しているノーアの姿は同性から見ても素直に綺麗だと思えた。
 泉はとても小さい。けれどこの世界で住まいの中に水が溢れる場所があるということがそれだけ力を示すものになる。
「クシャナ」
 振り返ったノーアが柔らかく微笑む。
 少なくとも作り笑顔ではないその顔に、クシャナも少しだけ安堵した。最近では時々アジムやクシャナにそうやって微笑んでくれる。
「町まで出てみない? ベールで顔を隠せば大丈夫よ」
 クシャナは手に持っていた黒いベールを持ち上げる。
 オアシスでは婚約者のいない少女はベールで顔を隠す習慣があるのだ。クシャナもつい最近までは使っていた。
「え、でも……」
「髪はまとめれば平気だろうし。オアシスの中を全然見てないでしょう? 女同士積もる話もあるしね」
 ノーアが戸惑うのもおかまいなしにクシャナはノーアの手を引いて立たせる。
 一緒にもってきていた道具でノーアの長い銀髪をまとめ、ベールを被せた。輝いていた銀髪は黒いベールに包み隠され、白い肌は手くらいしか見えない。
「さ、行きましょ」
 

 その黒いベールが――喪に服しているようだと、ノーアは思った。





「この砂糖菓子美味しいのよ。昔から好きなの」
 クシャナに手を引かれながらノーアは混雑する町の中を歩く。
 黒い髪に褐色の肌の人ばかり。時々いる違う毛色の人はオアシスの外からやってきた行商人だろう。
 オアシスには水路がありそれが暑さを和らげてくれているようだ。砂漠の中でも育つ丈夫な木々がオアシスを守るように囲う――この外が砂漠だとは思えない光景だった。
「アジムったらね…………」
 周囲に気をとられてばかりいるせいでクシャナの話を半分以上聞いていなかった。


「――――だったの?」


 いつの間にか人の波は消え――クシャナと二人、町が一望できる高台にいた。大きな木が一本だけあり、足元には草花が咲いている。
 クシャナの問いが自分に向けられたものだと分かって、ノーアは焦る。聞いていなかった。
 クシャナもそれに気づいていたのだろう、苦笑してもう一度問う。
「オルヴィス王が好きだったの?」
 胸が痛んだ。
 オルヴィス――その懐かしい響きに。
 オルヴィス王が指すその人物を思い出して。


 ――――泣くな。
 そう自分に言い聞かせる。


「……好きだった。とてもとても大切だった。いつも私のことばかり気にして、何かあると仕事なんて放り出して……彼の弱い部分を、支えてあげたいと思ってた」
 王として非情であることを嘆く彼を、慰めてあげたいと。
「良い人だったのね」
 クシャナの言葉に、ノーアは素直に頷いた。
「髪がね、本当に綺麗な赤い髪なの。目は榛色で、時々金色みたいに見えて……側にいてくれると、とても安心した」
 夕焼けみたいに懐かしくて温かい赤い髪。
 壊れ物を扱うかのように優しく触れてくる手。
 低く心地よい響きの声。優しい眼差し。
 すべてを愛していた。今も、愛してる。
「……先に戻るわ。帰り方、分かるでしょう? 分からなかったら誰かに聞けばいいわ」
 クシャナがそう言い残して去る。
 その優しさがありがたかった。一人になりたかった。


 泣くな泣くな泣くな泣くな泣くな――――。


 どれだけ自分に言い聞かせても無理だった。
 思い出して泣かずにいられるほどの安い想いではない。


 大きな木の元でしゃがみこむ。
 自分の膝を抱えて、ノーアは一目をはばかることなく大声で泣いた。赤い空は美しい色を保ったまま、雨雲の影なんて少しもなかった。










 クシャナが宮まで戻ると、門の前が騒がしかった。
 門兵に一人の青年が足止めされている。マントを被っているので顔どころか髪の色さえも見えなかった。
「だから、怪しい人間を通すわけにはいかないんだ。あんたオアシスの民じゃないだろう!?」
 門兵が男を止めながら言う。彼の位置からなら肌の色くらいは見えるだろう。
「――どうしたの?」
 クシャナは門兵に尋ねる。邪魔で中に入れないというのも理由のひとつではあるが、宮に入るオアシスの外の人間は基本的に通過証を持ってる。それ以外はアジムやノーアのように招き入れられた客人だけだ。
 騒ぎを聞きつけてきたのか、門が内側から開けられてアジムもやって来た。
「この男がクシャナ様にお会いしたいと――」
「――――私に?」
 本人がいるというのに青年は少しも動かない。クシャナから顔も見えないが、知り合いではないのは確かだ。
「――はじめまして、オアシスの姫君」
 青年が振り返って挨拶する。
 さっと隣に来たアジムが少し警戒するようにクシャナの前に立つ。
「……あなた、何をしにここまで来たの? 私に何の用?」
 訝しげにクシャナが問いかける。青年の手がするりと伸びて、マントのフードをはずした。
 前に立つアジムが息を呑んだ。





 現れたのは赤い赤い、夕焼けのような赤い髪――。









「…………ノーアを、迎えに」




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