太陽の消えた国、君の額の赤い花
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「……良かったの?」
隣に立つアジムの顔色を窺うように、クシャナが問う。
アジムは何も答えず、今さっきまで赤毛の青年が立っていた場所を睨むように見つめていた。
「仇……でしょ?」
「俺はもうイシュヴィリアナの王子じゃない……だから、もう敵ではない。戦争は命の奪い合いが基本なんだから、誰が死のうと相手を恨むのは少し違うだろ。お互い様なんだ。人の死は忘れてはいけないことだけど、個人に罪を着せるのはたぶん間違いだよ」
空が赤く赤く染まっていく。
夕焼けの中立つアジムとクシャナも夕日によって赤く染められていた。
「だったらそんなに怖い顔しなければいいのに」
アジムはいつまでも青年が走り去った方向を睨んでいる。
クシャナはため息と共にそう零すが、先ほどから婚約者の彼はちらりともこちらを見ない。
「過去のことは罪には問わない――けど、ノーアを傷つけるなら話は別だ。そうだろ?」
兄馬鹿ってやつね、とクシャナは笑う。
血のつながりなんてないというのに、見事な過保護ぶりだ。
「人の恋路を邪魔する人はろくな目に遭わないわよ。もう一人で立てるんだから、そっとしておきなさい」
それで、もう少し恋人に構ってくれてもいいんじゃない?
年頃の女の子らしい、可愛らしい我儘にアジムは微笑んで、クシャナの額に口づける。
温かな、柔らかな、懐かしい茜空――――それは、まるで。
眩しいほどに明るい夕焼けに、ノーアは目を奪われた。
濡れた頬はそのまま、涙はようやく止まろうとしている。
時が止まったかのように――ずっと、ただ赤く染まる世界を見つめ続けた。いとおしいその色を、目に焼き付けようと瞬きも忘れる。
赤は彼を思い出させる色。
ああ、でもあの人の赤の方がずっと綺麗だ。
会いたい会いたい会いたい――――。
自分のせいで、彼があんな目に遭ったのに。無事かどうかも知る術がないのに。それでもこの砂漠を越えて、あの人に会いに行きたかった。
過ごした日々はあまりにも遠く、懐かしい土地の思い出は儚くも色褪せる。
一滴、零れ落ちる涙が地面に染み込む。
どれほど座り込んだまま、夕焼けを見つめていたのだろう。
それほど長い時ではなかったはずだ。夕日は一日の中ではほんの一瞬のことだから。
空はなおも赤く、ノーアを痛い過去へと導く。
さく、と後ろで草を踏む音が聞こえた。
その音を聞いて自分の耳がちゃんと機能していることに気づいた。ずっと夕日を見つめていたら音がなくなったかの錯覚に陥っていた。
ノーアがここにいると知っているのはクシャナだけだ。迎えに来たのだとしたら彼女かアジムだろう。
「……クシャナ? それともアジム?」
泣いたせいで声が少し枯れていた。
これでは泣いたのが簡単に分かってしまうな、とノーアは苦笑する。気づかないふりをしてくれるといいんだけど。
ノーアの声は静かな夕日に飲み込まれる。
背後の人物は答えない。
一瞬の沈黙にノーアは首を傾げ、ゆっくりと立ち上がりながら振り返る。
夕日に染まってもなお、赤い――。
息を呑んだ。
大きく見開いた目をなおも大きく見開く。
瞬きも忘れた。ただただ目の前に立つ人物を見つめていた。それくらいしか出来なかった。
身体が魔法にかかったかのように動かない。
幻だろうか。
それとも夢なのだろうか。
だって、こんなの、ありえない――――。
「…………ゲイル……?」
呼ぶと、その人は微笑んだ。
どの記憶よりも優しい、柔らかな笑顔だった。
身体が震えだす。
止まったはずの涙が歓喜で湧き出した。
ああ、神様。
これが、幻でないのなら――。
もう二度と、引き離さないで。
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